礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

「死者の中からの復活」(イースター聖日礼拝メッセージ 2025/04/20)

今日はイースター、復活祭です。私たちを罪から救うのために天から来られ、身代わりの死を遂げられたイエス様。しかし、黄泉からの復活によって、ご自身が神の子であり救い主であることを、世界中の人々に示されました。イエス様の復活と私たちの救いを喜び歌いましょう。 1.あらかじめ約束された復活  後のことを予見し、キリストの復活について、『彼はよみに捨て置かれず、その体は朽ちて滅びることがない』と語ったのです。このイエスを、神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。使徒 2:31,32  あなたはわたしのたましいをよみに捨て置かず あなたにある敬虔な者に 滅びをお見せにならないからです。詩篇 16:10  イエス様の復活は何の前触れもなく唐突に発生したものではなく、旧約聖書の詩篇においてダビデがすでに予告していました。ですから不思議なことではなく聖書の当然の主張です。輪廻転生や...
礼拝メッセージ

「私たちの背きのため」(聖日礼拝メッセージ 2025/04/13)

 今週は受難週、今日は棕櫚の主日です。私たちを罪から救うのために苦難を受けてくださったイエス様に思いをはせましょう。預言者イザヤは、 700年以上前にメシアなるイエス様を仰ぎ見て、メシアに関する預言を記しました。イザヤ書には4つの「しもべの歌」が記されており、そのしもべは私たちの救い主イエス様です。  第1 イザヤ42:1~4,7  寄り添う解放者 ⇒ マタイ12:18~21  第2 イザヤ49:1~6    世界の救い主  ⇒ ルカ  2:32  第3 イザヤ50:4~11   苦難を受ける主 ⇒ マタイ27:26,30,26:39,67  第4 イザヤ52:13~53:12 私たちの咎を負う主⇒ ルカ18:31~33,ヨハネ12:38,マタイ8:17 1.蔑(さげす)まれたしもべ  同じように祭司長たちも、律法学者たち、長老たちと一緒にイエスを嘲って言った。「他人は救った...
礼拝メッセージ

「イエス・キリストの黙示」(聖日礼拝メッセージ 2025/04/06)

 今年度はヨハネの黙示録を学んでいきます。今日は、ヨハネの黙示録1「緒論」です。ヨハネは、AD95年頃にドミティアヌス帝の迫害でパトモス島に流刑となり、翌年釈放されてエペソに帰りパトモス島で見た幻について書き記したと言われています。(パトモス島で書いた可能性もあります。) ヨハネは、小アジアの7つの教会へのメッセージと今後起ころうとしている教会時代の終わりから新天新地の到来までについて、幻によって示されて書き記しました。 1.黙示録(レボリューション、アポカリュプシス)とは  それゆえ、あなたが見たこと、今あること、この後起ころうとしていることを書き記せ。黙示録 1:19  黙示録とは「覆いを取り去るもの」という意味で、来るべき時代である神様とイエス様の最終的勝利・統治と新天新地の覆いを取って明らかにしたものです。黙示録は新約聖書の中の預言書で、イエス様が語られた終わりの日(主の日)...
礼拝メッセージ

「走るべき道のり」(聖日礼拝メッセージ 2025/03/30)

 今日は使徒の働き32「ローマでのパウロ(2)」です。パウロは第4回伝道旅行後に再度逮捕されてローマに連れ戻され、AD67年頃斬首により殉教したようです。テモテへの手紙第二は処刑を待つ間に書かれたパウロの最後の手紙と言われています。パウロは殉教を目前にして、自分が信じて歩んできた道に一点の曇りも後悔もなく、自分を救ってこの人生に召してくださったイエス様に感謝し、イエス様が天で自分を歓迎して義の栄冠を授けてくださると確信しています。 1.パウロの殉教  私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。Ⅱテモテ 4:6  AD64年、皇帝ネロは壮麗なローマ市再建のため自身で放火し、奴隷が多かったクリスチャンの罪にして処刑しました。これが迫害の始まりとなり、パウロ(Ⅱテモテ 2:9)とペテロも捕らえられて殉教しました。パウロは濡れ衣を着せられたクリスチャンたちの指導者とし...
礼拝メッセージ

「信仰の戦い」(聖日礼拝メッセージ 2025/03/23)

 今日は使徒の働き31「第4回伝道旅行」です。パウロはAD61年か62年に釈放され、伝承によればAD63年~67年に第4回伝道旅行でスペイン、ギリシア、小アジアに行きました。パウロはテモテに手紙を書き、牧会上の注意と教えと励ましを与えて、信仰の戦いを立派に戦い抜くよう命じています。 1.テモテ  その信仰は、最初あなたの祖母ロイスと母ユニケのうちに宿ったもので、それがあなたのうちにも宿っていると私は確信しています。Ⅱテモテ 1:5  パウロはテモテに「信仰による、真のわが子テモテへ」と呼びかけています。テモテはパウロの伝道によって回心しました。テモテは、パウロの伝道旅行に同行し、パウロの手紙の共同の送り手にもなっています。エペソの教会は、パウロの伝道によって始まって非常に成長し、その地方の中心的な存在となっていました。その教会をテモテが牧会していました。 2.牧会上の問題点  あ...
礼拝メッセージ

「礼儀正しい者」(聖日礼拝メッセージ 2025/03/16)

 今日は使徒の働き30-4「ローマでのパウロ(1)テトスへの手紙」です。 テトスへの手紙はテモテへの手紙Ⅰ、Ⅱと共に牧会書簡と呼ばれています。テトス(ギリシア人)は「使徒の働き」には登場しませんが、パウロの右腕として伝道旅行に同行し、エルサレムにも上り、コリント教会の問題を解決し、クレタ教会の牧会を任されました。パウロはクレタでの牧会上のアドバイスを与えています。 1.テトス  しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことで私たちを慰めてくださいました。Ⅱコリント 7:6  それから十四年たって、私はバルナバと一緒に、テトスも連れて、再びエルサレムに上りました。ガラテヤ 2:1   テトスはダルマティアに行きました。Ⅱテモテ 4:10  パウロはテトスを信頼して聖徒のための募金集めと問題解決のためにコリントに派遣し、クレタの教会を任せました。パウロが逮捕されてローマ...
礼拝メッセージ

「主のための苦しみ」(聖日礼拝メッセージ 2025/03/09)

 今日は使徒の働き30-3「ローマでのパウロ(1)ピリピ人への手紙」です。パウロは、ローマでの2年間の軟禁生活中に聖書の手紙(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)を執筆しました。ピリピ教会はパウロが第2回伝道旅行でヨーロッパで最初(AD51年頃)に立てた教会です。パウロは軟禁状態にあり、手紙でキリストのための苦しみを教えながらも「喜び」ということばを16回も用いてキリストにある「喜び」を教えています。 1.ピリピ教会  ・・・リディアという名の女の人が聞いていた。・・・彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、・・・看守はその夜、時を移さず二人を引き取り、打ち傷を洗った。そして、彼とその家の者全員が、すぐにバプテスマを受けた。・・・牢を出た二人はリディアの家に行った。そして兄弟たちに会い、彼らを励ましてから立ち去った。使徒 16:14~40  ピリピの町はローマの植民地であった...
礼拝メッセージ

「神を知ることにおいて」(聖日礼拝メッセージ 2025/03/02)

 今日は使徒の働き30-2「ローマでのパウロ(1)コロサイ人への手紙」です。パウロは、ローマでの2年間の軟禁生活中に聖書の手紙(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)を執筆しました。パウロはコロサイ教会を訪れたことはなく、設立に関わったわけではありませんが、兄弟姉妹を通して深い関わりがありました。この手紙はエパフラスから聞いた教会内の危険な異端の働きに対して正しい教えを伝えたものです。 1.コロサイ教会  ・・・あるいは祭りや新月や安息日のことで、誰かがあなたがたを批判することがあってはなりません。・・・自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。・・・かしらにしっかり結びつくことをしません。コロサイ 2:16~19  コロサイ教会はエパフラスによって設立され(コロサイ1:7)、アルキポ、ピレモン、オネシモたちが所属していました。コロサイはエペソ...
礼拝メッセージ

「召しにふさわしく歩みなさい」(聖日礼拝メッセージ 2025/02/23)

 今日は使徒の働き30-1「ローマでのパウロ(1)エペソ人への手紙」です。パウロは、ローマでの2年間の軟禁生活中に来訪者に福音を語り、聖書の手紙(エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモン)を執筆しました。パウロは、異教の迫害の中で奮闘しているエペソの兄弟姉妹を励ましました。 1.エペソ教会  ・・・毎日ティラノの講堂で論じた。これが二年続いたので、アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。・・・こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。使徒 19:9~20  パウロは、第2回伝道旅行の往路で北方へ導かれたため復路でエペソに立ち寄って会堂で教えました。第3回伝道旅行で再訪して3年間(AD54~57)にわたって伝道し、教会の拠点を作りました(使徒19章)。エペソは女神アルテミス神殿を擁する25万人都市で、クリスチャンが増えたことによってアルテミス神殿模型の製...
礼拝メッセージ

「パウロ、ローマへ」(聖日礼拝メッセージ 2025/02/09)

 今日は使徒の働き29「パウロ、ローマへ」です。パウロはカイサリアで総督に対してカエサルに上訴することを希望したので船でイタリアのローマへ行くことが決まり、他の囚人と共に百人隊長ユリウスに引き渡されました。しかし、ユリウスがパウロの進言よりも船長の意見を優先したために、リキアのミラから乗り込んだアレクサンドリアの穀物定期船が大嵐に遭い難船してしまいました。パウロはAD60年初秋に出発し、マルタ島で冬の3ヵ月を過ごし、AD61年早春にローマに到着したと思われます。 1.地中海での難船  ・・・もはや航海は危険であった。そこでパウロは人々に警告して、「皆さん。私の見るところでは、この航海は積荷や船体だけでなく、私たちのいのちにも危害と大きな損失をもたらすでしょう」と言った。しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。使徒 27:9~11  パウロは他の囚人と...
タイトルとURLをコピーしました