礼拝メッセージ

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「人の歩みは・・・・」(礼拝メッセージ2015/05/31)

人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れてもまっさかさまに倒されはしない。主がその手をささえておられるからだ。   詩篇 37:23,24 今の時代は、ポストモダニズム(脱近代主義)の時代と言われています。「一人ひとりが、自らの思うところを良しとする時代。どのような考えも許容する時代。」です。 神様がすべてのものを目的を持って創造し、「十戒」という基準を与えて下さったのにもかかわらず、それを無視する時代です。個人の自由や権利、あらゆる多様性が認められます。それらに反対すると「個人の自由だ。人権無視だ。」などと糾弾されます。神様の教えよりも個人の自由を最優先する社会です。 みことばは「人の歩みの確かさは、人の勝手気ままな欲望を成し遂げて得られるものではなく、主イエス様による」ことを告げています。 ①イエス様による罪からの自由。 ...
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「祝福された人生」(礼拝メッセージ2015/05/24)

今日は、ペンテコステ(聖霊降臨日)です。イエス様は私たちのために十字架上で呪われた者となって下さり、復活と聖霊降臨によって私たちに祝福の人生を与えて下さいました。 人はだれでも「呪われた人生」ではなく「祝福された人生」を求めています。「祝福された人生」とは「創造主である神様を認め、信じ受け入れる。自分自身の罪を認めて悔い改める。神のひとり子イエス・キリスト様を自分自身の救い主として信じる。救い主イエス・キリスト様とみことばに従う。」ことから始まります。「主の祈り」の中にその秘密があります。 「主の祈り」 天にまします我らの父よ。ねがわくは御名をあがめさせたまえ。御国をきたらせたまえ。みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ...
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「ゆるがない人生」(礼拝メッセージ2015/05/17)

人はだれでも「ゆるがない人生」を求めています。いつも何かに振り回されて、不安定で心の安らぎがなく、疲労しか残らない、空しい人生は御免だと思っています。「不安定な人生」その原因は3つあります。 ①自分自身がわからない ・自分はどこから来て、どこへ向かっているのか。(存在) ・自分は何のために生きているのか。(目的) ・自分はどういう人なのか。(本質) 初めに、神が天と地を創造した。      創世記 1: 1 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。イザヤ43:7 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、      ローマ 3:23 ②他の人と比較してしまう ・隣の芝生が青く見える ・他の人より劣っていると思う自分に価値を見いだせない ・自分のやっていることに使...
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「主のおしえ」(礼拝メッセージ2015/05/10)

ダビデ王は王位を息子ソロモンに渡し、死を目前にして最後のことばをソロモンに与えました。「神様のみこころに従った信仰の人」ダビデは、神様を信頼し、神様と共に歩んできましたが、その生涯は順風満帆ばかりではありませんでした。その経験から、王として、人としての生き方を残しました。 ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように言いつけた。「私は世のすべての人の行く道を行こうとしている。強く、男らしくありなさい。あなたの神、主の戒めを守り、モーセの律法に書かれているとおりに、主のおきてと、命令と、定めと、さとしとを守って主の道を歩まなければならない。あなたが何をしても、どこへ行っても、栄えるためである。  Ⅰ列王記 2: 1~3 イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光...
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「救いは主にある」(礼拝メッセージ2015/05/03)

ダビデ王は、姦淫と殺人の罪の後に悔い改めて主の赦しをいただきました。バテシェバとの子は死にましたが、後に主に祝福されたソロモンが誕生しました。その後、ダビデには様々な問題が降りかかり、ついには息子から王位を奪われそうになり、逃亡生活を送ることになります。 ①娘タマル、異母兄アムノンに辱められる。 Ⅱサムエル13:1~22 ②アムノン、アブシャロムに殺害される。  Ⅱサムエル13:23~33 ③アブシャロム逃亡する。                  Ⅱサムエル13:34~39 ④アブシャロム帰還し、王位を狙う。    Ⅱサムエル14:21~15:12 ⑤ダビデ王、アブシャロムに追われ逃亡生活。Ⅱサムエル15:13~15:37 ⑥アブシャロムの敗北と死。              Ⅱサムエル18: 9~18:33 ダビデ王はみことばに従って、子どもたちに対して適切に...
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「イエス様の完全な赦し」(礼拝メッセージ2015/04/26)

サウル王とヨナタンが戦死し将軍アブネルも倒れ、サウル家は衰えダビデは力を増していきました。ダビデは全国民から支持を受けて国家統一を果たしました。主は敵から国を守り安息を与えられました。しかし、その後大きな試みがありました。 ウリヤの妻は、夫ウリヤが死んだことを聞いて、夫のためにいたみ悲しんだ。喪が明けると、ダビデは人をやり、彼女を自分の家に迎え入れた。彼女は彼の妻となり、男の子を産んだ。しかし、ダビデの行なったことは主のみこころをそこなった。                              Ⅱサムエル 11:26,27 神様に忠実なダビデのちょっとした心のすき間に罪が入り込み、結果的に神様のみこころを大きく損なってしまいました。 ・自国軍交戦中に昼寝→のぞき→バテ・シェバとの姦淫→ 夫ウリヤを殺害→バテ・シェバとの結婚→男児出産 それなのに、...
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「共におられるイエス様2」(礼拝メッセージ2015/04/19)

見よ、わたしは、世の終わりまで、 いつも、あなたがたとともにいます。 マタイの福音書 28:20 イエス様が私たちといつも共にいて下さるとの約束は、何という喜び、慰め、力でしょうか。信仰の戦い、罪との戦い、自我との戦いの中で、私たちを慰め、励まし、支えて下さるのは、主イエス様だけです。旧約・新約聖書それぞれから、イエス様が共にいて下さった二人、エリヤとパウロを見てみましょう。 ①エリヤ エリヤは答えた。「私は万軍の神、主に、熱心に仕えました。しかし、イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、あなたの預言者たちを剣で殺しました。ただ私だけが残りましたが、彼らは私のいのちを取ろうとねらっています。」・・・・火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった。       Ⅰ列王 19:10~12 エリヤは、異教の預言者850人...
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「共におられるイエス様」(礼拝メッセージ2015/04/12)

見よ、わたしは、世の終わりまで、 いつも、あなたがたとともにいます。 マタイの福音書 28:20 このみことばは、今年度、教会に与えられたイエス様のすばらしいみことばです。イエス様の約束は真実で、私たちに慰めと励ましと力を与えて下さいます。 私たちは人生を歩んで行く上で、孤独にはなかなか耐えられないものです。神様が私たち人間を、神様と交わり、人間同士お互いに交流を持つ者として造られたからです。 このことばは、イエス様が大宣教命令と一緒に与えられたものです。私たちがこのイエス様の尊いご命令に従おうとする時に、たった一人で放り出されても何も出来ないでしょう。しかし、イエス様は、そんな私たちに対して「わたしはすべての権威を持っている。わたしはあなたと一緒にいる。」と約束して下さいました。その上で次の4つのご命令を与えられました。 ①出て行きなさい。 ②あらゆ...
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「キリストの現われ」(イースター特別礼拝メッセージ2015/04/05)

私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。  Ⅰコリント 15: 3~5 人間にとって、クリスチャンにとって、最も大切なこととは、 ①イエス様が聖書で預言されていた約束のメシヤであること。 ②あなたと私の罪のために十字架で死んで下さったこと。 ③お墓に葬られたこと。 ④よみがえられたこと。 ⑤あなたと私に現われて下さったこと。      です。 するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのです...
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「すべてのことを福音のために2」(礼拝メッセージ2015/03/29)

私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。    Ⅰコリント 9:23 先週見ましたように、福音とは「キリストの良い知らせ。喜ばしき音ずれ。キリストの十字架と復活。福音宣教。」のことです。私たちは「うれしい知らせ」を無償でいただき、この「うれしい知らせ」のために生きる者とされました。 もし、イエス様を知らなかったとしたら、自分自身の罪と欲望のために虚しい生き方をして、永遠の地獄へとまっしぐらに突き進んでいたことでしょう。 救い主イエス様によって福音の中に招き入れられた私たちは、神様、イエス様、聖霊様、自分自身、家族、隣人を喜んで生きられるように変えられました。かつてのサタン・悪霊・罪に支配されていた束縛の人生から解放されました。 ヨハネは、第二の手紙で福音に生きる兄姉に対して、基本的で大切な戒めを思い出させようとして...
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