私が栄えたときに、私はこう言った。「私は決してゆるがされない。」主よ。あなたはご恩寵のうちに、私の山を強く立たせてくださいました。あなたが御顔を隠され、私はおじ惑っていましたが。主よ。私はあなたを呼び求めます。私の主にあわれみを請います。 詩篇 30: 6~8
ダビデは宮殿をささげる時(Ⅱサムエル5:11)にこの詩篇30篇を賛美しました。今までの生死の境をさまよう逃亡の日と主の救いの日々を回顧し、自分を王として堅く立て、王国を盛んにして下さった主をほめたたえています。
この詩篇の中には以下に示す神様と人間の姿があります。
①自分を選んで下さり、助けを叫び求める者を救って下さる恵 み深い主。(2,3節)
②順境の時に調子に乗ってしまう自分。(6節、7節前半)
③調子に乗る自分を懲らしめ矯正してくださる主。(7節後半)
④逆境の時に助けを叫び求める自分。(8節)
私たちが順境の日だと思える時、それは、主のあわれみと赦しと恵みの時です。自分の力や能力や善行によってその状況が与えられているのではありません。そんな時こそへりくだって主に感謝するべきです。
逆境の日。それも主のあわれみと赦しと恵みの時です。心が主に向いて集中し、信仰が深められ、赦しによってさらに主とともに歩めるからです。
主はあわれみ深い方です。主が怒っても短い間です。必ず回復が与えられ祝福は永遠に続きます(5節)。私たちの嘆きは主によって喜びに変えられます(11節)。
神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。 イザヤ 61: 13
主にあって、私たちは順境の日でも逆境の日でも、どんな時でも祝福と恵みの時です。