「安息日の主」(礼拝メッセージ2016/08/14)

イエスは、その女を見て、呼び寄せ、「あなたの病気はいやされました。」と言って、手を置かれると、女はたちどころに腰が伸びて、神をあがめた。すると、それを見た会堂管理者は、イエスが安息日にいやされたのを憤って、群衆に言った。「働いてよい日は六日です。その間に来て直してもらうがよい。安息日には、いけないのです。」   ルカ 13:12~14

ここには、永年の病気から解放されて喜んでいる女、いやされたことを憤る会堂管理者、偽善を憤るイエス様、イエス様のみわざを喜ぶ群衆がいます。イエス様は女をサタンの束縛から解放したのに、自分の考えに合わないからと言って、イエス様とそのわざを非難しています。別の安息日には、イエス様を訴えるための口実を見つけようと、律法学者・パリサイ人が狙っていました(ヨハネ5:18)

別の安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた。そこに右手のなえた人がいた。そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。  ルカ 6: 6,7

彼らは、人々がサタンから解放されることや病気が癒されて幸せになることに全く関心がありませんでした。かえって、サタンの束縛に加担しているようです。逆に、いやされた人や一般の人は、素直にイエス様を喜びました。イエス様が「安息日の主(ルカ6:5)」であることを受け入れる人とそうでない人の差がはっきりと表れています。(ヨハネ9:16)

1)イエス様を安息日の主として認め、礼拝する。
2)安息日に善を行う。
3)安息日に人を生かす。

もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を「はえある日」と呼び、これを尊んで旅をせず、自分の好むことを求めず、むだ口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとしよう。「わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」と主の御口が語られたからである  イザヤ58:13,14

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