礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

「私はだれを恐れよう」(礼拝メッセージ2019/10/13)

詩篇は信仰の告白です。ダビデは「主は、私の光、救い、いのちの砦」と告白しました。どんなに敵や恐怖が強大であっても、主は自分を守り、勝利を与えて下さると信じ切って祈っています。 私たちは何を恐れているのでしょうか。主に信頼する、恐れて退いてしまうことのない信仰生活とはどのようなものでしょうか。 1.私たちが恐れるもの 私たちが恐れるものにはどんなものがあるでしょうか。 ・病気や災害 ・事故や怪我 ・霊的な敵 ・死や老い ・経済的危機 ・仕事関係や人間関係の失敗 ・本当の自分を知られること ・プライドが傷つけられること しかし、私たちが本当に恐れなければならないのは、すべてを支配なさっているお方、主なる神様です。 彼らを恐れてはいけません。・・・からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができ...
礼拝メッセージ

「主に叫ぶ信仰」(礼拝メッセージ2019/10/06)

詩篇は、人の心の奥底から湧き上がる思いが信仰によって詩として表現されており、歌うことを前提としたものです。内容は、神様のご性質と御業の賛美、国家的な嘆き、王の生涯の出来事、個人的な哀歌、個人的な感謝、メシヤ預言などです。全部で150篇、ダビデによるものが75篇あります。 詩には、敵の存在、自分自身の罪、山積する問題による疑い、怒り、不安、悔い改めなどの心の叫び、神様の偉大さ、赦し、哀れみ、勝利、慰め、深い愛に対する感謝、喜び、賛美など、正直な思いが溢れ出ています。 1.神様に対する絶対的な信頼 ああ主よ、この祈りを聞いてください。王である神様、私の嘆きに耳を傾けてください。私は神様以外のだれにも、決して祈ったりしません。朝ごとに、天におられる神様を見上げ、御前に願い事を申し上げ、ひたすら祈ります。詩篇 5:1~3(LB訳) あなたはどうしようもなくなって、主に心か...
礼拝メッセージ

「苦しみの意味」(礼拝メッセージ2019/09/29)

ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。ヨブ 1:1 ヨブ記は「知恵文学」の一部で、人生における深遠な問題「苦しみ」を主題としています。著者や著作年代は不明ですが、内容から族長時代のものと考えられています。ヨブに降りかかった災難、友人たちの主張、神様の現れ、ヨブの回復。ヨブ記は人生、苦しみ、信仰について教えています。 1.因果応報? 私たちは、因果応報の考えを持っていますし、聖書もそのように主張しているように見えるところがあります。そのため「因果応報、勧善懲悪」にそぐわない不条理なことに疑問がわき、神様を疑うようになります。 私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪に陥ることはなかった。ヨブ 2:10 最初、ヨブは神様...
礼拝メッセージ

「サタンの策略」(講壇交換、室蘭聖書教会にて 高石兄)

私たちがサタンに乗じられない(欺かれない)ようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。 Ⅱコリント 2:11 パウロは、コリント教会の問題(分派、近親相姦、訴訟問題、自由の濫用、礼拝における混乱など)解決のために手紙を送りました。 いつの時代も問題は人の内にある罪の心、サタンの惑わし、みことばへの不従順、神様よりもサタンのことばを信じて従うことにあります。 1.サタンの策略 サタンは、最初から殺人者で嘘つき(ヨハネ8:44)で、クリスチャンとイエス様の御体である教会を破壊しようと昼夜を問わずうろつき回っています(Ⅰペテロ5:8)。サタンはキリストの使徒、光の御使い、義のしもべに変装することもできます(Ⅱコリント11:13~15)。 ジョン・ストットは「日毎の聖書」創世記の項でサタンの3つの巧妙さを指摘しています。 ...
礼拝メッセージ

「友のための死」(礼拝メッセージ2019/09/15)

バビロン捕囚となったユダヤ人は、その後バビロンを征服したペルシアのキュロス王によって帰国が許可されますが、多くのユダヤ人がペルシア国内に留まっていました。エステル記は、クセルクセス王の時代(BC486~465年)、国務長官ハマンは国内のユダヤ人絶滅を画策しますが、それをモルデカイと養女の王妃エステルが未然に防ぎ、同胞を救ったという内容です。ハマンの陰謀が成功していれば、ネヘミヤもイエス様も存在していなかったでしょう。これは、プリムの祭りとして、ユダヤ人に祝われ続けています。(9:16~19,23~32) 1.モルデカイの信仰 モルデカイがハマンに拝礼をしなかったことが事の発端です。ハマンは怒り、モルデカイを木に架け、彼の同胞全体を絶滅させようと画策しますが、モルデカイには深い信仰がありました。 1)創造主なる神様だけを礼拝し、人間に拝礼しない(3:1~6) 2)王を暗殺...
礼拝メッセージ

「喜びの日」(礼拝メッセージ2019/09/08)

ネヘミヤ記は、ネヘミヤがペルシア王宮でアルタクセルクセス王の献酌官をしている時に、祖国エルサレムの城壁が壊され、同胞が困難と恥辱の中にあるとの報告を受けたところから始まっています。 ネヘミヤは先祖の罪を悔い改め、王の許しを得てエルサレムの再建に乗り出し、反対者の妨害と戦いながらもついに城壁の修復を完成させます。それと同時に、ネヘミヤが最も願っていた信仰の回復がなされました。 1.ネヘミヤの祈り ネヘミヤは捕囚の地にあって、祖国についてもたらされた悲しい報告に愕然とし、断食して主に祈りました。そして、自らの危険を顧みずに、王にエルサレムの城壁の修復を嘆願し、許可をもらいました。 「あの州で捕囚を生き残った者たちは、大きな困難と恥辱の中にあります。・・・』このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。 ネヘミヤ 1:3,4 ...
礼拝メッセージ

「あわれみの主」(礼拝メッセージ2019/09/01)

エズラ記は、バビロン捕囚の中にあったユダヤ人が、その後興ったペルシア帝国のキュロス王のBC539年の勅令により、帰還して神殿建設を許され、困難を克服してBC515年に神殿を完成させたことが記されています。 エズラは祭司であり学者でした。彼は、帰還した人々に律法(みことば)を教えて信仰によって歩むように導き、神様にとりなしの祈りをしました。彼らが捕囚から解放され帰還できたのは神様のあわれみです。 1.捕囚からの帰還と神殿の建設 神の民ユダヤ人は、主なる神様を捨てて偶像の神々を慕ったために、異教の国へ捕囚となりました。しかし、神様はペルシア帝国のキュロス王を用いて、ユダヤ人を帰還(3回の帰還:ゼルバベル、エズラ、ネヘミヤ)させ、神殿を再建させました。神殿の再建は反対者もいて困難を極めましたが、BC515年に完成し、エレミヤの預言が成就しました。 「ペルシアの王キュロスは...
礼拝メッセージ

「助けてくださる主」(礼拝メッセージ2019/08/25)

第二歴代誌は、歴史の観点から書かれ、ソロモン王から始まり、分裂した南王国ユダの王たちの治世、王国滅亡、バビロン捕囚までが記されています。ユダの王は、ソロモンの子レハブアム王から始まり、主に従った善王と従わなかった悪王が現れました。 栄華を極めたソロモン王の時代は終わり、さらに不信仰な時代が続いてバビロン捕囚となりますが、最後に回復の希望の預言が記されています。 1.主の約束 ソロモンは神殿を奉献して祈りを捧げます。主はソロモンに信仰によって歩む正しい道と背くことのリスクを示されました。しかし、ソロモンの罪ゆえに王国は分裂し、混沌とした時代に入って行きました。 ・・・契約を結んだとおり、わたしはあなたの王座を確立しよう。しかし、もしあなたがたが背いて、あなたがたの前に置いたわたしの掟とわたしの命令を捨て去り、行ってほかの神々に仕え、それを拝むなら、わたしは彼らに与えた...
礼拝メッセージ

「偉大な主」(礼拝メッセージ2019/08/18)

歴代誌は、Ⅱサムエル記、ⅠⅡ列王記と並行した内容もありますが、祭司の視点で記されており、イスラエルの真の礼拝と真の主権が主題となっています。第1歴代誌は、アダムから捕囚後までの系図で始まり、神殿建設を目指したダビデ王、即位したソロモン王までが記されています。南王国の部族、ユダとベニヤミン部族、祭司のレビ部族が中心となっています。 今日は、「神様に従った人」ダビデの最後の祈りを見てみましょう。 1.主の創造の力 ダビデは神様の宮を建てることを切望して、あらゆる準備をしてきましたが、その建設は息子ソロモンに託されました。ダビデは私財をなげうって準備をし、それに呼応する者を募ると献げ物が殺到しました。ダビデはそれらを主に献げて、全てを創造し、支配し、所有し、力づけられる主をほめたたえます。 天にあるものも地にあるものもすべて、主よ、王国もあなたのものです。あなたは、すべて...
礼拝メッセージ

「主の目にかなうこと」 (礼拝メッセージ 2019/08/11)

第2列王記には、分裂王国時代の各王の治世について記されています。北王国イスラエルに善王はおらず、BC722年にアッシリア帝国によって滅ぼされました。南王国ユダには数人の善王がいましたが、北王国イスラエルと同様に不信仰ゆえに、BC856年にバビロン帝国によって滅ぼされました。  主はそれぞれの時代に、預言者エリヤ、エリシャ、イザヤたちを通して、民を悔い改めに導こうとされました。  主が望まれる「主の目にかなう」歩みとはどのようなものでしょうか。 1.預言者エリシャ(Ⅱ列王記3~8章) エリシャは農夫の子でしたが、エリヤの後継の預言者として偶像礼拝をする王たちを責め、預言者の学校を設け、様々な奇蹟(尽きない油、不妊の女の懐妊、男児の蘇生、有毒な煮物の解毒、パンの奇蹟、ナアマン将軍のらい病の治癒、斧の頭の浮揚、敵軍との戦いの奇蹟など)を通して主を証ししました。 エリ...
タイトルとURLをコピーしました