礼拝メッセージ

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「欲→罪→死→恵み」(礼拝メッセージ2018/03/17)

そうではなく、だれでも自分自身の悪い欲望〈情欲、肉欲〉に引きずられ、だまされる〈誘い出される〉とき、誘惑されるのです。そして、悪い欲望が身ごもると、罪を生み出し、罪は成熟して死をもたらすのです。ヤコブ 1:14,15(詳訳) 「向上しよう、主に従って主を喜ばせよう」という欲求は、良いものをもたらしますが、悪い欲望は罪を生み出し、結果的に死をもたらします。 1.自分の欲に引かれる あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。ヤコブ 4:2,3 ヤコブ1:13(LB)では、「悪事に手を出したくなった時、神様に誘惑されたなどと、言ってはなりません。」と記さ...
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「子羊の血」(礼拝メッセージ2019/03/10)

「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。 黙示録 7:14 天国において、イエス様によって罪赦されて救われた、すべてのクリスチャンが、神様とイエス様に礼拝を献げています。それは最終的な姿ですが、クリスチャンは今現在でも同じ恵みをいただいています。 1.罪の赦し まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。ヘブル9:14 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。ヘブル9:22 キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。ヘブル9:26(10:1...
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「みことばを行う人」(礼拝メッセージ2019/03/03)

〈教えのことばに従いなさい〉。みことばを行う者になりなさい。ただ聞くだけの者となって〔真理に反する思いをいだいて〕自分を欺いてはなりません。   ヤコブ 1:22(詳訳) 神様は分け隔てのない、公平なお方です。私たちに等しくご自分を啓示しておられます。今日のみことばは、神様から等しくみことばをいただいても、それを心から信じて行動(生き方)に移行させるか、そのまま聞き流して行動に移さないかの違いについて教えています。 1.神様の啓示 1)一般啓示 ①自然(イザヤ40:12~14)②歴史(ローマ13:1)③良心と両親(ローマ2:14~16) 天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。詩篇19:1 2)特別啓示 ①奇蹟(ヨハネ5:36)②預言(イザヤ7:14)③イエス・キリスト(ヘブル1:1,2)④聖書(ヨハネ5:39,Ⅱテモテ3:16)⑤個人的体...
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「みことばは光」(礼拝メッセージ2019/02/24)

もしこの世に光がなければ、目の前に近づけた自分の手でさえ見えません。神様のみことばがなければ、私たちは善悪、本当に大切なこと、真理がわからず、正しく生きて行くことができません。 詩篇119篇では「律法」を「おきて、あかし、おしえ、戒め、定め、さとし、ことば、道、仰せ、さばき」という10のことばで表現しています。 1.浅はかな者を賢くする 私たちは、独立した人格と自由意思を持っていますから、自分が自分の律法となり何の規正もなく、自分の価値観のまま生きて行きます。しかし、思い通りに生きているようでも、実は、罪に支配されてしまっています。 みことばは、自分の判断が一番正しいと思っている浅はかな者を、神様の正しい道に導いてくれます。 主の教えは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。  詩篇 19: 7 命令はともしび、おしえは光、...
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「神様の涙」(礼拝メッセージ2019/02/17)

私たちは、喜び、悲しみ、悔しさ、寂しさ、感動など、いろいろな場面で涙を流します。最近では「涙活(るいかつ)」という言葉があり、能動的に泣くことでストレス解消を図る活動だそうです。 聖書は、神様の深い愛から出る涙や私たちが本当に悲しむべき事柄について語っています。それは「不信仰と不従順」です。 1.エレミヤの涙 BC627年から40年以上の間、預言者エレミヤ(神は確立される、派遣されるの意)は、真の神様を捨てて偶像礼拝を行なっていた民に対して、来たるべき患難(エルサレム滅亡、バビロン捕囚)、神様のさばきを警告し続けました。これらの出来事は彼が生きているうちに現実となりました。、 エレミヤは涙の預言者と呼ばれ、同胞の強情さと不信仰、彼らに訪れる悲劇を深く嘆き悲しみました。「哀歌」の著者もエレミヤです。 ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、 娘であ...
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「私の盾」(礼拝メッセージ2019/02/10)

アブラムは、繁栄した町ウルで神様から祝福の召命を受け、ハランを経由してカナンの地にやって来ました。その後、飢饉によって一時エジプトに滞在し、更に甥のロトと分かれてカナンに住みました。 アブラムが敵対する王たちとの戦いに勝利した後、主のことばが彼に臨み、励ましと契約が与えられました。(創世記12~15章) 1.恐れるな! アブラムは何を恐れていたのでしょうか。アブラムは神様から子孫が増え、その子孫によって世界中が祝福されるという約束をいただいていましたが、子が与えられていない現状を見て失望し、神様を疑って将来に不安を持っていました。 それでは、私たちは今、何を恐れているのでしょうか。 ①自分自身の救い ②クリスチャン生活 ③将来の生活(経済、健康、国内・世界情勢) ④信仰が理解してもらえない ⑤家族の救い などでしょうか。 2.神様の選び ...
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「イエス様の勝利、私の勝利」(礼拝メッセージ2019/02/03)

死のとげは罪であって、罪は律法〔の誤用〕を通してその力を〔人の上に〕働かせるのです。しかし、私たちの主イエス・キリストによって私たちに勝利を与えて〈私たちを征服者として〉くださる神に感謝します。 Ⅰコリント15:56,57(詳訳) 現代は争いを好まず、白黒をはっきりさせることより波風を立てずにうやむやに事を治めることが好まれます。相手を尊重することは大切ですが、聖書は「命と死」「勝利と敗北」を明確にしています。 私たちの信仰の歩みは、敗者の隠遁生活ではなく、すでに与えられているイエス様の勝利と命と恵みに満ちあふれたものです。 1.罪の働き この世には「神様(創造主、三位一体、全知全能、善、聖、命)」と「サタン・悪霊・罪(悪、汚れ、死)」が存在します。サタンは神様に反逆し、神様の愛する人間を罪によって滅ぼすことを目的としています。そして、神様が与えて下さった「律法」と...
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「柔和で穏やかな霊」(礼拝メッセージ2019/01/27)

あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。 Ⅰペテロ 3:3,4 みことばは、私たちが身に付けるべきものは外面的なものではなく、内面的なものであることを教えています。 1.外面的なもの 外面的なものは、人々の目に付きやすく人々の賞賛を受けやすいものですが、それらは人間的であり一時的なものです。私たちは、それらがあれば本当の自分自身をカモフラージュして体裁を保てると安易に考え、それらを求めることに熱心になってしまいます。しかし、外面で内面を変えることはできません。 彼らがしている行いはすべて人に見せるためです。彼らは聖句を入れる小箱(経札)を大きくしたり、衣の房を長くした...
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「主こそ神」(礼拝メッセージ2019/01/20)

私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。 Ⅱ列王記 5:15 BC850年頃、神様は異邦人であるアラム王国のナアマン将軍と身近な人々を通して、ご自身の存在と預言者エリシャの存在をイスラエルと近隣の国々に示されました。 1.神様の証しは、無名の証し人から ①イスラエルの娘 「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」Ⅱ列王記 5:3(4:32~37) ②ナアマン将軍のしもべたち 「わが父よ。・・・あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか」 Ⅱ列王記 5:13 2.ナアマン将軍のへりくだり ①プライドを捨てた 最初、ナアマン将軍は、預言者エリシャがうやうやしく呪文を唱え、厳かな儀式を行って癒やして...
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「喜びと祈りと感謝」(礼拝メッセージ2019/01/13)

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。 Ⅰテサロニケ 5:16,17,18 神様は、私たちが「喜び、祈り、感謝」することができるように「創造、贖罪、救い、赦し、恵み、哀れみ、勝利、天の御国など」すべての良きものを与えて下さいました。 「喜び、祈り、感謝」することは、すべての人にとって、主のみこころですが、私たちクリスチャンの特権です。 1.「喜び、祈り、感謝」は信仰 信仰がなくては神様に喜ばれることはできません(ヘブル11:6)。そして、信仰がなければ「喜び、祈り、感謝する」ことはできません。 ①喜び―みことばへの信頼 いつも主にあって喜びなさい。 ピリピ 4:4 ②祈り―イエス様への信頼 あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために...
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