礼拝メッセージ

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「神様は懇願しておられる」(礼拝メッセージ2016/01/24)

主イエス様が公生涯に入られた時の第一声は、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」でした。イエス様はご自身で十字架による救いを完成すると共に、神様の救いを宣べ伝えるために来られました。イエス様は、日々弟子たちを伴い町々村々を巡って御国の福音を宣べ伝えられました。それが父なる神様から与えられた使命だったからです。 イエス様の昇天後、その使命は救いを受けた私たちに委ねられました。天地の主が懇願するほどにへりくだって「福音を受け入れるように」と語っておられます。 1)福音宣教はイエス様のご命令 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。マルコ16:15 2)見張り人としての役割 人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに...
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「益になるものを取り上げてはならない」(礼拝メッセージ2016/01/17)

ところが、〈あまりにも忙しくしていた〉マルタは、いろいろなもてなしのことで心を取り乱し、イエスのところに来て言った、「主よ、妹が私ひとりだけにもてなしをさせているのを、あなたはなんとも思われないのですか。手伝いをするように、〈私に手を貸して、私といっしょに自分の分をするように〉妹に言いつけて下さい」。しかし、主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くの事に気を配って思い悩んでいるが、必要なものは〈ほんの少しだけ、いや〉ただ一つだけである。マリヤはよい分〈益になるもの〉を選んだのだ。それは彼女から取り上げてはならないものである」。ルカ10:40~42 聖書で有名な箇所です。マルタは大切なお客であるイエス様をもてなす事に心奪われ、本当に大切なことを見失っていました。 マルタの心の内はどうだったのでしょうか。 1)イエス様を手厚くもてなしたいとの立派で純粋な思い。 ...
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「あわれみ深くしなさい」(2016/01/10礼拝メッセージ)

イエス様のすばらしい特徴のひとつに「あわれみ深さ」があります。天地の創造主、すべての支配者、聖いお方、完全なる方、さばき主であられるお方が、罪ゆえに滅びる運命にあった私たちに心を向け、あわれに思って救い出して下さいました(テトス3:5、ヘブル8:12)。これ以上のあわれみ深さはないでしょう。「恩知らずの悪人にも、あわれみ深い(ルカ6:35)」とみことばにある通りです。 イエス様に倣い、従おうとする者は、イエス様の次のみことばから教えられましょう。 1)人をさばくことから解放されよう。 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。   マタイ 12: 7 イエス様は、弟子たちをいわれのない罪に定めようとしたパリサイ人たちを責められました。あわれみのない心は、人...
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「2016年、祝福の道」(礼拝メッセージ2016/01/03)

2016年、新しい年が始まりました。主イエス様にあって私たちにとっての祝福の年です。主イエス様は、私たちにどうしたら祝福されるのかを明確に教えて下さいました。 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。・・・・あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行なうときに、あなたがたは祝福されるのです。ヨハネ13:12~17 1)イエス様を自分の「唯一の先生」であると認める。 2)イエス様の行動(生涯)は自分の模範であると認め...
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「イエス様の再臨」(元旦礼拝メッセージ2016/01/01)

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 ヨハネ 14: 1~3 新しい年、2016年を迎えました。イエス様にお目にかかる日を考えると、すべての人がまた1年近づいたことになります。 この激動する世界情勢、気象変動、自然災害。人々はますますイエス様のことを無視して自分勝手な道に進み、罪を増幅させています(ピリピ3:18,19)。キリスト教界も個人主義、分裂・分派、神秘主義、エキュメニズム(世界教会主義・教会一致促進運動)等、みことばに反する教えで満ちています(ピリ...
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「イエス様の赦し」(礼拝メッセージ2015/12/27)

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」        ルカ 23:33~35 2015年が終わろうとしています。この一年はあなたにとって感謝と喜びの一年だったでしょうか。一年の終りにイエス様の赦しとあわれみの中で生かされたことを覚えて感謝しましょう。  1)自分の罪と弱さといい加減さを自覚して、イエス様の赦し を享受(受け入れて自分のものとすること。受け入れて、味 わい楽しむこと。)しましょう。 シ...
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「イエス様の喜び」(クリスマス礼拝メッセージ 2015/12/20)

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 ルカ 2:10 クリスマスは喜びの訪れです。私たち罪人にとってこの上ない喜びの出来事、喜びの日です。あなたは喜んでいますか。 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ。」と言い、またある者は、「この方はキリストだ。」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」 ヨハネ 7:40~42 実はこの喜びは、信仰とつながっていることがわかります。 イエス様と出会った群衆には、イエス様をキリストと信じて喜ぶ人と、疑って信じない人がいました。 イエス様ご自身は父なる神様に対する絶大な信頼を持...
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「イエス様が一番嫌いなもの=偽善」(2015/12/13礼拝メッセージ)

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。マタイ6:1,2 聖書を見るとイエス様の一番嫌いなものは、「偽善」だと感じます。民衆や社会的弱者、弱っている人、病人、罪人(遊女、取税人)に対しては、やさしく憐れみを示しておられますが、律法尊重主義、宗教的いい加減さ、人に厳しく自分に甘い態度、高慢とさげすみ、利己的で自己中心な「偽善」に対しては、厳しく臨み、痛烈に批判されました。 イエス様は、神様の元へ来ようとする人々を邪魔し、神様のことばや思いをねじ曲げ、自分たちに利益を誘導して自分たちを高めようとす...
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「イエス様の忍耐」(礼拝メッセージ2015/12/06)

人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。       Ⅰペテロ 2:19~21 イエス様ほど忍耐された方はおられません。 元々、この地上はイエス様がいらっしゃるには、罪・悪・暴虐・不信仰・汚れ・偽善等々、ふさわしい所ではなかったでしょう。しかし、イエス様は私たちを救うためにあえて来て下さいました。そして忍耐の限りを尽くして下さいました。 1)弟子たちの無理解 2)人々...
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「イエス様に倣う者に」(礼拝メッセージ2015/11/29)

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。     ヘブル 12: 1,2 みことばは、①すべて邪魔になるものを捨て、②からみつく罪をかなぐり捨て、③私たちの心をそらすものから目を背けて、信仰生活という競争を走り抜くるように命じています。 私たちは、私たちに信仰を与え、信仰を完成して下さる主イエス様から目を離さず、日々仰ぎ見る必要があります。 今日は、イエス様が父なる神様に感謝した場面を見て、私たちもどのような時に感謝すべきか考...
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