「キリストのゆえに受ける辱め」(礼拝メッセージ2020/01/26)

へブル書11章は、神様に対する信仰の意味と重要性について記されている有名な箇所です。旧約聖書の人物たち(アベル、エノク・・・)が、「信仰によって」ということばで次々と紹介されています。彼らの行動、生き方そのものが、神様に対する信仰として示されています。
創世記から申命記まではモーセ五書と言われ、モーセが書いたとされています。今日のみことば(ヘブル11:24~29)に記されているモーセの箇所は、旧約聖書:出エジプト記にあります。彼はイエス・キリスト誕生の1,400年前の人物です。(関連聖書記事:使徒7:17~、ヨハネ5:46,47)

序.モーセの両親の信仰
モーセの両親については、「信仰によって・・・両親によって隠され」(23節)とあるように、彼らが信仰によって、エジプト王を恐れなかったことが称賛されています。さらに、モーセに対し「かわいい(no ordinary child)」と表現されています。これは、両親が神様から何かの特別なサインをいただいていたようにも思われます。

1.モーセは、キリストについて何を知っていたのか?
モーセの知識の中には、口伝(くでん)により何世代にもわたって祖先から受け継がれたものがありました。さらに、神様の特別な啓示を通して知らされたこともありました。モーセは、はっきりとキリスト(救い主)に言及しています。
「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」IIテモテ3:16

2.キリストの受ける辱めとはどういう意味か?
「辱め」のギリシャ語の意味は、「そしり、非難、侮辱、虐待、恥辱、恥」です。モーセが「キリストのゆえに」忍耐した屈辱ではなく、キリストご自身が受けた侮辱と虐待を強調しています。救い主イエス様が自分のために受けて下さったそしり、屈辱、苦しみを理解していたようです。

3.なぜモーセはこの辱めを受けることを選んだのか?
「はかない罪の楽しみではなく、神の民と共に苦しむことを選んだ」(25節) モーセは快適で悠々自適な最高の生活を送れたにもかかわらず、キリストの屈辱とともに生きる道を選びました。優雅な生活を捨てたとは書かれておらず、自分の意志を持って選択したとあります。将来を見据えて、その報いがこの世の他の何とも比較できないほどの価値があると見たのです。

まとめ:二人の人物の生き方
・旧約聖書のロトの妻は「彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になった」 (創世記19:26)
過去を振り返ることで、将来を台無しにしてしまうことがあります。信仰を失ってしまうこともあります。
・モーセは「エジプトを立ち去り(27節)、与えられた報いから目を離さず(26節)」歩んだ人生でした。
クリスチャンにとって、99%の未信者の中での生活は苦しいものがあるのは事実です。今の世だけでなく、死んだ後の人生もあることを覚え、すべてを支配しておられる主から目を離さずに生きていきましょう。(藤島昇兄)

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