礼拝メッセージ

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罪のための代価 (2010/11/21礼拝メッセージ)

 これらの一つについて罪に定められたときは、それを犯した罪を告白しなさい。自分が犯した罪のために、罪過のためのいけにえとして、羊の群れの子羊でも、やぎでも、雌一頭を、主のもとに連れて来て、罪のためのいけにえとしなさい。祭司はその人のために、その人の罪の贖いをしなさい。  しかし、もし彼が羊を買う余裕がなければ、その犯した罪過のために、山鳩二羽あるいは家鳩のひな二羽を主のところに持って来なさい。一羽は罪のためのいけにえとし、他の一羽は全焼のいけにえとする。                   レビ記 5: 5~7  旧約時代のイスラエル民族は、罪を犯した時「告白と悔い改めが必要」「血を流すことなしに、罪の赦しはない」ということを教えられていました。主は、彼らに罪を告白させて悔い改めに導かれ、いけにえをささげさせました。いけにえをささげる者は、いけにえに手を置いて自分の身代わりになる...
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主の慰め(2010/11/14 礼拝メッセージ)

 もしも主が私の助けでなかったなら、私のたましいはただちに沈黙のうちに住んだことでしょう。  もしも私が、「私の足はよろけています。」と言ったとすれば、主よ、あなたの恵みが私をささえてくださいますように。   私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。                      詩篇 94: 17~19    私たちは、気落ちしやすい者です。モチベーションを保ち続けて行くことに困難を感じやすい者です。心身ともに疲れ果ててフラフラになることもあります。思い煩いで滅入ることもあります。チョッとしたことで喜び、チョッとしたことで落ち込みます。  それは、「結果が見えないことから来る不安」「自分の思い通りにならないことから来る不満」「主のみこころに従っていないこと」「思い違いをしていること」から来ます。  主イエス...
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たましいをお任せしなさい 10/17

「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、この名のゆえに神をあがめなさい。 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。」(Ⅰペテロ 4:16~19) さばきがクリスチャンから始まっています。 イエス様を愛して従っているのか、それとも自分自身を愛しているのかが問われています。 「キリスト者として苦しみを受ける」とは、自分自身を喜ばせるのではなく、イエス様を喜ばせることです。 ...
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