ダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。
神は宦官の長に、ダニエルを愛しいつくしむ心を与えられた。 ダニエル 1: 8,9
ダニエルは、バビロン捕囚時に一少年としてバビロンの宮廷に連行された。彼は貴族の出身で優れた知恵と能力に満ちていた。ダニエルと友人たちは少年ではあったが、神様に対する純粋で忠実な信仰があった。自分たちの身に危険が及ぶようなことがあっても決して妥協せず、主の助けを信じきって歩みました。
もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」 ダニエル 3:17,18
彼らにまた試練が訪れます。王が建てた金の像を拝まなければ火の炉に投げ込まれるというおふれが出されました。しかし、彼らは主の助けを信じきって偶像礼拝を拒否しました。その信仰は、自分たちが救出されることが主の御心でなかったとしても主に従うというものでした。
ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。―彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。―彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。 ダニエル 6:10
神様は周囲の者たちにダニエルをいつくしむ心を与えることが出来るのに、またまた試練がやってきました。80歳のダニエルは主への祈りが禁止されても、やめることも隠れて祈ることもしませんでした。
今は、惑わしと妥協の時代です。イエス様に、みことばに、忠実に歩むことより、みんなから受け入れられ、楽をして隠れキリシタンのように生きることが信仰的であるかのように思われています。しかし、イエス様は、自己中心にならず、いつもイエス様のすばらしさを隣人に伝え、健全な教えから離れないように勧めています。
神の御前で、また、生きている人と死んだ人とをさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現われとその御国を思って、私はおごそかに命じます。
みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。 Ⅱテモテ4:1~5