「聞いて実行する人」(礼拝メッセージ2017/04/30)

クリスチャンは、神様の祝福をぜひともいただきたいと願い求めています。みことばは「祝福をいただくこと」をどのように教えているでしょうか。

1.みことばを受け入れる

ですから、すべてのきよくない事を捨て、不義の激しい成長を押え、謙虚な〈柔和な、穏やかな〉心で、みことばを受け入れなさい〈歓迎しなさい〉。〔あなた方の心の中に〕植えられた〈根を張った〉このみことばは、あなたがたの魂を救う力を持っています。 ヤコブ 1:21(詳訳)

すべては、神様のみことばを心から歓迎することから始まります。自分にとって利益にならないみことばであっても、主のみこころを優先させて心に受け入れるならば、そのみことばが根を張り、私たちを支えます。

2.みことばを実行する

しかし、欠点のない律法、すなわち自由の〔律法〕を注意深く見つめ、そして、その律法に忠実であり〈絶えずそれを見守り〉、不注意に聞くだけで〔あとですぐ〕忘れてしまうのでなく、積極的に〔それに従って〕行なう人は、その行ない〈従順の生活〉によって祝福されます。ヤコブ 1:25(詳訳)(2:19)

私たちの心を写し出す鏡のようなみことばを、一瞥だけで通り過ぎず、完全な律法を一心に見つめましょう。完全な律法とは主が私たちの心に書き記されたものです(エレミヤ31:33)。主の御心に服従することが本当の自由であり、強制されたものではなく、主の愛と恵み、私たちの信仰(=主体性)によるものです。

3.自分をきよく守る

父なる神のみ前に、純粋な、欠点のない外的な宗教生活〈外的行為に現われたものとしての宗教〉は、こうです。すなわち、苦しんで〈困って〉いる孤児や、やもめを見舞い〈助け〈世話し〉、自分自身をこの世の汚れ〈悪〉に染まることのないよう保つことです。ヤコブ 1:27(詳訳)

宗教上の外面的義務を敬虔に行っていても、自分の言葉に不注意(不平不満、非難)で、自分は宗教熱心だと思い違いをしていては、無価値です。神様の御心にかなった生活とは、隣人を助け、この世の悪に染まらないことです。

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