礼拝メッセージ

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あなたがたも悔い改めないなら(礼拝メッセージ2011/03/13)

  ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。  イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。  そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。  また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。  そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」                     ルカ 13: 1~7  イエス様が「神様と和解しなければ、最後に裁かれます」と言われた直後にこの報告がなされま...
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イエス様なき人生(2011/03/06)

 雪が解け、ネコヤナギが芽吹き、マガンがウトナイ湖に集まって北に帰って行く。またまた春がやってきました。変わらない自然の営みです。  日は上り、日は沈み、またもとの上る所に帰って行く。  風は南に吹き、巡って北に吹く。巡り巡って風は吹く。しかし、その巡る道に風は帰る。  川はみな海に流れ込むが、海は満ちることがない。川は流れ込む所に、また流れる。 伝道者の書 1: 5~7  伝道者の書の著者であるソロモンは、神様から知恵を与えられましたが、その知恵が災いして(?)神様のない人生の空しさを実感しました。  1.自然界と歴史の繰返し  2.知識と知恵  3.快楽  4.事業  私は、天の下で行なわれるいっさいの事について、知恵を用いて、一心に尋ね、探り出そうとした。これは、人の子らが労苦するようにと神が与えたつらい仕事だ。  私は、日の下で行なわれたす...
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神の声を聞いた者(礼拝メッセージ2011/02/27)

 これは、約束の地カナンに入る直前に、モアブの野において、モーセが民に決別の説教をした記録です。モーセは、神様との契約について再度熱く語っています。  まことに、私たちの神、主は、私たちが呼ばわるとき、いつも、近くにおられる。このような神を持つ偉大な国民が、どこにあるだろうか。また、きょう、私があなたがたの前に与えようとしている、このみおしえのすべてのように、正しいおきてと定めとを持っている偉大な国民が、いったい、どこにあるだろう。ただ、あなたは、ひたすら慎み、用心深くありなさい。あなたが自分の目で見たことを忘れず、一生の間、それらがあなたの心から離れることのないようにしなさい。あなたはそれらを、あなたの子どもや孫たちに知らせなさい。                    申命記 4: 7~9  イスラエルの民が優れていたのでも立派だったのでもありません。天地の主の選びと大きな...
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霊的成長(礼拝メッセージ2011/02/20)

 なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。  このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。  そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。                  ローマ 14:17~20  私たちは、肉体を持って生活していますが、もちろん肉体だけではありません。人間だけが霊的な存在です。そして、霊的な成長を求め続ける存在です。  あなたの生活は、お金と体と食べ物と楽しみだけに終始していませんか。教会生活も物質的なことだけに終始していませんか。お互いの霊的成長を追い求めましょう。    テサロニケにいたときでさえ、あなたがたは一度ならず二度までも物を送って、私の乏しさを補ってくれました。  私は贈り物を求めているのではありません。私...
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イエス様に用いられる人(礼拝メッセージ2011/02/13)

 利口な者は自分の知恵で自分の道をわきまえ、  愚かな者は自分の愚かさで自分を欺く。      箴言 14:8  人の目にはまっすぐに見える道がある。  その道の終わりは死の道である。         箴言 14:12  心の堕落している者は自分の道に甘んじる。  善良な人は彼から離れる。            箴言 14:14  力強い信頼は主を恐れることにあり、  子たちの避け所となる。  主を恐れることはいのちの泉、  死のわなからのがれさせる。          箴言 14:26,27  悪者は自分の悪によって打ち倒され、  正しい者は、自分の死の中にものがれ場がある。                              箴言 14:32  イエス様に用いられる人とはどんな人でしょうか。  箴言によると、自分自身がどんな存在である...
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指導を受ける者の幸い(礼拝メッセージ2011/02/06)

 さて、使徒たちは、イエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。  そこでイエスは彼らに、「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。  そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った。ところが、多くの人々が、彼らの出て行くのを見、それと気づいて、方々の町々からそこへ徒歩で駆けつけ、彼らよりも先に着いてしまった。  イエスは、舟から上がられると、多くの群衆をご覧になった。そして彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた。マルコ 6:30~34  イエス様は本当に優しい方です。まず、弟子たちをゆっくり休ませようとされました。そして、群衆をあわれんでみことばを語られました。身近にいて生活の中で指導を...
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悪魔に機会を与えない(礼拝メッセージ2011/01/30)

私たちに神様のみことばが与えられているということは、本当にうれしいことです。私たちに真理を示し、歩むべき道を正しく教えてくれるからです。もし、みことばが与えられていなければ荒海の小船のように波に翻弄されて難破し沈んでしまうことでしょう。  しかし、せっかくみことばが与えられていても、神様からの誤りのないおことばとしていつも親しみ、信じて従っていなければ何にもなりません。  ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。  怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。  悪魔に機会を与えないようにしなさい。 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。  悪...
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神の御霊を受けた者(礼拝メッセージ2011/01/23)

 ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。      Ⅰコリント 2: 12  なんと私たちはすばらしい恵みと賜物をいただいていることでしょうか。イエス様による罪の赦し、永遠の命、真実な愛、大きな憐れみ、生きる力、みことば(聖書)など様々な良きものをいただいています。  これらすべて霊的なことを理解させ、信じさせてくださるのは聖霊様の働きです。そして、「神様の御霊、聖霊様」ご自身をも賜物としていただいています。この世の霊をいただいたのではありません。この世の霊は、神様に逆らい、良いものと見せかけながら悪い道に誘うものです。それは、目先だけの利益を追求する価値観です。  こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、恥ずべき...
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聖霊様の賜物(2011/1/16礼拝メッセージ)

 さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。  ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。  ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。         Ⅰコリント 12: 1~3  賜物とは「恩恵や祝福として与えられたもの。」です。  聖霊様が恩恵としてまず与えてくださるものは、「イエス様を信じる信仰」です。私たち一人ひとりも聖霊様から恩恵をいただいて、イエス様を信じることができました。心から感謝しましょう。  その人が、イエス様を自分自身の主としているか、イエス様の言い...
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主イエスさまの道(礼拝メッセージ2011/01/09)

イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。  そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」  しかし、その人は彼らに答えた。「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け。』と言われたのです。」 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け。』と言った人はだれだ。」しかし、いやされた人は、それがだれであるか知らなかった。人が大ぜいそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。  その後、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたはよくなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないともっと悪い事があなたの身に起こるから。」  その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を直してくれた方はイエスだと告げた。    ヨハネ 5:...
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