今日のピリピ人への手紙のポイントは、①「十字架の死にまで従われた」(ピリピ2:8)イエス・キリストの謙遜(謙卑-キリスト教用語)。②ピリピ書に19回も登場する「喜び」です。ピリピ書は「喜びの手紙」とも呼ばれています。なぜ、パウロは獄中にあっても「喜びなさい」と兄弟姉妹に呼びかけることができたのでしょうか。
1.私たちの隣人に対する思い(ピリピ2:1~5)
パウロはピリピの教会に対して、心と思いを一つにする「一致」を願っています。一致を保つためには「謙遜」という徳が不可欠です。一人ひとりが自己中心や虚栄を捨て、肉的なプライドにしがみつくのを止め、謙遜を身に着けて隣人に関心を払い、その人の価値を再発見し、さらに、互いに尊敬し合うようにならなければ一致はありません。パウロは、十字架の死に至るまでもへりくだられた「イエス様の謙卑の姿」(ピリピ2:6~11)を示し、それを模範として、私たちに「謙遜」を勧めています(ピリピ2:4)。
2.パウロの喜びの源パウロには、悩み・苦しみ、迫害、殉教の時でもイエス様を仰ぎ見、待ち望む信仰がありました。その信仰とは、信じる者にとって、死が終わりではなく、イエス様の勝利がすでに宣言され、復活が約束されているということです。ピリピ4:4は「ただ喜びなさい」ではなく、「主にあって、喜びなさい」という命令です。悩み苦しみの中で、病気の床で、家族の死の中で喜べるはずがありません。「喜びを盗む泥棒は、環境、人々、所有物、思い煩いである。」とワイズビー(説教者)は言いました。大変な状況の中で、心から喜ぶということは難しいことです。ここに、「主にあって- in the Lord」(8回)とあります。「主にある」からこそ、個人が「しっかりと立つ」ことも、教会が「一致する」ことも可能になります。主が伴ってくださらなければ、私たちは一人で立っていくことはできません。
3.大切な信仰の友
パウロが喜ぶことができたもう一つの要因は、ピリピ教会の兄弟姉妹との親しい関係でした。『あなたがたに感謝している。本当にあなたがたは大切な友だ』と言いたくなる関係性です。パウロを支えてくれた信仰の友がいたからです。それは私たちにとって、今日、共に礼拝している教会の仲間、喜び合い、悲しみを分かち合うことのできる兄弟姉妹の存在です。
4.今日のおすすめ
1)ピリピ書を読むと、励まされ、勇気づけられるみことばが、ここかしこに散りばめられています。この機会にピリピ書全体を読んで、好きな箇所にラインマーカーでしるしをしてみましょう。
2)もし私たちが、神様の支えの中で生きていないならば、私たちの歩みはとても不安定です。自分の主張や面子にこだわると、悩みや不安でいっぱいになります。「このような場合、主イエス様はどうお考えになり、どう行動されますか?」「聖書は、私に何をしたら良いと教えていますか?」と主に聞き、神様中心に考えてみましょう。 (藤島昇兄)