礼拝メッセージ

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「イエス様の願い」(礼拝メッセージ2012/10/18)

 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。  なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。  イザヤ 55: 1,2  イエス様は私たちを元気づけようとされています。そんなに忠実でも、そんなに信仰深くもない者のために、イエス様は大変気遣って下さっています。イエス様は私たちに次のことを願っています。  ①イエス様から無料で良いものをたくさん受け取りなさい。イエス様に聞き従う者だけが受け取ることが出来ます。            イザヤ 55: 1,2  ②イエス様を求め、いつもイエス様の元に立ち帰る。  主を求めよ。お会いできる間...
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「喜びの信仰」(礼拝メッセージ2012/10/21)

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。  御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。          Ⅰテサロニケ 5: 16~21  私たち「いつも喜んでいなさい。祈りなさい。感謝しなさい。」ということばによって、普段の生活で、○○せねばならないという強迫観念に捕らわれて、自分はいつも喜べないダメなクリスチャンだと落ち込むことがあります。 また、「いつもいつも順調で良いことばかりではない。毎日毎日うれしいことばかりあるわけではない」と反発する思いも沸いてきます。  しかし、みことばは、良いことやうれしいことが毎日やってくるから「喜びなさい」と言っているのでしょうか。かえって、イエス様に忠...
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「苦労する神、労苦しない人間」(礼拝メッセージ2012/10/14)

 しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった。イスラエルよ。あなたはわたしのために労苦しなかった。   あなたはわたしに、全焼のいけにえの羊を携えて来ず、いけにえをささげて、わたしをあがめようともしなかった。わたしは穀物のささげ物のことで、あなたに苦労をさせず、乳香のことであなたを煩わせもしなかった。   あなたはわたしのために、金を払って菖蒲を買わず、いけにえの脂肪で、わたしを満足させなかった。かえって、あなたの罪で、わたしに苦労をさせ、あなたの不義で、わたしを煩わせただけだ。              イザヤ 43:22~24  創造主であり、裁き主であり、絶対者である神様が人間のために苦労し、神様に服従し、仕えるべき人間が自分勝手に生活して何の労苦もしない。それどころか、かえって、罪を犯して神様を煩わせています。実に不思議なことであり、あってはならないことです。し...
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「求めるべきものは?肉or霊」(礼拝メッセージ2012/10/07)

 ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。  しかし主は、知恵ある方、わざわいをもたらし、みことばを取り消さない。主は、悪を行なう者の家と、不法を行なう者を助ける者とを攻めたてられる。  エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる。 イザヤ 31:1~3    人は目に見える力についつい頼ってしまい、イスラエルのように神様の指示を仰がず、神様を信頼もせずにエジプト軍と同盟を結んでしまいます。神様は、イスラエルに対しても、エジプトに対しても徹底的に戦うと言われます。 旧約聖書を見ると、あらゆる戦いが軍事力ではなく、霊的な戦いであることがわかります(イザヤ 2:22,37:...
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主を軽んじることの恐ろしさと主の哀れみ(礼拝メッセージ2012/09/30)

 ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。  ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えようか。     イザヤ 29:15,16  主は、愛するアリエル(シオンの山、エルサレム)を愛するがゆえにアッシリヤによって懲らしめて、悔い改めへと導きます。口先だけで主をあがめ、人間的な教えしか受け入れない彼らは、真理から全く遠ざけられてしまいました。(イザヤ29:9~14)  へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。           イザヤ 29:19  しかし、心から悔...
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「聖霊様がともにいて下さる。」(礼拝メッセージ2012/09/23)

 ペテロは、アジア地方のパウロが主に伝道して建てられた教会の兄弟姉妹に、神様の恵みとクリスチャンの生き方を教え、励ましを与えるために手紙を書きました。  時まさに、ローマで皇帝ネロのクリスチャンに対する激しい迫害が始まった時であり、彼らの所にも迫害が及ぶことを予測し、その中にあってクリスチャンとしてどのように生きるべきかを示しました。 ① イエス様と同じ心構え  このように、キリストは(私たちのために、あなたがたのために)肉において苦しまれたのですから、あなたがたも〔神を喜ばせないで終わるよりは、むしろ、忍耐深く苦しもうというキリストと〕同じ思い<決意>をもって自分を武装しなさい。というのは、〔キリストの心をもって〕肉において苦しみを受けた者は、〔故意の〕罪を行うことをやめてしまったのです<自分自身とこの世とを喜ばせることをやめて、神に喜んでいただくようにす...
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「主イエス様の尽きない恵み」(2012/09/16礼拝メッセージ)

 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。    イザヤ 46: 3,4  神様から選ばれたイスラエルの民は、どれほど恵みをいただいてきたことでしょうか。神様から良きものをいただき、悪から守られ、すばらしい約束を与えられて導かれて来ました。でも、彼らは神様に従いませんでした。(イザヤ 5: 4)  神様の恵みとは「厚意、思いやり、愛のこもったいつくしみ、あわれみ、働き(功績)によらない、身に余る愛顧と霊的な祝福」と説明されます。(詳訳聖書)  それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせ...
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「酸いぶどうから甘いぶどうへ」(礼拝メッセージ2012/09/09)

「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。  彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。 イザヤ 5: 1~ 2  神様は、イスラエルを選び、エジプトの奴隷状態から救い出し、約束の地カナンに住まわせました。あらゆる恵みと祝福を与えて神様の民として育んできました。  しかし、イスラエルは高ぶり、神様の教えと戒めに歩まず、みことばを軽んじて自分勝手な罪の道に走ってしまいました。国の指導者や信仰の指導者が不正に走り、人々は神様にではなく、死人に伺いを立てるようになってしまいました。主は、イザヤを遣わし、彼らの信仰を立ち直らせようとしました。  私の耳に、...
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「イエス様の旗は愛」(礼拝メッセージ2012/09/02)

雅歌は、「Song of Solomon」と言われ、ソロモン王とシュラムの婦人との愛の叙情詩です。男女の愛の熱情と喜びに満ちあふれています。雅歌については、昔から多くの解釈がなされています。    ・イスラエルに対する神の愛  ・花嫁である教会に対するキリストの愛  などとも解されますが、人間の愛の美しさと不思議さをたたえ、肉体的魅力に対する率直でおおっぴらな歓喜が現されている。   私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花。  わが愛する者が娘たちの間にいるのは、いばらの中のゆりの花のようだ。  私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木の中のりんごの木のようです。私はその陰にすわりたいと切に望みました。その実は私の口に甘いのです。  あの方は私を酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。    雅歌 2: 1~4   神様は人...
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「人は本当は何も知らない」(礼拝メッセージ2012/08/26)

 あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。  伝道者の書 11:5  人は、あたかも何かを知っており、人生の何たるかを知っているかのように思い違いをして生きようとしています。  自分自身のこと、家族との関係、隣人との関係、仕事や生活のこと、将来のこと、死後のこと、人生の価値観、人生の規範、神様・イエス様・聖霊様・聖書のことなどなど、自分の経験と教えられ学んだことによって、いろんなことを知っていると思い込んで行動します。  しかし、人は聖書と聖霊様によらなければ何一つ知ってはいないし、何も持ってはいません。  自分自身の判断で「こういう生き方がベストだ」「この程度の生き方でイエス様の祝福をいただけるんだ」「この判断がベストだ」「この程度の服従でいいんだ」「将来のことはこの生き方でいいんだ」などと考えています。  みことばは私たちに勧めます。  1)将来について備え...
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