礼拝メッセージ

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あわれみ深い神(2010/12/12礼拝メッセージ)

 しかし、彼ら、すなわち私たちの先祖は、かってにふるまい、うなじをこわくし、あなたの命令に聞き従いませんでした。  彼らは聞き従うことを拒み、あなたが彼らの間で行なわれた奇しいみわざを記憶もせず、かえってうなじをこわくし、ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷の身に戻ろうとしました。それにもかかわらず、あなたは赦しの神であり、情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かであられるので、彼らをお捨てになりませんでした。    ネヘミヤ 9:16,17  神様の民イスラエル人は、捕囚から帰還してみことばを聞き、心から悔い改めました。  神様がいかに彼らを愛し、忍耐をもって臨んでこられたかが証しされました。  神様は、天地の創造主・裁き主・絶対者であって、ほめたたえられ、賛美され、信じられ、崇められ、仕えられるべきお方です。間違っても、けなされたり、侮辱されたり、軽んじられたり...
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見捨てられた神の宮(2010/12/05礼拝メッセージ)

 私は、レビ人の分が支給されないので、仕事をするレビ人と歌うたいたちが、それぞれ自分の農地に逃げ去ったことを知った。私は代表者たちを詰問し、「どうして神の宮が見捨てられているのか。」と言った。そして私はレビ人たちを集め、もとの持ち場に戻らせた。                       ネヘミヤ記 13:10,11  総督であったネヘミヤは、バビロン捕囚からの帰還後、様々な困難に直面しながらも信仰によってエルサレムの城壁を立て直し、宗教改革を断行した人である。  彼は、国民全体を悔い改めに導き、主との契約を更新して主の下に立ち返らせました。  しかし、彼がペルシャ王アルタシャスタの下に一時帰国している留守の間に、国民は元の不信仰に逆戻りして悪弊が生じてしまいました。多くの国民の信仰が後退してしまったのです。 ①旧敵トビヤ(ネヘミヤたちの城壁再建を妨害した張本人)に神殿の一...
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神に近づく者(2010/11/28礼拝メッセージ)

 豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。  そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。  見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。  すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。                                                                  マルコ 5:14~17  イエス様は、多くの人々の近くにいて下さいました。イエス様のほうから近づいて来て下さったのです。人々はイエス様のすばらしさに感動し、惹きつけられていつも付いて歩いていました。しかし、ゲラサの人々...
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罪のための代価 (2010/11/21礼拝メッセージ)

 これらの一つについて罪に定められたときは、それを犯した罪を告白しなさい。自分が犯した罪のために、罪過のためのいけにえとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、主のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。祭司はその人のために、その人の罪の贖いをしなさい。  しかし、もし彼が羊を買う余裕がなければ、その犯した罪過のために、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を主のところに持って来なさい。一羽は罪のためのいけにえとし、他の一羽は全焼のいけにえとする。                   レビ記 5: 5~7  旧約時代のイスラエル民族は、罪を犯した時「告白と悔い改めが必要」「血を流すことなしに、罪の赦しはない」ということを教えられていました。主は、彼らに罪を告白させて悔い改めに導かれ、いけにえをささげさせました。いけにえをささげる者は、いけにえに手を置いて自分の身代わりになる...
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主の慰め(2010/11/14 礼拝メッセージ)

 もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。  もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。   私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。                      詩篇 94: 17~19    私たちは、気落ちしやすい者です。モチベーションを保ち続けて行くことに困難を感じやすい者です。心身ともに疲れ果ててフラフラになることもあります。思い煩いで滅入ることもあります。チョッとしたことで喜び、チョッとしたことで落ち込みます。  それは、「結果が見えないことから来る不安」「自分の思い通りにならないことから来る不満」「主のみこころに従っていないこと」「思い違いをしていること」から来ます。  主イエス...
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たましいをお任せしなさい 10/17

「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」(Ⅰペテロ 4:16~19) さばきがクリスチャンから始まっています。 イエス様を愛して従っているのか、それとも自分自身を愛しているのかが問われています。 「キリスト者として苦しみを受ける」とは、自分自身を喜ばせるのではなく、イエス様を喜ばせることです。 ...
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