礼拝メッセージ

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「今年なすべきこと」(2024年元旦礼拝メッセージ 2024/01/01)

 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。箴言 16:9  映画「奇跡の人」をご存じですか。目が見えず、耳が聞こえず、話すことができない三重苦でありながら、世界の福祉制度を変えた偉人ヘレン・ケラーだと思われがちですが、本当は「The Miracle Worker」(何かに対して働きかけて奇跡を起こす人)という意味で、ヘレン・ケラーの先生「アニー・サリバン」のことを指しています。アニー・サリバン先生も障害があり、大変不幸な生い立ちでした。 1.イエス様を伝えた人  アニー・サリバン(アン・サリバン)は、1866年米国マサチューセッツ州フィーディング・ヒルで、アイルランド系移民の貧しい農家に生まれた。3歳の時にトラコーマ(目の病気)になり、9歳の時に母が死亡。結核で体が不自由になった弟と共に救貧院に入れられたが、弟はすぐに亡くなり、アンもトラコーマが悪化して...
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「あわれみを求める」(礼拝メッセージ 2023/12/31)

 今日は新約聖書の教え14「祈りについての教え2」です。イエス様は人が義と認められる祈りについて教えてくださいました。同じ場所にやって来て祈った二人でしたが、一人は義と認められ、もう一人は認められませんでした。どこに違いがあったのでしょうか。 1.パリサイ人  イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。ルカ 16:15  パリサイ人は、宗教儀礼を忠実に行っており、不正をしていないので、自分の行いや正しさや考え方に自信を持ち、取税人を見下していました。 神様の審判を自分の力で乗り切れると思い、神様のあわれみやイエス様の力など必要ないと考えていました。彼の感謝は神様の恵みに対してではなく、取税人の罪や劣等性に対する優位性に対してでした。人間の基準ではすばらしいと思わ...
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「愛の基」(クリスマス聖日礼拝メッセージ 2023/12/24)

 クリスマスは私たちの心を明るくしホッとさせてくれます。ケーキやプレゼントがあるからでしょうか。いいえ、クリスマスには神様の愛があふれているからです。神様に背を向けて罪に陥ってしまった暗黒の世界に一筋の希望の光が到来した日がクリスマスです。その希望の陰には大きな犠牲が伴っていました。 1.御父に遣わされたイエス様  ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。1人の男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。・・・これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。       イザヤ 9:6,7  神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ 3:17  イエス様はたまたま現れて救い主になったわけではありません。イエス様は、天地万物を創造された...
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「神の国の到来」(聖日礼拝メッセージ 2023/12/17)

 今日は新約聖書の教え13「神の国の到来」です。神の国は現在到来している面と、将来到来する面があります。パリサイ人たちがイエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねたとき、イエス様は「目に見える形で来るものではない。あなたがたのただ中にある」すでに到来していると教えられました。  1.間違った「神の国」認識  イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とかいえるようなものではありません。・・・           ルカ 17:20,21(17:23)  パリサイ人は、イエス様が来たのだから、国家規模の劇的な変化や強大な力、天からのしるしを求めていたのかもしれません。イエス様は、「神の国は近づいた」と福音を伝え、病のいやし、罪の赦し、悪霊からの解放を宣言しました。それは、「神の国=神様の支配」がすでに到来したことを意味して...
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「信仰による救い」(聖日礼拝メッセージ 2023/12/10)

 今日は新約聖書の奇跡9「10人のツァラアトのいやし」です。イエス様は、ツァラアト(重い皮膚病)患者10人をいやされましたが、イエス様に感謝するために戻って来たのはサマリア人ただ一人でした。イエス様は、彼に信仰による救いの大切さを教えられました。 1.戻って来たサマリア人患部があるツァラアトに冒された者は・・・『汚れている、汚れている』と叫ぶ。・・・彼は汚れているので、ひとりで住む。レビ 13:45,46  ・・・祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。・・・祭司は彼をきよいと宣言する。・・・レビ 13:3~6(レビ 14:1~20)  イエス様は、ツァラアトの汚れのために遠く離れて癒しを願う10人に、祭司のところに行きなさいと言われました。彼らは癒される信仰をもって歩き出し、お言葉どおり癒されました。イエス様のあわれみと癒しの力です。しかし、イエス様に感謝するために戻って来...
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「放蕩息子」(聖日礼拝メッセージ 2023/12/03)

 今日は新約聖書のたとえ2「放蕩息子のたとえ」です。イエス様は、話を聞くために集まった取税人たちや罪人たちと彼らを受け入れるご自身に文句を言いに来たパリサイ人たちや律法学者たちに対して、このたとえ話をされました。両者にとって救われるための大切な話でした。 1.放蕩息子  弟のほうが父親に言った、『おとうさん、〔私が〕いただく財産の分け前を下さい』。父はその身代をふたり〈の間〉に分けた。それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部取りまとめて遠国に行き、そこで無謀な〈放蕩ざんまいの〉生活をして財産を浪費した。ルカ15:12,13(詳訳)  イエス様は、取税人たちや罪人たちを念頭におき、律法や人の道から外れて罪を犯した人々に、罪を認めて悔い改めることの大切さを教えておられます。弟は苦境の中で自分の愚かさと罪深さを悟って悔い改めました。彼は立ち返るべきところを間違えなかったことが幸い...
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「狭い門から入りなさい」(聖日礼拝メッセージ 2023/11/26)

 今日は新約聖書の教え12「神に捨てられるエルサレム(ルカ 13:34)」です。ある人が「イエス様に救われる人は少ないのですか。」と尋ねました。イエス様はさばきの日が来るから、狭い門から入るようにと教え、ご自身を拒むエルサレムに警告を与えられました。 1.狭い門から  狭い門を通って入りなさい。滅びに通じている門は広く、その道は広々として〈幅広く〉そこに入る者が多い。しかし、いのちに通じている門は狭く〈通りにくく〉、道はせばまって〈押しせばめられて〉いて、それを見いだす者が少ない。マタイ 7:13,14(詳訳)  イエス様は、人々が入りやすい滅びに至る広い門と、狭くて入りずらいけれどもいのちに至る狭い門を示され、狭い門から入るように勧めてくださいました。私たちの前には祝福とのろいが用意されています。  私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く、あなたはいのちを選びなさい。あ...
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「求め続けなさい」(聖日礼拝メッセージ 2023/11/19)

 今日は新約聖書の教え11「祈りについての教え1」です。イエス様は弟子たちに「主の祈り」を教え、さらに私たちが祈りつつ「求め、探し、たたく」能動的で継続的な行動が祝福につながると教えてくださいました。 1.求め続けよ  そこで私はあなたたちに言う、求めよ〈求め続けよ〉。そうすれば与えられる。捜せ〈捜し続けよ〉。そうすれば見出す。たたけ〈たたき続けよ〉。そうすれば戸は開かれる。だれでもみな求める〈求め続ける〉者は受け、捜す〈捜し続ける〉者は見出し、たたく〈たたき続ける〉者には戸が開かれるからである。ルカ 11:9~10(詳訳)  イエス様は、私たちがご自身に信頼して求め続ける信仰と親密な関わりを期待しておられます。それは、ご自身があふれるばかりの祝福を与えようと待ち構えておられることを表しています。(エペソ 1:3) 2.三つのたとえ  イエス様は、熱心に求めることの大切さと神様は...
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「休ませよう」(聖日礼拝メッセージ 2023/11/12)

 今日は新約聖書の出来事12「イエスの招き」です。イエス様は元気な人、自信満々な人、知識人、悟りを開いた人ではなく、自分の弱さに失望し、失敗を重ね、負いきれない重荷に押しつぶされそうになって、疲れ果てている人を招いて休ませてくださいます。 1.重荷を負っている人  苦労しまた重荷を負っている〈重すぎる荷を背負っている〉者はみな、私のところに来なさい。そうしたら私はあなたたちを休ませる。〈あなたたちの魂を安らかにする《助け出す《元気づける》〉マタイ11:28(詳訳)  すべての人は重荷を負っています。重荷を負っていない人はいないでしょう。イエス様は重すぎる荷を負っている人を招いておられます。それは同情するためではなく、その重荷から解放するためです。重すぎる荷を負うとは次のようなケースがあります。  ①本当は重荷ではないが、自分が重荷にしてしまっている場合:取り越し苦労やどうすることも...
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「真理と自由」(聖日礼拝メッセージ 2023/11/05)

 今日は新約聖書の教え10「宮での教え」です。イエス様はご自分を信じた(表面的、一時的)と言うユダヤ人たちに「真理はあなたがたを自由にします。」、皆が罪の奴隷であるが、そこから真理(イエス様)によって自由を得ることができると教えられました。 1.ユダヤ人たちのまちがい  あなたたちは自分の父の行ないをしている。」彼らは言った、「私たちは私生児ではない〈淫行によって生まれたのではない〉。私たちにはただ一人の父、すなわち神がおられる」。イエスは言われた、「もし神があなたたちの父であるならば、あなたたちは私を愛する〈敬う〈喜んで迎える〉はずである。ヨハネ 8:41,42(詳訳)  ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫であって汚れた者ではなく、今まで誰の奴隷にもなったことはないと反発しました。彼らは心からイエス様を救い主として信じて従っていたわけではなく、イエス様を信じる信仰よりも自分...
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