私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。 Ⅰコリント 4: 1,2
私たちの歩み・人生は、何の変哲もない一時、一日の積み重ねです。どんな立場の者として生活しているのか、任されているものにどのような態度で向き合っているかが問われます。
1.些細と思われること
些細なことと思うことは、軽く考えてないがしろにしやすいものです。教会の集まり、祈り、みことば、伝道、当番、対人関係など、自分がその価値を判断して行動します。
貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。・・・私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、ヤコブ 2: 3
さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。 マルコ 10:13
2.忠実な者に変えられる
主人の家から窃盗を働いて逃走した奴隷オネシモは、主の救いをいただいて有益な者へと変えられました。
獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています。 ピレモン 10,11(コロサイ 4: 9)
3.仕えるべきものに忠実
モーセが神の家全体のために忠実(民数記12:7)であったのと同様に、イエスはご自分を立てた方に対して忠実なのです(ヨハネ4:34)。 ヘブル 3: 2
私たちは、主のしもべとして神様の奥義の管理を任されています。それぞれにその置かれている場所で任されているもの、負うべき役割や働きがあります。
主は忠実な者にこの世でも、次の世でも大きな報いを与えて下さいます。
小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。ルカ16:10(19:17)