2019-02

礼拝メッセージ

「みことばは光」(礼拝メッセージ2019/02/24)

もしこの世に光がなければ、目の前に近づけた自分の手でさえ見えません。神様のみことばがなければ、私たちは善悪、本当に大切なこと、真理がわからず、正しく生きて行くことができません。 詩篇119篇では「律法」を「おきて、あかし、おしえ、戒め、定め、さとし、ことば、道、仰せ、さばき」という10のことばで表現しています。 1.浅はかな者を賢くする 私たちは、独立した人格と自由意思を持っていますから、自分が自分の律法となり何の規正もなく、自分の価値観のまま生きて行きます。しかし、思い通りに生きているようでも、実は、罪に支配されてしまっています。 みことばは、自分の判断が一番正しいと思っている浅はかな者を、神様の正しい道に導いてくれます。 主の教えは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。  詩篇 19: 7 命令はともしび、おしえは光、...
礼拝メッセージ

「神様の涙」(礼拝メッセージ2019/02/17)

私たちは、喜び、悲しみ、悔しさ、寂しさ、感動など、いろいろな場面で涙を流します。最近では「涙活(るいかつ)」という言葉があり、能動的に泣くことでストレス解消を図る活動だそうです。 聖書は、神様の深い愛から出る涙や私たちが本当に悲しむべき事柄について語っています。それは「不信仰と不従順」です。 1.エレミヤの涙 BC627年から40年以上の間、預言者エレミヤ(神は確立される、派遣されるの意)は、真の神様を捨てて偶像礼拝を行なっていた民に対して、来たるべき患難(エルサレム滅亡、バビロン捕囚)、神様のさばきを警告し続けました。これらの出来事は彼が生きているうちに現実となりました。、 エレミヤは涙の預言者と呼ばれ、同胞の強情さと不信仰、彼らに訪れる悲劇を深く嘆き悲しみました。「哀歌」の著者もエレミヤです。 ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、 娘であ...
礼拝メッセージ

「私の盾」(礼拝メッセージ2019/02/10)

アブラムは、繁栄した町ウルで神様から祝福の召命を受け、ハランを経由してカナンの地にやって来ました。その後、飢饉によって一時エジプトに滞在し、更に甥のロトと分かれてカナンに住みました。 アブラムが敵対する王たちとの戦いに勝利した後、主のことばが彼に臨み、励ましと契約が与えられました。(創世記12~15章) 1.恐れるな! アブラムは何を恐れていたのでしょうか。アブラムは神様から子孫が増え、その子孫によって世界中が祝福されるという約束をいただいていましたが、子が与えられていない現状を見て失望し、神様を疑って将来に不安を持っていました。 それでは、私たちは今、何を恐れているのでしょうか。 ①自分自身の救い ②クリスチャン生活 ③将来の生活(経済、健康、国内・世界情勢) ④信仰が理解してもらえない ⑤家族の救い などでしょうか。 2.神様の選び ...
礼拝メッセージ

「イエス様の勝利、私の勝利」(礼拝メッセージ2019/02/03)

死のとげは罪であって、罪は律法〔の誤用〕を通してその力を〔人の上に〕働かせるのです。しかし、私たちの主イエス・キリストによって私たちに勝利を与えて〈私たちを征服者として〉くださる神に感謝します。 Ⅰコリント15:56,57(詳訳) 現代は争いを好まず、白黒をはっきりさせることより波風を立てずにうやむやに事を治めることが好まれます。相手を尊重することは大切ですが、聖書は「命と死」「勝利と敗北」を明確にしています。 私たちの信仰の歩みは、敗者の隠遁生活ではなく、すでに与えられているイエス様の勝利と命と恵みに満ちあふれたものです。 1.罪の働き この世には「神様(創造主、三位一体、全知全能、善、聖、命)」と「サタン・悪霊・罪(悪、汚れ、死)」が存在します。サタンは神様に反逆し、神様の愛する人間を罪によって滅ぼすことを目的としています。そして、神様が与えて下さった「律法」と...
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