礼拝メッセージ

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「主に拠り頼め」(礼拝メッセージ2019/11/10)

イザヤは紀元前8世紀に、南ユダ王国において約50年にわたり活躍した預言者です。彼は幻を通して不思議な方法で預言者としての召命を与えられ(イザヤ 6:1~13)、5人の王(ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ、マナセ)の時代に、罪の告発、ユダ王国の滅亡、捕囚からの解放、メシヤ預言(誕生と受難)、新天新地などの預言をしました。 1.罪の告発 イザヤの時代に、ユダ王国は見せかけの繁栄に酔いしれ神様を拒絶し、道徳的退廃、社会的不正、宗教的偽善が蔓延していました。神様は彼らの態度に失望していますが、愛によって悔い改めと赦しの道を提供されます。 わざわいだ。罪深き国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。・・・あなたがたの手は血まみれだ。洗え。身を清めよ。・・・あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くな...
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「愛は死のように」(礼拝メッセージ2019/11/03)

雅歌は、男女(ソロモン王と花嫁)の愛を謳った叙事詩です。この書には神様の名前も信仰的な内容もありません。人間の愛の美しさや激しさ、肉体的魅力の歓喜が率直に謳われています。 雅歌の内容は、イスラエルに対する神様の愛、花嫁である教会に対するイエス様の愛の比喩とも考えられています。 1.人間の愛の美しさ 雅歌には、神様が人を男女に創造された目的にかなった様子が描かれており、男女が互いに尊重し、惹かれ合い、愛し合う姿があります。 わが愛する者が娘たちの間にいるのは、茨の中のゆりの花のようだ。 私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木々の中のりんごの木のようだ。雅歌 2:2,3 私の愛する方を見つけたら、あの方に言ってください。私は愛に病んでいる、と 雅歌 5:8 2.命を懸けた愛 封印のように、私をあなたの胸に、封印のように、あなたの腕に押...
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「逆境の日には」(礼拝メッセージ2019/10/27)

伝道者の書は、「知恵文学」の1つで、著者はソロモンと言われています。その主題は「空の空。すべては空」、究極的なものを見失うとすべては空しいとしています。「創造主なる神様、救い、永遠のいのち」を認めなければ、地上のどんな繁栄、事業、知恵・知識、快楽、名声も空しいものです。しかし、神様に心を向ける時、真の幸いを見出すことができます。ソロモンは自分の人生を振り返り、最善の生き方を示します。 1.神様を無視する心 日の下でどんなに労苦しても、それが人に何の益になるだろうか。伝道者 1:2 神は人を真っ直ぐな者に造られたが、人は多くの理屈を探し求めたということだ。伝道者 7:29 伝道者の書は、日本人が共感する書のひとつと言われます。無神論者を標榜し、神様を無視して生きているため、社会が豊かになり、物質的に繁栄し、学問や医療が進んでも人生に空虚さを覚えることは、至極当然と言え...
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「あなたの心を見守れ」(礼拝メッセージ2019/10/20)

箴言は大部分がソロモンによって書かれ、充実した人生を送るための実際的教訓集です。神様を敬う知恵のある信仰者の生き方、信者と不信者の違い、知恵のある者と愚かな者の違い、行為とことば、子供の訓育、社会正義、行儀作法、賢い妻などについて記されています。 箴言での「知恵」とは、処世術ではなく、神様を敬いみことばに従うこと、すなわち「信仰」を意味します。 「あなたの心を見守れ」とは、何からどのように守ることでしょうか。 1.守られていない心 あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれから湧く。箴言 4:23 みことばは、自分自身の心を見守らなければ、心がカラカラにひからびてしまうと言っています。心をひからびさせるものとは何でしょうか。それは、サタンの攻撃でも、試練でも、失敗でも、病気でもありません。 1)汚された心 蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、あなたがたの...
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「私はだれを恐れよう」(礼拝メッセージ2019/10/13)

詩篇は信仰の告白です。ダビデは「主は、私の光、救い、いのちの砦」と告白しました。どんなに敵や恐怖が強大であっても、主は自分を守り、勝利を与えて下さると信じ切って祈っています。 私たちは何を恐れているのでしょうか。主に信頼する、恐れて退いてしまうことのない信仰生活とはどのようなものでしょうか。 1.私たちが恐れるもの 私たちが恐れるものにはどんなものがあるでしょうか。 ・病気や災害 ・事故や怪我 ・霊的な敵 ・死や老い ・経済的危機 ・仕事関係や人間関係の失敗 ・本当の自分を知られること ・プライドが傷つけられること しかし、私たちが本当に恐れなければならないのは、すべてを支配なさっているお方、主なる神様です。 彼らを恐れてはいけません。・・・からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができ...
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「主に叫ぶ信仰」(礼拝メッセージ2019/10/06)

詩篇は、人の心の奥底から湧き上がる思いが信仰によって詩として表現されており、歌うことを前提としたものです。内容は、神様のご性質と御業の賛美、国家的な嘆き、王の生涯の出来事、個人的な哀歌、個人的な感謝、メシヤ預言などです。全部で150篇、ダビデによるものが75篇あります。 詩には、敵の存在、自分自身の罪、山積する問題による疑い、怒り、不安、悔い改めなどの心の叫び、神様の偉大さ、赦し、哀れみ、勝利、慰め、深い愛に対する感謝、喜び、賛美など、正直な思いが溢れ出ています。 1.神様に対する絶対的な信頼 ああ主よ、この祈りを聞いてください。王である神様、私の嘆きに耳を傾けてください。私は神様以外のだれにも、決して祈ったりしません。朝ごとに、天におられる神様を見上げ、御前に願い事を申し上げ、ひたすら祈ります。詩篇 5:1~3(LB訳) あなたはどうしようもなくなって、主に心か...
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「苦しみの意味」(礼拝メッセージ2019/09/29)

ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。ヨブ 1:1 ヨブ記は「知恵文学」の一部で、人生における深遠な問題「苦しみ」を主題としています。著者や著作年代は不明ですが、内容から族長時代のものと考えられています。ヨブに降りかかった災難、友人たちの主張、神様の現れ、ヨブの回復。ヨブ記は人生、苦しみ、信仰について教えています。 1.因果応報? 私たちは、因果応報の考えを持っていますし、聖書もそのように主張しているように見えるところがあります。そのため「因果応報、勧善懲悪」にそぐわない不条理なことに疑問がわき、神様を疑うようになります。 私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。ヨブ 2:10 最初、ヨブは神様...
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「サタンの策略」(講壇交換、室蘭聖書教会にて 高石兄)

私たちがサタンに乗じられない(欺かれない)ようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。 Ⅱコリント 2:11 パウロは、コリント教会の問題(分派、近親相姦、訴訟問題、自由の濫用、礼拝における混乱など)解決のために手紙を送りました。 いつの時代も問題は人の内にある罪の心、サタンの惑わし、みことばへの不従順、神様よりもサタンのことばを信じて従うことにあります。 1.サタンの策略 サタンは、最初から殺人者で嘘つき(ヨハネ8:44)で、クリスチャンとイエス様の御体である教会を破壊しようと昼夜を問わずうろつき回っています(Ⅰペテロ5:8)。サタンはキリストの使徒、光の御使い、義のしもべに変装することもできます(Ⅱコリント11:13~15)。 ジョン・ストットは「日毎の聖書」創世記の項でサタンの3つの巧妙さを指摘しています。 ...
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「友のための死」(礼拝メッセージ2019/09/15)

バビロン捕囚となったユダヤ人は、その後バビロンを征服したペルシアのキュロス王によって帰国が許可されますが、多くのユダヤ人がペルシア国内に留まっていました。エステル記は、クセルクセス王の時代(BC486~465年)、国務長官ハマンは国内のユダヤ人絶滅を画策しますが、それをモルデカイと養女の王妃エステルが未然に防ぎ、同胞を救ったという内容です。ハマンの陰謀が成功していれば、ネヘミヤもイエス様も存在していなかったでしょう。これは、プリムの祭りとして、ユダヤ人に祝われ続けています。(9:16~19,23~32) 1.モルデカイの信仰 モルデカイがハマンに拝礼をしなかったことが事の発端です。ハマンは怒り、モルデカイを木に架け、彼の同胞全体を絶滅させようと画策しますが、モルデカイには深い信仰がありました。 1)創造主なる神様だけを礼拝し、人間に拝礼しない(3:1~6) 2)王を暗殺...
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「喜びの日」(礼拝メッセージ2019/09/08)

ネヘミヤ記は、ネヘミヤがペルシア王宮でアルタクセルクセス王の献酌官をしている時に、祖国エルサレムの城壁が壊され、同胞が困難と恥辱の中にあるとの報告を受けたところから始まっています。 ネヘミヤは先祖の罪を悔い改め、王の許しを得てエルサレムの再建に乗り出し、反対者の妨害と戦いながらもついに城壁の修復を完成させます。それと同時に、ネヘミヤが最も願っていた信仰の回復がなされました。 1.ネヘミヤの祈り ネヘミヤは捕囚の地にあって、祖国についてもたらされた悲しい報告に愕然とし、断食して主に祈りました。そして、自らの危険を顧みずに、王にエルサレムの城壁の修復を嘆願し、許可をもらいました。 「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。・・・』このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。 ネヘミヤ 1:3,4 ...
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