礼拝メッセージ

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「王子の婚宴のたとえ」(聖日礼拝メッセージ 2024/02/04)

 今日は新約聖書のたとえ5「王子の婚宴のたとえ」です。イエス様は、前段の「ぶどう園の兄弟のたとえ」(マタイ21:28~32)、「ぶどう園の悪い農夫のたとえ」(マタイ21:33~46)に続けて今回の「王子の婚宴のたとえ」を話されました。神様の招きを拒絶した律法学者・パリサイ人(イスラエル民族)と新たに招かれた異邦人にたとえられています。 1.神様の招きを拒否  祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちについて話しておられることに気づいた。マタイ 21:45  天の御国が王子の婚宴にたとえられています。王が王子の披露宴にお客さんを招待したところ、招待客は来ようともせず、遣わされたしもべたちを虐殺してしまいました。これは、神様が根気強く預言者たちを送ってイスラエルの民を罪から救おうとされたのに、預言者たちは殺され、神様のひとり子救い主イエス様も拒絶されたこ...
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「ミナのたとえ」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/28)

 今日は新約聖書のたとえ4「ミナのたとえ」です。「タラントのたとえ」(マタイ25:14~30)と類似していますが、相違点も多くあります。イエス様は、神の国の到来(イエス様の再臨)を、身分の高い人が王位を授かるために遠国に旅立ち、十人のしもべに一ミナ(約百万円)ずつ与えて商売をさせたことにたとえました。先週は、人の身分や行いではなく、神様の恩寵と寛容さによって等しく救いが与えられるお話でしたが、今日は、主のみこころを忠実に行ったかどうかが問われるお話です。 1.神様に対する責任  さて、彼は王位を授かって帰って来ると、お金を与えておいたしもべたちを呼び出すように命じた。彼らがどんな商売をしたかを知ろうと思ったのである。ルカ 19:15  身分の高い人は、十人のしもべを集め、彼らが与えられた一ミナ(約百万円)をどのように活用したかを確認しようとしました。それぞれ商売の結果を報告したが、主...
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「後の者が先になる」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/21)

 今日は新約聖書のたとえ3「ぶどう園の労働者のたとえ」です。イエス様は、天の御国をぶどう園の主人にたとえました。ぶどう園の主人は、朝早くから一日働いた労働者と終業時間間近に雇われて一時間しか働かなかった労働者に同じ報酬を支払いました。天の御国(神様)の恩寵と寛容さを示しています。 1.ぶどう園の労働者  彼らはそれを受け取ると、主人に不満を漏らした。『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』マタイ 20:11,12  ぶどう園は、雨期を目前にして猫の手も借りたいほど忙しい収穫期でした。ぶどう園の主人は早朝から何度も市場に出かけて行って労働者を搔き集めました。主人は彼らに契約通りの賃金1デナリを払いました。それに対して、一日中働いた労働者は不平を言いましたが、主人は「不当なことはしてい...
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「幼子の祝福」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/14)

 今日は新約聖書の出来事13「幼子の祝福」です。イエス様に祝福してもらおうと子どもたちが連れて来られましたが、弟子たちは叱って追い返そうとしました。それを見てイエス様は憤って邪魔をしてはいけないと言われました。イエス様に近づく者を妨げることは大きな罪です。私たちも神様の前に価値なき者でしたが、イエス様は受け入れてくださいました。 1.弟子たちの価値観  さて、イエスに触れていただこうと、人々は幼子たちまで連れて来た。ところが、弟子たちはそれを見て叱った。ルカ 18:15  わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは人々の前で天の御国を閉ざしている。おまえたち自身も入らず、入ろうとしている人々も入らせない。マタイ 23:13  弟子たちはイエス様と一緒に生活していましたが、イエス様の気持ちが分からず、自分たちの価値観で行動していました。幼い子どもたちはイエス様に近づいたり、...
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「主が目をとどめておられる」(聖日礼拝メッセージ 2024/01/07)

 正月早々、能登半島地震、航空機衝突事故など大きな出来事が発生しました。そんな中、ヤマザキパンがいち早く被災地に届けられました。クリスチャンで三代目社長の飯島延浩氏(82歳)は、「ヤマザキは、聖書の教え、キリスト教の精神に導かれる事業経営を徹底して追求する会社」、被災地への緊急支援は『食品企業としての責務』としています。神様への愛と信仰に裏打ちされた方です。私たちも主を前にして歩みましょう。 1.エジプトから約束の地へ  あなたの神、主が求められる地で、年の初めから年の終わりまで、あなたの神、主が絶えずその上に目をとどめておられる地である。申命記11:12  イスラエルの民は、神様とモーセに導かれてエジプトを脱出し、約束の地カナンを目指していました。彼らは、偶像崇拝と罪と束縛の中から救い出され、神様のご支配と愛と赦しの中に招き入れられました。私たちも偶像崇拝と罪と束縛から主の栄光へと...
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「今年なすべきこと」(2024年元旦礼拝メッセージ 2024/01/01)

 人は心に自分の道を思い巡らす。しかし、主が人の歩みを確かにされる。箴言 16:9  映画「奇跡の人」をご存じですか。目が見えず、耳が聞こえず、話すことができない三重苦でありながら、世界の福祉制度を変えた偉人ヘレン・ケラーだと思われがちですが、本当は「The Miracle Worker」(何かに対して働きかけて奇跡を起こす人)という意味で、ヘレン・ケラーの先生「アニー・サリバン」のことを指しています。アニー・サリバン先生も障害があり、大変不幸な生い立ちでした。 1.イエス様を伝えた人  アニー・サリバン(アン・サリバン)は、1866年米国マサチューセッツ州フィーディング・ヒルで、アイルランド系移民の貧しい農家に生まれた。3歳の時にトラコーマ(目の病気)になり、9歳の時に母が死亡。結核で体が不自由になった弟と共に救貧院に入れられたが、弟はすぐに亡くなり、アンもトラコーマが悪化して...
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「あわれみを求める」(礼拝メッセージ 2023/12/31)

 今日は新約聖書の教え14「祈りについての教え2」です。イエス様は人が義と認められる祈りについて教えてくださいました。同じ場所にやって来て祈った二人でしたが、一人は義と認められ、もう一人は認められませんでした。どこに違いがあったのでしょうか。 1.パリサイ人  イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれるものは、神の前では忌み嫌われるものなのです。ルカ 16:15  パリサイ人は、宗教儀礼を忠実に行っており、不正をしていないので、自分の行いや正しさや考え方に自信を持ち、取税人を見下していました。 神様の審判を自分の力で乗り切れると思い、神様のあわれみやイエス様の力など必要ないと考えていました。彼の感謝は神様の恵みに対してではなく、取税人の罪や劣等性に対する優位性に対してでした。人間の基準ではすばらしいと思わ...
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「愛の基」(クリスマス聖日礼拝メッセージ 2023/12/24)

 クリスマスは私たちの心を明るくしホッとさせてくれます。ケーキやプレゼントがあるからでしょうか。いいえ、クリスマスには神様の愛があふれているからです。神様に背を向けて罪に陥ってしまった暗黒の世界に一筋の希望の光が到来した日がクリスマスです。その希望の陰には大きな犠牲が伴っていました。 1.御父に遣わされたイエス様  ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。1人の男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。・・・これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。       イザヤ 9:6,7  神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。ヨハネ 3:17  イエス様はたまたま現れて救い主になったわけではありません。イエス様は、天地万物を創造された...
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「神の国の到来」(聖日礼拝メッセージ 2023/12/17)

 今日は新約聖書の教え13「神の国の到来」です。神の国は現在到来している面と、将来到来する面があります。パリサイ人たちがイエス様に「神の国はいつ来るのか」と尋ねたとき、イエス様は「目に見える形で来るものではない。あなたがたのただ中にある」すでに到来していると教えられました。  1.間違った「神の国」認識  イエスは彼らに答えられた。「神の国は、目に見える形で来るものではありません。『見よ、ここだ』とか、『あそこだ』とかいえるようなものではありません。・・・           ルカ 17:20,21(17:23)  パリサイ人は、イエス様が来たのだから、国家規模の劇的な変化や強大な力、天からのしるしを求めていたのかもしれません。イエス様は、「神の国は近づいた」と福音を伝え、病のいやし、罪の赦し、悪霊からの解放を宣言しました。それは、「神の国=神様の支配」がすでに到来したことを意味して...
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「信仰による救い」(聖日礼拝メッセージ 2023/12/10)

 今日は新約聖書の奇跡9「10人のツァラアトのいやし」です。イエス様は、ツァラアト(重い皮膚病)患者10人をいやされましたが、イエス様に感謝するために戻って来たのはサマリア人ただ一人でした。イエス様は、彼に信仰による救いの大切さを教えられました。 1.戻って来たサマリア人患部があるツァラアトに冒された者は・・・『汚れている、汚れている』と叫ぶ。・・・彼は汚れているので、ひとりで住む。レビ 13:45,46  ・・・祭司はそれを調べ、彼を汚れていると宣言する。・・・祭司は彼をきよいと宣言する。・・・レビ 13:3~6(レビ 14:1~20)  イエス様は、ツァラアトの汚れのために遠く離れて癒しを願う10人に、祭司のところに行きなさいと言われました。彼らは癒される信仰をもって歩き出し、お言葉どおり癒されました。イエス様のあわれみと癒しの力です。しかし、イエス様に感謝するために戻って来...
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