「背後に主を見る信仰Ⅱ」(礼拝メッセージ2013/12/01)

 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。      創世記 37:10,11

 ヤコブの11番目の息子ヨセフは、父に兄たちの告げ口をする者、夢見る者、父にひいきされている者だったので、兄たちから憎まれていました。
 そして、とうとう、兄たちに殺されかかり、遠いエジプトへ奴隷として売られてしまいました。ヨセフが17歳の時です。それから苦難の日々が続きました。
 ①奴隷に売られる。
 ②冤罪により投獄される。
 ③冤罪が晴れるチャンスも忘れ去られる。
 主の祝福と守りのうちに良いことが続くかと思いきや、なかなか自分の思い通りには行きません。忍耐の連続でした。

 主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。  創世記  39: 2,3

 ヨセフは、苦難の中でも不平不満を言ったり、腐ったりせず、主の与えて下さった夢とあわれみと祝福を信じて決して離しませんでした。結果として主のご計画、御旨が分かった時に、すべてを納得して受け入れました。彼は、すべての物事の背後に主を見て歩んだ人でした。

 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。創世記 45: 7 

 あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとなさいました。それはきょうのようにして、多くの人々を生かしておくためでした。創世記 50:20

 私たちに必要なものは、すべての背後に主を見る信仰と忍耐です(ヘブル6:11,12、10:35,36)

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