礼拝メッセージ

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「狭い門から」(礼拝メッセージ2016/08/07)

狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。 マタイ 7:13,14 私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。・・・、長く生きて住む。     申命記 30:19,20 主イエス様は、創造主であり救い主です。すべてのことをご存じです。更に私たちを心から愛し、私たちの幸いを第一に考えて下さっています。 私たちには「いのちと滅び」のどちらかを選択する生き方があります。主イエス様は私たちに「狭い門=いのち」を選択するように勧めています。 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分の...
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「すでに到達したところを忠実に」(礼拝メッセージ2016/07/31)

あらゆることにおいて大切なのは、目標とそのための過程(プロセス)です。目標がなかったり、見失うと生きている意味がなくなります。また、過程が目標になってしまうとモチベーション(動機付け、意欲の源)がなくなり、最終地点に到達できません。明確で正しい目標があり、そのためのみことばを根拠とした適確な過程が良い結果をもたらします。 ピリピ3章から正しい目標と適確な過程を見てみましょう。 1.私たちの目標 ①神の栄冠を得る            (ピリピ3:14) ②再臨のイエス様とお会いする。     (ピリピ3:20) ③栄光の姿に変えられる。        (ピリピ3:21) 2.大人の信仰になる 大人の信仰とは、霊的に十分成長した信仰です。子供の信仰は、ほかから影響を受けやすく、わがままで自己流、状況や感情に流されやすく、安定性を欠いた信仰です。 ①信...
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「いばらの中に種を蒔くな」(礼拝メッセージ2016/07/24)

「イスラエルよ。もし帰るのなら、―主の御告げ。―わたしのところに帰って来い。もし、あなたが忌むべき物をわたしの前から除くなら、あなたは迷うことはない。あなたが真実と公義と正義とによって『主は生きておられる。』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、主によって誇り合う。」まことに主は、ユダの人とエルサレムとに、こう仰せられる。「耕地を開拓せよ。いばらの中に種を蒔くな。ユダの人とエルサレムの住民よ。主のために割礼を受け、心の包皮を取り除け。さもないと、あなたがたの悪い行ないのため、わたしの憤りが火のように出て燃え上がり、消す者もいないだろう。」   エレミヤ 4: 1~4 預言者エレミヤの時代、イスラエルの民は何に迷っていたのでしょうか。彼らに主以外に帰るべきところがあったのでしょうか。あるわけがありません。しかし彼らは二心によって迷っていました。クリスチャンは迷い悩む必要はあ...
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「どんな境遇でも満ち足りる歩み」(礼拝メッセージ2016/07/17)

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 ピリピ 4:11~13 私たちには自分が思い描く理想的な人生があります。しかし、現実的にはなかなかかなわないことのほうが多いものです。もし、自分が思い描かない人生やいかなる状況の中にあっても、満ち足りることができればどんなに幸いでしょうか。そうすれば、不平不満で自分自身の心が荒廃したり、周囲の人に嫌な思いをさせたりすることはないでしょう。 パウロ兄弟は、「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている」「満ち足りる(心乱されたり不安になったりしない)ことを...
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「罪を赦す権威」(礼拝メッセージ2016/07/10)

「罪を赦す、赦される」ということは、当事者同士の関係でなければ成立しないことです。私たち人間にとって「罪とは何か」「誰に対して罪の責任があるのか」「誰が罪を赦してくれるのか」とても大切なことです。 1)罪とは何か 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。  Ⅰヨハネ 3: 4 2)誰に対して罪の責任があるのか そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」   マタイ 22:37~40 わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し,これを形造り...
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「神様のご計画」(礼拝メッセージ2016/07/03)

私たちは、神様のご計画、特に自分自身についての神様のご計画(御心)が分かったなら、どれだけ楽で悩まないすばらしい信仰生活が送れるだろうかと考えたりします。 果たして私たちは、神様のご計画(御心)を知ることができるのでしょうか。熱心に祈り続ければ聖霊様がみことばによって示したり、あるいは心の内に語って下さるのでしょうか。 1.すでにみこころは示されている。 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。ヨハネ 15:15 神様は、聖書によって今の私たちに必要なことをすべて示し、教えて下さっています。知らなくて良いことは示されません。(詩131:1) 2.私たちはロボットではなく人間です。 そして神は、「われわれに似る...
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「わたしはある。」(礼拝メッセージ2016/06/26)

真の神様は「啓示」の神様です。私たちがいくら努力をしても頭をひねっても、神様がご自身を啓示して下さらなければ、神様を正しく知ることはできません。 神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』と。」出エジプト3:14 神様は、モーセを遣わす時にご自身を紹介するにあたって、『わたしはある。』(『あらゆる存在の根源である。』:現代訳、『生ける神、創造者』:LB訳、『有って有る者』:協会訳)、さらに『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と表現されました。イスラエルにとって、先祖の神であり、現在の神であることを示しています。 「存在していた(過去)。存在している(現在)。存在を続けるであろう(未来)。」という意味で、神...
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「あなたを良くして下さる方」(礼拝メッセージ2016/06/19)

主イエス様がどれほど私たちひとりひとりに、良くして下さったか、良くして下さっているか、本当に忘れがちです。特に、現状が自分の思い通りに行っていないと思っている時は、主の憐れみと恵みの中にありながら不平不満のゆえに、たくさんの良いものを見失っています。 ①どこから救われたのか 私たちも以前は、愚かな者であり、不従順で、迷った者であり、いろいろな欲情と快楽の奴隷になり、悪意とねたみの中に生活し、憎まれ者であり、互いに憎み合う者でした。しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。      テトス 3:3~5 ②不従順の時にも 主は情け深く、正しい。まことに、私たちの神はあわれみ深い。主はわきまえの...
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「主を知ることを求める」(礼拝メッセージ2016/06/12)

わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。ホセア 6: 6 ホセアは、紀元前8世紀の預言者で、アッシリヤによるサマリヤ陥落前までの40年間、北王国イスラエルに対して預言しました。彼は、主を知ろうとせず、罪を重ねるイスラエルの民に対して、警告と勧めを与えました。 主は、民に対して懲らしめを与えて罪を悟らせ、そこから回復して下さる方です。しかし、民は祭司らも強盗、姦淫、偶像礼拝の罪から離れず、形式的な礼拝で主に応えていました。  主は、誠実(契約の愛)と主を知ることを一番望んでおられます。(祭儀を否定しているのではなく、誠実の伴わない祭儀を喜ばない)主は、ご自身を求める者にご自身を現し、祝福を増し加えて下さいます。 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところ...
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「何から私たちは救われるべきか?」(礼拝メッセージ2016/06/05)

主イエス様は、私たちを救うために来て下さいました。それでは、主イエス様は、私たちを何から救って下さったのでしょうか。主イエス様の宣教開始の第一声はこうです。 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい〈すなわち、心を善いほうに変え、あなたたちの過去の罪を憎んで心底から行ないを改めなさい〉。天の御国が近づいたから。」 マタイ 4:17〈 〉は詳訳聖書 主イエス様は、悔い改めと信仰によって私たちを救って下さいました。「天の御国(神の国)」が近づいたから悔い改めて、これに入るように命じておられます。 「天の御国(神の国)」とは、神様の支配・統治を意味します。迷い出た私たちが(ルカ19:10)、神様の下へ帰り、関係が回復し、イエス様への信仰に基づいて、神様への服従の生活を送るようになることです。 救いとは、罪(目標をはずす、契約違反、神の像を失っている...
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