2015-09

礼拝メッセージ

「しぼられていく道」(礼拝メッセージ2015/09/27)

ダビデの賛歌 主よ。私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって、私に答えてください。 あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです。 敵は私のたましいを追いつめ、私のいのちを地に打ち砕き、長く死んでいる者のように、私を暗い所に住まわせたからです。 それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、私の心は私のうちでこわばりました。 私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。 あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います。セラ   詩篇143:1~ 6 ダビデは、敵によって追い詰められて心身ともに恐怖と絶望で打ちひしがれていました。 彼は窮地に陥り、主に対して心か...
礼拝メッセージ

「主に目を向けよ」(メッセージ2015/09/20)

都上りの歌 あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。 ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。 私たちをあわれんでください。主よ。私たちをあわれんでください。私たちはさげすみで、もういっぱいです。 私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。 詩篇 123: 1~4 主を愛する主のしもべは、主を侮り高慢になっている者たちからのことばの暴力(悪口、偽り、醜聞、中傷、偽善)によって、精神的に追い詰められ、心が弱り苦しんでいる。 彼らは、行動による暴力で体を痛めつけるのではなく、たましいを痛めつけようとしている。主のしもべの価値をおとしめて、主に対する信仰や希...
礼拝メッセージ

「赦しのすばらしさ」(礼拝メッセージ2015/09/06)

すべての人は、周りの人々や神様から赦しをいただきながら生きています。なぜなら、すべての人は、罪、咎(あやまち。罪となる行為。欠点。)を持ちながら生活しているので、赦しをいただかなければ一時も生きていけないのです。 「赦す」とはどういうことでしょうか。 1.漢字では 「赦」:罪あやまちを許す。すておいて責めない。 「赤」は「捨」に通じ、はなつ・すてるの意。 「許」:他人の願いなどを聞き入れる。認める。 「午」は神体の象形。神に祈ってゆるされるの意。 2.聖書では ①罪が赦されるためには、犠牲が必要です。 血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。 ヘブル 9:22 ②救い主イエス様は、私たちの罪を赦す権威を持った方です。 人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」   ルカ 19:10 人の子が地上で罪を赦す権威を...
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