あなたは人を助けるために自分を犠牲にしたことがありますか。自分には全く非がないのに、非難されて大きな損失を被り、周囲の人から疑われ嫌われても、その人のために甘んじて受けた経験です。
イエス様が捕らえられ、不当な裁判を受けて有罪となり、十字架にかけられた時、多くの人々が関わっていました。
1.群衆
・・・群衆は、イエスの前を行く者たちも・・・、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に、祝福あれ、・・・」・・・群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。マタイ 21:8~11
ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」マルコ15:14
群衆は、イエス様がエルサレムへ入城した時に、棕櫚の葉を振って大歓迎しました。しかし、総督ピラトがイエス様が無罪であることを確信して釈放しようとした時は、「十字架につけろ」と連呼しました。
2.極悪人バラバ
それでピラトは、彼らの要求どおりにすることに決めた。すなわち、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた男を願いどおりに釈放し、他方イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。ルカ 23:24,25
ピラトは群衆が暴動と殺人を犯した極悪人バラバの釈放を望むはずがないと思い、イエス様とバラバどちらを選ぶのかと問いかけました。しかし、群衆はバラバを選びました。降って湧いた釈放に、バラバは何を思ったでしょうか。
3.イエス様の十字架上の7つのことば
①「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」ルカ23:34
②「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23:43
③「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」「ご覧なさい。あなたの母です。」ヨハネ19:26,27
④「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」マタイ27:46、マルコ15:34、詩篇22:1
⑤「わたしは渇く」ヨハネ19:28
⑥「完了した」ヨハネ19:30
⑦「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」ルカ23:46
イエス様は自分の正当性を主張して罪に定めようとする者たちを逆に裁くことができたでしょう。しかし、そうはなさらず、人間の醜い全ての罪をその身に負い、やさしさを示し、赦しを下さいました。
私たちは、必死になって自分の無実を晴らそうとします。それどころか、自分が犯した罪でさえ、犯していないと嘘を言って逃れようとします。
群衆のように移り気な者、イエス様の代わりに赦された者、それが私たちです。イエス様の尊い犠牲、深い愛、限りのない赦しに感謝し、みことばが指し示す道を歩んで行きましょう。(Ⅰペテロ3:18,2:21,24)