今日は棕櫚の主日、今週は受難週です。受難週はエルサレム入城から始まり、宮きよめ、宮での最後の説教、最後の晩餐、ユダの取引、ゲッセマネの祈り、弟子たちの離散、審判と磔刑まで様々な出来事がありました。
イエス様は身命(しんめい)を投げうって救いを完成して下さいました。
1.釈放されたバラバ
ところで、ピラトは祭りのたびに、人々の願う囚人一人を釈放していた。そこに、バラバという者がいて、暴動で人殺しをした暴徒たちとともに牢につながれていた。・・・
それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放し、イエスはむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。 マルコ 15:6~15
ローマの総督ピラトはユダヤ人に死刑判決を出すことができる立場にありましたが、イエス様に死刑に相当する罪を見出すことができず、釈放するために努力しました。しかし、祭司長や群衆の声に押され、自分自身の保身のためにイエス様を十字架刑にしてしまいました。殺人者バラバが罪を問われず、罪無きイエス様が刑罰を受けました。
2.洗礼と洗足
イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身がきよいのです。・・・」ヨハネ 13:10
イエス様は手拭いを腰にされて弟子たちの足を洗いました。ペテロはもったいなく思って断りますが、イエス様とは無関係の者になると言われて慌てて手も頭も洗ってほしいと願いました。しかし、イエス様はあなたがたはきよい、足以外洗う必要はないとおっしゃいました。
悔い改めて洗礼を受けた者に必要なのは、日々の悔い改めと聖餐です。
3.それを行う者は幸い
それで、もしあなたたちの主であり師〈先生〉である私が、あなたたちの足を洗ったのならば、あなたたちは当然互いに足を洗い合うべきである〈それはあなたたちの義務である。あなたたちにはその責務がある。その負債がある〉。 ヨハネ 13:14(詳訳)
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。・・・そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。ヨハネ 13:15~17
イエス様はあらゆる点で私たちに模範を示されました。当時、足を洗う仕事はその家のしもべの役目でした。イエス様は私たちが兄弟姉妹の足を洗うことは「義務・負債」であると言われます。それを行う者は幸いを得、それを行わない者は不幸です。
イエス様が私たちに出来もしないことを命じられたのではなく、出来ること、幸せになる道を教えて下さいました。私たちにとって兄弟姉妹のしもべになることは、面倒くさく、プライドが許さず、自分のことができなくなるので、ただやりたくない、嫌なだけなのです。あなたのために十字架にすべてを献げて下さったイエス様を日々仰ぎ見続けましょう。