礼拝メッセージ

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「イエス様の忍耐」(礼拝メッセージ2015/12/06)

人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。       Ⅰペテロ 2:19~21 イエス様ほど忍耐された方はおられません。 元々、この地上はイエス様がいらっしゃるには、罪・悪・暴虐・不信仰・汚れ・偽善等々、ふさわしい所ではなかったでしょう。しかし、イエス様は私たちを救うためにあえて来て下さいました。そして忍耐の限りを尽くして下さいました。 1)弟子たちの無理解 2)人々...
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「イエス様に倣う者に」(礼拝メッセージ2015/11/29)

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。     ヘブル 12: 1,2 みことばは、①すべて邪魔になるものを捨て、②からみつく罪をかなぐり捨て、③私たちの心をそらすものから目を背けて、信仰生活という競争を走り抜くるように命じています。 私たちは、私たちに信仰を与え、信仰を完成して下さる主イエス様から目を離さず、日々仰ぎ見る必要があります。 今日は、イエス様が父なる神様に感謝した場面を見て、私たちもどのような時に感謝すべきか考...
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「イエス様のいつくしみときびしさ」(礼拝メッセージ2015/11/22)

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。         ローマ 11:20~22 神様は愛であり、イエス様も私たちを愛して身代りとなって下さった愛のお方です。神様の愛は大きくて高くて深くて、計り知ることはできません。しかし、愛は放縦を許しません。 1)イエス様の愛といつくしみ キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であ...
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「失敗を受け入れて下さるイエス様」(礼拝メッセージ2015/11/15)

しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。      ルカ 22:60~62 人生において、失敗をしたことがないと言う人はいないでしょう。また、人は他人の失敗に対して、相手を赦して受け入れることはなかなか難しいものです。 しかし、心優しくへりくだったイエス様は、私たちの失敗や弱さ、罪深さをすべてご存じの上で、悔い改める私たちを受け入れて赦して下さるお方です。 1)自信満々の人でも失敗する。 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言...
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「イエスとは誰か」(礼拝メッセージ2015/11/08)

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 マタイ 16:15,16 イエス様は、弟子たちに「私を誰だと思うか」と尋ねられました。人々は、「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者のひとり」などと言っていました。(マタイ14:1,2)。 すべての人はイエス様から同じ問いかけを受け、自分の内で結論を出して生きています。選択肢は次の三択にまとめられます。「①立派な人・ただの人、②ちょっと霊的な人・預言者、③生ける神の子キリスト」人の考えでは正しい判断ができません。聖書はどのように言っているでしょうか。 1)創造主 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られ...
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「熱いか冷たいか」(礼拝メッセージ2015/11/01)

「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。                                黙示録 3:15,16 イエス様は、ラオデキヤ教会の兄弟姉妹に対して、「あなたがたは、なまぬるい。自分自身の現状を正しく認識していない。」と、厳しく戒めています。なまぬるいとは、イエス様に対して「あまり関心がない。中途半端な気持ちしかない。」ことを現わしています。 ①父を軽く見る兄 兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたり...
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「生かすことば、滅ぼすことば」(礼拝メッセージ2015/10/25)

正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。      箴言 10:21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。       箴言 18:21 どんなことばにも力があり、生きて働いています。私たちは、いろいろなことばを話し、聞き、受け入れ、拒みながら生きています。 ことばには、主から来ている真実で、人を養い、救い、慰め、励まし、忠告し、生かすことばもあれば、サタン・悪霊・罪に属する虚偽で、非難し、陰口を言い、誘惑し、傷つけ、死に至らしめることばもあります。 1.良いことばを選別して受け入れる。 主から来ている正しいことば、忠告、さとしを受け入れ(信じて)、サタンから来ている偽りのことばを拒否する。 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。      箴言 13: 3 ...
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「天に宝を積む生活とは」(礼拝メッセージ2015/10/18)

自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。   マタイ 6:19~21 私たちは、ひとりの独立した人格を持つ自由な存在です。誰からも生き方を強制される必要はありません。お金、ある物、ある事柄を大事にして生きることができますし、神様や霊的なことを第一として生きることもできます。 宝(寶)の漢字は「室内に宝石と金銭とつぼとがあるさま」から成っています。私たちが尊重し大切にして信頼するものです。ですから、私たちの唯一の先生であるイエス様は「宝のあるところに、あなたの心もある」と言われ、宝の蓄え方についてとても大切なことを教えられました。 「地上の宝」 ①物理的に価...
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「つまずかない歩み」(礼拝メッセージ2015/10/11)

わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。       箴言 3:21~26 すべての人は、シャローム(神様の与える内的な平安)を求めています。イエス様は私たちの罪を贖い、神様との和解に基づく魂の平安を与えて下さいました。そして、弟子たちに平安を約束されました(ヨハネ14:27)。パウロも私たちが「神様との平和を持っています」と教えました(ローマ5:1)。 私たちは、すでに神様の平安をいただいていますが...
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「惑わしの罠」(礼拝メッセージ2015/10/04)

振込詐欺の平成27年上半期の被害総額は約237億円となっています。莫大な金額です。大切に貯めた老後のお金がだまされて奪い取られています。これだけ注意喚起がなされていてもだまされる人は後を絶ちません。犯人のウソを信じ込んでしまい、周りの注意を促す真実の声を否定してだまされてしまいます。 なぜ、人は「真実」よりも「偽り」を信じるという惑わしをすんなりと受け入れてしまうのでしょうか。 私たちも主イエス様のすばらしい罪の赦し・救いをいただきながら、その救いや自分の信仰を疑うという愚かな考えに捕われてしまうことがあります。次のような時です。 ①昔と変わらない自分を見た時。 ②自分の罪や弱さに嫌気がさした時。(繰り返す自分) ③いくら祈っても自分の希望どおりにことが進まない時。 ④いくら一生懸命にがんばっても周りが認めてくれない時。 ⑤いくら福音を伝えても信...
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