礼拝メッセージ

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「理屈を捜し求める人間への3つの忠告」(礼拝メッセージ2012/08/19)

 神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。 伝道者の書 7:29  歴史上最も知恵と知識に富んだソロモン王が、あらゆる経験を通して今、私たちに3つの忠告を与えます。  1)過去をうらやんではならない。   「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。           伝道者の書 7:10  私たちは、イエス様によって罪と滅びから救い出され、日々新たにされています。日々イエス様に近づいているのです。  2)順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。  神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。            伝道者の書 7...
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「主を恐れることのすばらしさ」(礼拝メッセージ2012/08/12)

 幸いなことよ。  いつも主を恐れている人は。  しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。        箴言28:14  麗しさはいつわり。  美しさはむなしい。  しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。      箴言31:30   主を恐れるとは、恐怖心を持って尻込みすることではなく、畏怖の念を持つことです。  人は、いつも勘違いしやすい性質を持っています。イエス様を信じるクリスチャンであっても例外ではありません。自分にすべてを正しく判断する能力があり、すべてを決める権利があると思ってしまいます。  しかし、みことばによると私たちはイエス様の言いなりになるために救われ、服従することによって幸いと祝福をいただくことができます。逆に、自分優先の判断と自分の権利の主張、心の王座に自分を座らせることは、サタンと悪霊の思うつぼであり、災いと信仰の破船のさきがけとな...
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「試みの中にある私たち」(礼拝メッセージ2012/08/05)

 悪い者たちをねたんではならない。  彼らとともにいることを望んではならない。 箴言24: 1   神様を信じない連中をうらやんではいけません。  仲間になろうと思ってもいけません。    箴言24: 1(リビングバイブル)   イエス様を信じるクリスチャンは常に試みの中にあります。  私たちの周りには、みことばを信じさせまいとするもの、イエス様に従わせまいとさせるもの、惑わすもの、疑わせようとするもの、不従順にさせようとするもの、怠惰にさせようとするもの、力があります。  その力が、私たちの心の中にある「いつも神様に逆らって自分の思いを成し遂げようとする自己中心的な心」に働きかけるのです。  そのために、箴言では次のようなことに注意するように言われています。   ①悪人をうらやんではならない。       箴言24:1,19,20  ②自分の責任を果たしな...
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「人の計画と主の計画」(礼拝メッセージ2012/07/27)

  人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。  人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。  しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。  あなたのしようとすることを主にゆだねよ。  そうすれば、あなたの計画はゆるがない。 箴言16: 1~3   聖書を見ると、人は自分で人生の計画を立てて実行に移すことの出来る独立した人格を持った自由な存在であることがわかります。しかし、その計画には「自分中心の計画」と「神様中心の計画」の2種類があり、それを判断し、評価するのは人間ではなく神様御自身です。いくら自分が納得する立派な計画を立てて実行したとしても評価するのは神様です。  同じ箇所をリビングバイブルで見てみましょう。   人は計画を立てますが、その結果を決めるのは神様です。  自分が正しいと思うのは簡単です。しかし、神様は納得なさいません。  自分でしようと思わず...
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「あざける者と知恵のある者」(礼拝メッセージ2012/07/22)

 あざける者を戒める者は、自分が恥を受け、悪者を責める者は、自分が傷を受ける。あざける者を責めるな。おそらく、彼はあなたを憎むだろう。知恵のある者を責めよ。そうすれば、彼はあなたを愛するだろう。知恵のある者に与えよ。彼はますます知恵を得よう。正しい者を教えよ。彼は理解を深めよう。  主を恐れることは知恵の初め、聖なる方を知ることは悟りである。 箴言 9: 7~10   聖書には、みことばに従順な者と不従順な者が登場しています。主に従おうとする者は教え、忠告、戒めを素直に聞いて決断し、主に信頼して自ら努力します。しかし、自分中心に生きる者は、教え、忠告、戒めを毛嫌いし、いろいろな言い訳をこじつけてそれらを受け入れようとしません。イエス様とみことばに従わなくてもいいように理由を並べて自分の都合の良いように生きていくと、今度は、その自分が作った言い訳の中に捉えられていきます。そうすると、...
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見捨てることのできない神(礼拝メッセージ2012/07/15)

 主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。 主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。 詩篇 145: 8,9  主は倒れる者をみなささえ、かがんでいる者をみな起こされます。すべての目は、あなたを待ち望んでいます。あなたは時にかなって、彼らに食物を与えられます。          詩篇 145:14,15   ダビデは主の情け深さ、あわれみ深さを経験してきました。サウロから命を狙われ、打ちひしがれ、疲れ果て、倒れていた時に幾度となく力づけられ、助けられてきました。   エフライムよ。わたしはどうしてあなたを引き渡すことができようか。イスラエルよ。どうしてあなたを見捨てることができようか。どうしてわたしはあなたをアデマのように引き渡すことができようか。どうしてあなたをツェボイムのようにすることができよう...
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馬や騾馬のようであってはならない(礼拝メッセージ2012/07/08)

 あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。それらは、くつわや手綱の馬具で押えなければ、あなたに近づかない。               詩篇 32: 9  主イエス様は言われます。「悟りのない者であってはならない」と。力ずくで導かなければならない者ではいけません。しかし、私たちは自分が思っているよりも強情で頑固な者です。なかなか自分の考えや主張を変えたがらない者です。  人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。      エレミヤ 17: 9  正しい者が愛情をもって私を打ち、私を責めますように。それは頭にそそがれる油です。私の頭がそれを拒まないようにしてください。彼らが悪行を重ねても、なおも私は祈ります。      詩篇 141: 5  隣人が、愛を持って正しいことを助言してくれる場合があります。その時はそれを素...
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クリスチャンといっしょで楽しい?(礼拝メッセージ2012/07/01)

 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。  それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。 主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。                   詩篇 133: 1~3    ダビデは、神の民がこころ一つになって、仲良く暮らすことのすばらしさを二つのものにたとえています。   ①大祭司アロンの聖別式で注がれた尊い油              神様によって聖別され、神と人との仲介者として任命されたアロンに油が注がれました。衣のえりには、十二部族統合を象徴する記名入りの二つの宝石と十二の宝石列が付けられていました。天からの祝福が流れしたたっています。(出エジプ...
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神様の住みやすい住処(礼拝メッセージ2012/06/24)

主はシオンを選び、それをご自分の住みかとして望まれた。  「これはとこしえに、わたしの安息の場所、ここにわたしは住もう。わたしがそれを望んだから。 わたしは豊かにシオンの食物を祝福し、その貧しい者をパンで満ち足らせよう。その祭司らに救いを着せよう。その聖徒らは大いに喜び歌おう。そこにわたしはダビデのために、一つの角を生えさせよう。わたしは、わたしに油そそがれた者のために、一つのともしびを備えている。 わたしは彼の敵に恥を着せる。しかし、彼の上には、彼の冠が光り輝くであろう。   詩篇 132: 13~18   ダビデは、自分が我が家でのんびりすることよりも、主を心から迎え入れて主が安息される場所を備えることに一生懸命でした。(詩篇132:2~9)  主は、イスラエルとダビデを選び、祝福を約束されました。  ・ダビデと子孫に王位を与える。  ・イスラエルと共に住み、物質...
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神様の配慮(礼拝メッセージ2012/06/17)

 主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。  あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。主はその愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる。           詩篇 127: 1,2   聖書は、自分自身の人生や生活の隅々に、神様の主権を認め神様が喜ばれるように生きなければ全てが無駄であると教えています。いくら努力をし、身を粉にして働いて収入を増やしても空しいものです。  私たちは何と、自己満足と自分中心の人生設計や生活を送りやすい者でしょうか。私たちは、神様から離れては何も出来ないのです。   実に、神から離れて、だれが食べ、だれが楽しむことができようか。             伝道者の書 2:25   そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧...
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