礼拝メッセージ

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「私は主を愛する」(礼拝メッセージ2013/06/09)

 私は主を愛する。主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。  主は、私に耳を傾けられるので、私は生きるかぎり主を呼び求めよう。                             詩篇 116: 1~2  《主なる神様は・・・・・》  ・私の声と願いを聞いてくださる。        :1  ・情け深く、正しい。                 :5  ・私に良くしてくださった。             :7  ・死と悲しみとつまづきから救ってくださった。 :8  ・聖徒の死を尊ばれる。              :15  ・あらゆる束縛からの解放。            :16  《人は・・・・・・》  ・弱い存在。                     :3,8  ・誘惑されやすい。                   :6,8  ・悩み多...
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「言い訳の天才」(礼拝メーッセージ2013/06/02)

 ところが、みな同じように断わり始めた。最初の人はこう言った。『畑を買ったので、どうしても見に出かけなければなりません。すみませんが、お断わりさせていただきます。』 もうひとりはこう言った。『五くびきの牛を買ったので、それをためしに行くところです。すみませんが、お断わりさせていただきます。』また、別の人はこう言った。『結婚したので、行くことができません。』   ルカ 14:18~20  イエス様は、神の国で食事をする人の幸いを話されました。食事をするとは、親しい関係を表します。すべての人が神様に招かれているのに、へりくだって、感謝の心を持って、招きに応じた人は少しの人でした。  断った人たちは、理由にならない言い訳をしています。現代訳には「この人たちの言い分は、皆断る本当の理由ではなく、行きたくないただの口実に過ぎませんでした。20節」とあります。「人は言い訳の天才だ。サタンでさえ...
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「イエス様の生き方と私たちの生き方」(礼拝メッセージ2013/05/26)

 キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、「あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった(彼が来られたのは、実に、敵対する者たちの侮辱を受けて苦しむためであった。)」と(詩篇に)書いてあるとおりです。 昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。  どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。  ローマ 15: 3~5  ※( )はリビングバイブル訳  神様は、私たちにイエス様と同じ思いをもって、同じ生き方をしてほしいと願っておられます。私たちにそんな大それたことができるのでしょうか。・・・。神様は私たちにできることしか命じておられません。  天地万物の創造主、栄光の主であるイエ...
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「神様の再創造のわざ」(礼拝メッセージ2013/05/19)

 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。  なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。  肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。  それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。                   ローマ 8: 1~4  神様は、不従順と自己中心と罪によって、全く腐れきってしまった私たちを救うために、最も愛するひとり子イエス様を人として遣わして十字架で死なせられました。  私たちは、神様から全く一方的な深い哀れみと恵みと赦しをタダでいただきました。そこには...
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「主を恐れない者と主を恐れる者」(礼拝メッセージ2013/05/12)

 あなたがたは言う。「神に仕えるのはむなしいことだ。神の戒めを守っても、万軍の主の前で悲しんで歩いても、何の益になろう。今、私たちは、高ぶる者をしあわせ者と言おう。悪を行なっても栄え、神を試みても罰を免れる」と。      マラキ 3:14,15  マラキの時代は、ハガイとゼカリヤが、神殿再建の激励をしてから80年後のことです。約束された繁栄が実現しなかったため民は幻滅し、神様への信仰が後退し、その心の態度は、神様のおきてや礼拝に対する不真実な行動として現れました。 「神様を恐れない者」・偶像崇拝者、不品行、偽証人、弱者を虐げる者 ・十分の一の奉納物を奉納しない者 ・神様を軽んじる者 ■結果:さばかれる。のろわれる。不作となる。焼き尽くされる。 「神様を恐れる者」・神様のおきてを守る者 ・悔い改めて立ち返る者 ・十分の一の奉納物を奉納する者 □結果...
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「過去の過ちを繰り返すな」(礼拝メッセージ2013/05/05)

 あなたは、彼らに言え。万軍の主はこう仰せられる。わたしに帰れ。――万軍の主の御告げ――そうすれば、わたしもあなたがたに帰る、と万軍の主は仰せられる。  あなたがたの先祖たちのようであってはならない。先の預言者たちが彼らに叫んで、「万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの悪の道から立ち返り、あなたがたの悪いわざを悔い改めよ」と言ったのに、彼らはわたしに聞き従わず、わたしに耳を傾けもしなかった。――主の御告げ――   ゼカリヤ 1: 3,4  ゼカリヤは祭司出身者で、捕囚帰還後の民を励まし、神殿再建に尽力した人です。彼は14章ある預言書の中で過去の歴史を繰り返し述べながら、民に警告を与えています。主は、様々な幻によってこれから起こることを示しました。 (5章) 盗む者、偽りを誓う者、偶像礼拝者、姦淫を犯す者 (7章) 自己中心者、偽りの裁判官 (10章) 偽預言者、占い師、...
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「すべての良きものを与えて下さるイエス様」(礼拝メッセージ2013/04/28)

 今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。あなたがたは、多くの種を蒔いたが少ししか取り入れず、食べたが飽き足らず、飲んだが酔えず、着物を着たが暖まらない。かせぐ者がかせいでも、穴のあいた袋に入れるだけだ。  万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ。   ハガイ 1: 5~7  私たちは、食糧や生活に必要なものは、ある程度黙っていても手に入ると思い込んでいないでしょうか。仕事や家族・親戚、社会生活も普通にあるのが当たり前と思ってはいないでしょうか。教会生活、兄弟姉妹、霊的な祝福も与えられていて当たり前と考えてはいないでしょうか。  ハガイが預言した時代、捕囚後の民が熱心に神殿の再建を始めましたが、強力な反対に遭って工事は数年間中断してしまいました(エズラ4,5章)。  人々は、神様を礼拝することよりも自分の生活を豊かにし、自分の望むとおりに生...
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「残された者の幸い」(礼拝メッセージ2013/04/21)

 わたしの手を、ユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。わたしはこの場所から、バアルの残りの者と、偶像に仕える祭司たちの名とを、その祭司たちとともに断ち滅ぼす。  また、屋上で天の万象を拝む者ども、また、主に誓いを立てて礼拝しながら、ミルコムに誓いを立てる者ども、また、主に従うことをやめ、主を尋ね求めず、主を求めない者どもを断ち滅ぼす。        ゼパニヤ  1: 4~6  ゼパニヤは王家出身で、ユダの王ヨシアの時代に活躍した預言者です。ヨシアの前の王は、偶像崇拝を取り入れて国民の信仰を退廃させました。これらの預言は、ヨシア王の大宗教改革の前に与えられました。  バアル崇拝者たちが主によって滅ぼされましたが、二心によって主と偶像を拝む者も滅ぼされました。また、一度は主を信じて信仰を持っていた者が、主に服従することをやめ、主を求めることをやめてしまった者も主を軽んじる...
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「積極的な生き方」(礼拝メッセージ2013/04/14)

 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。  兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。  勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。  望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。  聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。  あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 ローマ人への手紙 12: 9~14  「あなたがたのために神様が計画しておられることすべてを喜びなさい。困難の中でじっと耐え、常に祈りなさい。」 (12:12.リビングバイブル)    主イエス様が今年私たちに与えてくださったみことば(12:12)は、私たちに命じることばです。提案や勧めではありません。私たちとってそれらのことが可能だからあえて命じておられます。それは積極的な生...
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「だれをもさばいてはいけない」(礼拝メッセージ2013/04/07)

 こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。  この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。  しかし、私にとっては、あなたがたによる判定、あるいは、およそ人間による判決を受けることは、非常に小さなことです。事実、私は自分で自分をさばくことさえしません。  私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。  ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する称賛が届くのです。Ⅰコリント 4: 1~5  コリント教会の兄弟姉妹は、ねたみ合い、仲間割れし、教会を分裂させ、霊的な父であり、指導者であるパウロを非難して、ま...
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