その後、この女は男の子を産み、その名をサムソンと呼んだ。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。そして、主の霊は、ツォルアとエシュタオルとの間のマハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。 士師 13:24,25
マノアの妻は不妊の女でしたが、彼女に主の御使いが現れて、懐妊と生まれてくる子は、主に仕えるナジル人として聖別されていること、イスラエルをペリシテ人から救う者であることを告げました。誕生した男子サムソンは、ナジル人として生涯その誓願を果たさなければなりませんでしたが、それを軽視してしまいました。
彼のハチャメチャな事件 ①ペリシテ人との結婚(14:1~9) ②なぞかけと虐殺(14:10~20) ③ジャッカルによる畑への放火(15:1~20) ④遊女との関係(16:1~3) ⑤デリラとの関係/怪力の秘密を明かす(16:4~22)
サムソンは甘やかされて我儘(わがまま)に育てられたのでしょうか。女性に弱く、主からの力を乱用しています。とても主に聖別されたナジル人、士師、信仰の人とは思えません。
しかし、みことばによると、信仰の勇者としてたたえられ(へブル11:32~34)、主の選びの器として祝福され、あらゆるところで主が介入されたことが記されています(13:24,25,14:4,6,19,15:14)。また、サムソンは信仰をもって主に叫び求めています(15:18,16:28)。
みことばは、ハチャメチャで不従順な歩みを良しとしているのではありません。実は、私たちも、サムソンと大差がないこと(いや、もっとひどい人間)、私たちに彼を批判し蔑(さげす)む資格がないことを示しています。私たちは、人を批判する時に自分は完璧な良い人だと勘違いしています。
しかし、私たちもサムソンと同様に受ける資格がないにもかかわらず、あわれみによって選ばれ、救われてクリスチャンとして生かされています。主は、ただみこころのままに信仰の人を用いてわざを行われます。
自分の目にある梁が見えずに、どうして兄弟に、『兄弟。あなたの目のちりを取らせてください。』と言えますか。偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうしてこそ、兄弟の目のちりがはっきり見えて、取りのけることができるのです。ルカ 6:42
(ルカ18:9~14 ローマ14:9,10 Ⅰコリント12:21)