詩篇 102 悩む者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎ出したときのもの
主よ。私の祈りを聞いてください。私の叫びが、あなたに届きますように。私が苦しんでいるときに、御顔を私に隠さないでください。私に耳を傾けてください。私が呼ぶときに、早く私に答えてください。 詩篇 102: 1,2
クリスチャンを含めすべての人は、構えたり飾ったりしない自らの心の内を余すところなく告白出来るお方、ありのままの自分を受け止めて下さる良き神様が必要です。
自分が咎められることなく受け入れられるなら、どれほど多くの人がつらい束縛から解放されるでしょうか。
1.自らの現状 詩篇102:1~11
(1)精神的苦悩、孤独
(2)肉体的痛み
(3)敵対者のあざけり
悩みに打ちひしがれている人は、自らの嘆きをすべて神様の前に注ぎだしています。そこには、「もう神様に頼ることしか出来ない」という思いと神様に対する心からの信頼があります。
2.主権者なる我らの主
神様は天地の主であられ、永遠に存在される主権者です(詩102:12)。主に信頼する者は、神様の主権を認めて委ねることが出来るので安心です。
3.応えて下さるあわれみの主
その主権者は偉大なお方ですが、窮した者の祈りをないがしろにされない謙遜なあわれみのお方です(詩102:17,19,20,28)。
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。ヘブル11:6
私たちの救い主イエス様は「疲れた者を受け入れて下さる、心優しいへりくだったお方」です(マタイ11:28~30)。些細な心の疲れでも、絶望的と思われる状況の中でも、すべてを受け入れて祝福へと変えて下さるお方がおられるなら、私たちは立ち上がって前へ進むことが出来ます。
主イエス様といっしょに困難と思われることも乗り越えて行くことが出来ます。(詩篇103:1~5)