「大切なものを大切なお方に」(礼拝メッセージ2019/03/24)

イエスは、献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。・・・この人は乏しい中から、持っているすべてを生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」マルコ 12:41~44

なぜ、イエス様はわざわざ献金箱の向かい側に座って、人々が献金する様子を見ておられたのでしょうか。金持ちたちが、大金を投げ入れている中、なぜ、貧しいやもめを賞賛したのでしょうか。

1.何を献げたのか
金持ちたちは、これ見よがしに、あり余る中から大金を献金箱に投げ入れていました。自分が賞賛され、評判が上がるように、人目に付くようなパホーマンスです。周囲の者たちは、彼らを絶賛していたことでしょう。
貧しいやもめは、人目に付かないようにこっそりと投げ入れました。それは、最小単位の銅貨2枚、所有額のすべてでした。

1レプタ銅貨=1/128デナリ(1デナリは1日の労賃)
1デナリ=10,000円 ⇒ 1レプタ=78円 ⇒ 2レプタ=156円

2.イエス様が見ておられたもの

イエス様は、貧しいやもめの156円の献金を見て、「彼女は、だれよりも多く投げ入れました。」と言われました。彼女は、生きる手立てのすべてを投げ入れたからです。イエス様は、金額ではなく、そこにどれだけの思いが込められているのか、彼女の神様に対する心を見ておられました。

主はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。私は彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」 Ⅰサムエル 16:7

私たちは、大金を献金した金持ちのように、神様と人に対して自分の功績をアピールし、自分の行為を正当化して、人の目や自分自身をも欺いて、真実を見ないようにすることが何と多いことでしょう。しかし、神様の目には、人の心の奥底まで明らかです(ヘブル4:12,13)。神様は、献げるものが何もないと思っている私たちをも、喜んで受け入れて下さいます。

3.自分自身をイエス様に

私たちは、大切なものは独占したいですし、それを人のために手放すことはとても難しいものです。まして、自分に所有権があり、自由にできるものであればなおさらです。
しかし、自分自身に固執すると大切なものを失い、イエス様のために自分自身を失うと、逆に見出すことができます。(マタイ16:24~26)

一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。 Ⅱコリント 9:7

キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。Ⅱコリント 5:15

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