ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。ヨブ 1:1
ヨブ記は「知恵文学」の一部で、人生における深遠な問題「苦しみ」を主題としています。著者や著作年代は不明ですが、内容から族長時代のものと考えられています。ヨブに降りかかった災難、友人たちの主張、神様の現れ、ヨブの回復。ヨブ記は人生、苦しみ、信仰について教えています。
1.因果応報?
私たちは、因果応報の考えを持っていますし、聖書もそのように主張しているように見えるところがあります。そのため「因果応報、勧善懲悪」にそぐわない不条理なことに疑問がわき、神様を疑うようになります。
私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。ヨブ 2:10
最初、ヨブは神様に対して誠実な思いを持っていました。しかし、友人たちの因果応報の考えによる「ヨブに罪があるから災いが下ったのだ」との主張に対して「自分に罪は無い。神様の言い分を聞きたい」と、神様の沈黙に対して、不平不満を抱くようになります。
2.神様は主権者
ヨブは、最後に神様から「創造の御業、神様の偉大さと主権」を示されて悔い改めました。友人たちは、もっともらしくヨブを責め、「因果応報」を振りかざしたため、神様にいさめられました。
神様が、ヨブの大きな疑問だった、この世の理不尽な「苦しみ」について明快な答えを与えられたわけではありませんが、ヨブは神様が主権者であることを悟りました。
「知識もなしに摂理をおおい隠す者はだれか」と。ヨブ 42:3
3.主イエス様の愛
私たちは、この地上の世界だけで事の善し悪しを判断してしまいます。しかし、神様は、永遠を見据えておられ、私たちのためにイエス様を死に渡され、私たちにいつも最善を尽くして下さっています。私たちが状況や報酬にかかわらず、どんな時でもイエス様を愛し従うかが問われています。
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。 ローマ 8:32
わたしは愛する者をみな、叱ったり懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。 黙示録 3:19,20(ヘブル 12:10,11)
彼らの心は脂肪のように鈍感です。しかし、私はあなたのみおしえを喜んでいます。苦しみにあったことは 私にとって幸せでした。それにより 私はあなたのおきてを学びました。あなたの御口のみおしえは 私にとって 幾千もの金銀にまさります。 詩篇 111:70,71