礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

「聖なる者」(礼拝メッセージ2019/05/26)

主はモーセにこう告げられた。「イスラエルの全会衆に告げよ。あなたがたは聖なる者でなければならない。あなたがたの神、主であるわたしが聖だからである。レビ記 19:2 このみことばを見るとドキッとしませんか。「自分は罪深く、失敗ばかりしていてとても神様のように心のきれいな「聖い者」ではない、いくら望んでもかなうことではない、自分にガッカリしてしまう。・・・」 神様は理不尽な要求をされているのでしょうか。 1.「聖い者」とは レビ記19章では守るべき十戒が繰り返されています。まず、両親を敬うこと、安息日を守ること、偶像を拝まないこと、神様にささげ物をすること、社会的弱者を助けること、正直であることです。 「聖なる者」とは、神様のすべての掟と定めとを守り行ない、汚れた者にならず、神様との交わりに留まることです。 ・・・自分の罪を告白するなら、・・・その罪を赦し、...
礼拝メッセージ

「天からのパン」(礼拝メッセージ2019/05/19)

主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたがたのために天からパンを降らせる。民は外に出て行って、毎日、その日の分を集めなければならない。これは、彼らがわたしの教えに従って歩むかどうかを試みるためである。出エジプト記 16:4 モーセに率いられ、奇跡的に紅海を通ってエジプトから脱出したイスラエルの民は、主に感謝して喜んだのもつかの間、荒野の旅で水と食糧が不足してきたため、神様とモーセに対して「エジプトの方が良かった。我々を死なせるのか。」と不平を言いました。神様はそんな彼らに不思議な方法で天からのパン(マナ)を与えられました。 1.恵みのパン 神様は、彼らが約束の地カナンに入るまでの40年間、マナを与え続けられました。彼らは農作業によって苦労してパン(マナ)を得たのではなく、毎日天から降ってくるマナを集めるだけでした。信仰と感謝が必要です。 神様は彼らのつぶやき...
礼拝メッセージ

「家族関係と信仰」(礼拝メッセージ2019/05/12)

子どもたちよ、あなたがたは、主にあって〔その代表者としての〕あなたがたの両親に従いなさい。これは当然であって、また正しいことであるからです。「あなたの父と母を敬いなさい〈尊い人々として重んじ、たいせつにしなさい〉」。これは〔次の〕約束を伴った第一の戒めです〔出エジプト記20:12〕。〔すなわち〕「そうすれば、すべての事が、あなたにとって順調で、あなたは、この地上で長寿が得られる」。エペソ6:1~3(詳訳) 今日は母の日です。あなたは、両親や家族と良好な関係が保たれていますか。また、霊の家族である教会の兄弟姉妹との関係は良好ですか。尊敬、喜び、親しみ、感謝の関係ですか。みことばは、両親や家族との関係、霊の家族との関係が信仰と深く関わり合っていると告げています。 1.みことばの約束 神様は血縁としての家族をとても大切にします。いのちを紡ぎ、いのちを育む、最も基本となる祝...
礼拝メッセージ

「わたしがともにいる」(礼拝メッセージ2019/05/05)

「心配するな。わたしがついている。おまえを遣わしたのが私だという証拠に、必ずおまえといっしょにいよう。」 出エジプト記 3:12(LB訳) ヤコブの息子ヨセフがエジプトに売られて後、夢の解き明かしによって宰相になり、飢饉で苦しむイスラエル一族をエジプトに呼び寄せました。その後、イスラエル民族は400年間奴隷状態(創世記15:13~16)にありました。神様は助けを求める彼らの叫び声を聞き、苦しみから解放して乳と蜜の流れる約束の地カナンへ導こうとしました。そのためにモーセを救済者として召し出しますが、モーセは不安を覚えて躊躇しました。 1.モーセの不安 モーセは、同胞もエジプトも自分が神様から遣わされたことを信じないだろうし、自分は口べただからだれかほかの人にして下さいと神様の召しを拒否しました(出エジプト4:1~17)。 モーセは、エジプト・ファラオの強大さを知って...
礼拝メッセージ

「神様の約束『幸せ』」(礼拝メッセージ2019/04/28)

ヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に『あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ、わたしはあなたを幸せにする』と言われた主よ。私は、あなたがこのしもべに与えてくださった、すべての恵みとまことを受けるに価しない者です。私は一本の杖しか持たないで、このヨルダン川を渡りましたが、今は、二つの宿営を持つまでになりました。どうか、私の兄エサウの手から私を救い出してください。・・・、私は恐れています。」 創世記 32:9~11 ヤコブはアブラハムの孫、イサクの息子で、双子の弟です。彼はずるい性格が災いして波瀾万丈の一生を送りました。彼は神様によって名をイスラエルとされ、12人の息子が与えられました。息子たちはイスラエル12部族の族長となりました。彼は信仰によって神様から約束を与えられました。 1.自分の手で願望を成し遂げようとしたヤコブ 神様は兄エサウより...
礼拝メッセージ

「平安があなたがたにあるように」(礼拝メッセージ2019/04/21)

その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちがいたところでは、ユダヤ人を恐れて戸に鍵がかけられていた。すると、イエスが来て彼らの真ん中に立ち、こう言われた。「平安があなたがたにあるように」ヨハネ20:19 弟子たちはなぜ不安だったのでしょうか。復活のイエス様は彼らに何を与えられたのでしょうか。あなたは今、平安ですか。不安がありますか。復活のイエス様は、私たちに何を与えておられるのでしょうか。 1.弟子たちの後悔 弟子たちは、職業や家族を捨ててイエス様に人生のすべてを懸けてきましたが、一番頼りにしていた先生が犯罪者として捉えられ、処刑されてしまいました。今度は自分たちが捕らえられて殺されてしまう、イエス様についてきたことは失敗だったのだろうか、これからどなるんだろう・・・。彼らは恐れと絶望と不安の中で息を潜めていました。 2.疑り ・・・彼らはおびえて震え上...
礼拝メッセージ

「十字架につけろ。」(礼拝メッセ―ジ2019/04/14)

あなたは人を助けるために自分を犠牲にしたことがありますか。自分には全く非がないのに、非難されて大きな損失を被り、周囲の人から疑われ嫌われても、その人のために甘んじて受けた経験です。 イエス様が捕らえられ、不当な裁判を受けて有罪となり、十字架にかけられた時、多くの人々が関わっていました。 1.群衆 ・・・群衆は、イエスの前を行く者たちも・・・、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に、祝福あれ、・・・」・・・群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。マタイ 21:8~11 ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」マルコ15:14 群衆は、イエス様がエルサレムへ入城した時に、棕櫚の葉を振って大歓迎しました。しかし、総督ピラトがイエス様が無罪であることを確信...
礼拝メッセージ

「信仰義認」(礼拝メッセージ2019/04/07)

昔の時代にこのように書かれたことは何でもみな私たちの教訓のために書かれたのであって、すなわち〔私たちの堅い、しんぼう強い〕忍耐と、聖書から〔与えられる〕励ましとによって、私たちが望みを堅く保つ〈胸にいだく〉ためです。ローマ 15:4(詳訳) 今年度は旧約聖書(創世記~マラキ書)を中心にみことばを賜りたいと思います。旧約聖書は、私たちの教訓(忍耐と励まし)のため、救いの希望をしっかりと持ち続けるために与えられています。 旧・新約聖書を貫いて与えられていることは「信仰義認」(神様の前に無罪とされ義人と認められるのは、行いによらず、キリストの贖いを信じる信仰による)です。 1.アブラハムの信仰 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。・・・彼は、神には人を死者の中か...
礼拝メッセージ

「生きる望み」(礼拝メッセージ2019/03/31)

ほむべきかな〈賛美すべきかな、聖なるかな〉私たちの主イエス・キリスト〈メシア〉の父なる神。その限りのないあわれみにより、死人の中からのイエス・キリストのよみがえりを通して、私たちを再び生まれさせて、いつも生きている望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ち滅びることのない〈変化《腐敗》の力も及ばない〉、汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐように〔新しく生まれ〕させてくださったのです。Ⅰペテロ 1:3,4(詳訳) 1.罪ゆえの望み無き生き方 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。 エペソ 2:12 罪ゆえに造り主である神様から離れ、偽りの神々を拝み、生きる意味も基準もなく、将来や後の世における希望もなかった私たちです。(聖歌451番「神なく望みなく」...
礼拝メッセージ

「大切なものを大切なお方に」(礼拝メッセージ2019/03/24)

イエスは、献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。・・・この人は乏しい中から、持っているすべてを生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」マルコ 12:41~44 なぜ、イエス様はわざわざ献金箱の向かい側に座って、人々が献金する様子を見ておられたのでしょうか。金持ちたちが、大金を投げ入れている中、なぜ、貧しいやもめを賞賛したのでしょうか。 1.何を献げたのか 金持ちたちは、これ見よがしに、あり余る中から大金を献金箱に投げ入れていました。自分が賞賛され、評判が上がるように、人目に付くようなパホーマンスです。周囲の者たちは、彼らを絶賛していたことでしょう。 貧しいやもめは、人目に付かないようにこっそりと投げ入れました。それは、最小単位の銅貨2枚、所有額のすべてでした。 1レプタ銅貨=1/128デナリ(1デナリは1日の労賃) ...
タイトルとURLをコピーしました