1517年10月31日はローマ・カトリック教会の腐敗と反聖書的な教えに対して、修道士マルチン・ルターが「95か条の提題」をウィッテンベルク城内の教会の門扉に掲示した日で、宗教改革が始まった日とされています。
1.宗教改革の三大原則
①信仰のみ 罪の赦し、義認は、キリストを信じる信仰のみ。
〔カトリック:善行を積み、罪を償う。免罪符(贖宥状)の購入。〕
イエス・キリストにあって私たちに与えられた慈愛によって、・・・この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。・・・行いによるのではありません。エペソ 2:7~2:9
②聖書のみ 信仰と生活の規範は、聖書のみ。
〔カトリック:カトリック教会に権威があり、信徒の聖書禁止〕
聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。Ⅱテモテ 3:15
③万人祭司 神様と人との仲介者はキリストのみ。
〔カトリック:祭司による儀式、秘跡(礼典)。聖母・聖人礼拝〕
神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であり、それは人としてのキリスト・イエスです。Ⅰテモテ 2:5
2.各地の宗教改革
①スイス ツウィングリー、ジョン・カルビン(フランス人)による長老 制の教会組織による改革主義教会
②オランダ ルター派、アナバプテスト(再浸礼)派、カルビン主義。カ トリック教皇の支配下、スペインからの独立戦争によりオランダ共和国 の独立。アルミニウス派(ヤコーブス・アルミニウス):メソジスト運 動、救世軍に影響。
③フランス ユグノー教徒はピウス教皇のユグノー撲滅の勅令により大虐 殺されたが、戦いの結果「ナントの勅令1598」により自由を獲得した。 しかし、ルイ14世により勅令が破棄され、ユグノー教徒は外国に逃れた。
④イギリス ヘンリー8世は、1534年教皇の支配から独立してイギリス国教 会の主権者であることを宣言した(王妃離婚問題で教皇と対立)。信仰 箇条はルター・カルビン派、司教(監督)制と儀式を維持。
⑤ローマ・カトリック 対抗改革運動。宗教改革の勢力に脅威を感じ、信 仰の革新、教皇の最高権威の確認、宗教裁判所によるプロテスタントの 撲滅。南ヨーロッパへの支配確立。海外伝道(アジア、南アメリカ)。
3.マルチン・ルターの功罪
マルチン・ルターは、信仰の苦悩の中で「行いではなく、信仰によってのみ義とされる」という聖書の真理に至り、カトリックからの破門、追放、脅迫にも屈せず改革(聖書のドイツ語翻訳、礼拝改革〔みことばの説教、聖餐式、会衆賛美〕)に取り組みました。彼は教会を分裂させない教理的道徳的改革を目指していました。しかし、さらなる改革を求めた急進派改革者とは農民戦争が起こり、アナバプテスト(再浸礼)派に対しては、カトリックと手を組んで25年間に及ぶ大迫害を行いました。
神を愛する者は兄弟も愛すべきです。・・・Ⅰヨハネ 4:21