2012-11

礼拝メッセージ

「帯と土とビン」(礼拝メッセージ2012/11/25)

 私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。        エレミヤ 13: 7  わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。      エレミヤ 13:10     「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。   エレミヤ 18: 6   そこであなたは、同行の人々の目の前で、そのびんを砕いて、 彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を...
礼拝メッセージ

「悲しみの人」(礼拝メッセージ2012/11/18)

 ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。                                エレミヤ 9: 1  もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。主の群れが、とりこになるからだ。                   エレミヤ 13:17    エレミヤは「悲しみの人」です。神の民イスラエルが、神様の恵みや祝福を捨てて逆らい、自ら滅びを招いていたからです。再三の預言のことばにも耳を貸さない民に、悲惨な結果が間近に迫って来ていることをエレミヤは見ていました。  エレミヤは民の運命を自らのこととして受け止めました。   ○イエス様も悲しみの人でした。  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で...
礼拝メッセージ

「異教徒でもありえないこと」(礼拝メッセージ2012/11/11)

 キティムの島々に渡ってよく見よ。ケダルに人を遣わして調べてみよ。このようなことがあったかどうか、よく見よ。  かつて、神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろうか。ところが、わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替えた。  天よ。このことに色を失え。おぞ気立て。干上がれ。――主の御告げ――  わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。             エレミヤ2:10~13  エレミヤは、BC640年頃祭司の家に生まれ、BC627年に預言者として召命を受けました。イザヤの100年後の事です。ユダの最後の5人の王たちの治世に、約40年間、来るべき艱難と神様への悔い改めを訴えました。  神様は、ユダ王国の民が湧き水の清い泉である真の神様を捨てて...
礼拝メッセージ

「イエス様中心主義」(礼拝メッセージ2012/11/04)

 苫小牧の老舗菓子店「三星」が苫小牧へ進出して100年を迎えました。小林慶義が1898年に小樽で長男幸蔵と共に「小林三星堂」を開店し、その後苫小牧に進出しました(小林慶義の弟末松の次男が小説「蟹工船」の作家、小林多喜二)。「三星」は幸蔵が信仰していたキリスト教の牧師が「信仰、希望、愛」を表す三つの星の意味を込めて名付けました。三代目の小林正俊は、この社名の由来を「仕事に惚れ、郷土に惚れ、女房に惚れる」という”三つ惚れマーク”と解釈したそうです。  ああ、あなたは怒られました。私たちは昔から罪を犯し続けています。それでも私たちは救われるでしょうか。  私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。あな...
ジョイジョイクラブ

楽しくジョイジョイ(ジョイジョイクラブ2012/10/28)

今日のジョイジョイクラブは、さかなパタパタリレーで盛り上がりました。 今日のみことばは、「私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。(箴言30:9」でした。
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