礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

「イエス様のいつくしみときびしさ」(礼拝メッセージ2015/11/22)

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。         ローマ 11:20~22 神様は愛であり、イエス様も私たちを愛して身代りとなって下さった愛のお方です。神様の愛は大きくて高くて深くて、計り知ることはできません。しかし、愛は放縦を許しません。 1)イエス様の愛といつくしみ キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であ...
礼拝メッセージ

「失敗を受け入れて下さるイエス様」(礼拝メッセージ2015/11/15)

しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。      ルカ 22:60~62 人生において、失敗をしたことがないと言う人はいないでしょう。また、人は他人の失敗に対して、相手を赦して受け入れることはなかなか難しいものです。 しかし、心優しくへりくだったイエス様は、私たちの失敗や弱さ、罪深さをすべてご存じの上で、悔い改める私たちを受け入れて赦して下さるお方です。 1)自信満々の人でも失敗する。 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言...
礼拝メッセージ

「イエスとは誰か」(礼拝メッセージ2015/11/08)

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 マタイ 16:15,16 イエス様は、弟子たちに「私を誰だと思うか」と尋ねられました。人々は、「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者のひとり」などと言っていました。(マタイ14:1,2)。 すべての人はイエス様から同じ問いかけを受け、自分の内で結論を出して生きています。選択肢は次の三択にまとめられます。「①立派な人・ただの人、②ちょっと霊的な人・預言者、③生ける神の子キリスト」人の考えでは正しい判断ができません。聖書はどのように言っているでしょうか。 1)創造主 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られ...
礼拝メッセージ

「熱いか冷たいか」(礼拝メッセージ2015/11/01)

「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。                                黙示録 3:15,16 イエス様は、ラオデキヤ教会の兄弟姉妹に対して、「あなたがたは、なまぬるい。自分自身の現状を正しく認識していない。」と、厳しく戒めています。なまぬるいとは、イエス様に対して「あまり関心がない。中途半端な気持ちしかない。」ことを現わしています。 ①父を軽く見る兄 兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたり...
礼拝メッセージ

「生かすことば、滅ぼすことば」(礼拝メッセージ2015/10/25)

正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚か者は思慮がないために死ぬ。      箴言 10:21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。       箴言 18:21 どんなことばにも力があり、生きて働いています。私たちは、いろいろなことばを話し、聞き、受け入れ、拒みながら生きています。 ことばには、主から来ている真実で、人を養い、救い、慰め、励まし、忠告し、生かすことばもあれば、サタン・悪霊・罪に属する虚偽で、非難し、陰口を言い、誘惑し、傷つけ、死に至らしめることばもあります。 1.良いことばを選別して受け入れる。 主から来ている正しいことば、忠告、さとしを受け入れ(信じて)、サタンから来ている偽りのことばを拒否する。 自分の口を見張る者は自分のいのちを守り、くちびるを大きく開く者には滅びが来る。      箴言 13: 3 ...
礼拝メッセージ

「天に宝を積む生活とは」(礼拝メッセージ2015/10/18)

自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。   マタイ 6:19~21 私たちは、ひとりの独立した人格を持つ自由な存在です。誰からも生き方を強制される必要はありません。お金、ある物、ある事柄を大事にして生きることができますし、神様や霊的なことを第一として生きることもできます。 宝(寶)の漢字は「室内に宝石と金銭とつぼとがあるさま」から成っています。私たちが尊重し大切にして信頼するものです。ですから、私たちの唯一の先生であるイエス様は「宝のあるところに、あなたの心もある」と言われ、宝の蓄え方についてとても大切なことを教えられました。 「地上の宝」 ①物理的に価...
礼拝メッセージ

「つまずかない歩み」(礼拝メッセージ2015/10/11)

わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。にわかに起こる恐怖におびえるな。悪者どもが襲いかかってもおびえるな。主があなたのわきにおられ、あなたの足がわなにかからないように、守ってくださるからだ。       箴言 3:21~26 すべての人は、シャローム(神様の与える内的な平安)を求めています。イエス様は私たちの罪を贖い、神様との和解に基づく魂の平安を与えて下さいました。そして、弟子たちに平安を約束されました(ヨハネ14:27)。パウロも私たちが「神様との平和を持っています」と教えました(ローマ5:1)。 私たちは、すでに神様の平安をいただいていますが...
礼拝メッセージ

「惑わしの罠」(礼拝メッセージ2015/10/04)

振込詐欺の平成27年上半期の被害総額は約237億円となっています。莫大な金額です。大切に貯めた老後のお金がだまされて奪い取られています。これだけ注意喚起がなされていてもだまされる人は後を絶ちません。犯人のウソを信じ込んでしまい、周りの注意を促す真実の声を否定してだまされてしまいます。 なぜ、人は「真実」よりも「偽り」を信じるという惑わしをすんなりと受け入れてしまうのでしょうか。 私たちも主イエス様のすばらしい罪の赦し・救いをいただきながら、その救いや自分の信仰を疑うという愚かな考えに捕われてしまうことがあります。次のような時です。 ①昔と変わらない自分を見た時。 ②自分の罪や弱さに嫌気がさした時。(繰り返す自分) ③いくら祈っても自分の希望どおりにことが進まない時。 ④いくら一生懸命にがんばっても周りが認めてくれない時。 ⑤いくら福音を伝えても信...
礼拝メッセージ

「しぼられていく道」(礼拝メッセージ2015/09/27)

ダビデの賛歌 主よ。私の祈りを聞き、私の願いに耳を傾けてください。あなたの真実と義によって、私に答えてください。 あなたのしもべをさばきにかけないでください。生ける者はだれひとり、あなたの前に義と認められないからです。 敵は私のたましいを追いつめ、私のいのちを地に打ち砕き、長く死んでいる者のように、私を暗い所に住まわせたからです。 それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、私の心は私のうちでこわばりました。 私は昔の日々を思い出し、あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、あなたの御手のわざを静かに考えています。 あなたに向かって、私は手を差し伸べ、私のたましいは、かわききった地のように、あなたを慕います。セラ   詩篇143:1~ 6 ダビデは、敵によって追い詰められて心身ともに恐怖と絶望で打ちひしがれていました。 彼は窮地に陥り、主に対して心か...
礼拝メッセージ

「主に目を向けよ」(メッセージ2015/09/20)

都上りの歌 あなたに向かって、私は目を上げます。天の御座に着いておられる方よ。 ご覧ください。奴隷の目が主人の手に向けられ、女奴隷の目が女主人の手に向けられているように、私たちの目は私たちの神、主に向けられています。主が私たちをあわれまれるまで。 私たちをあわれんでください。主よ。私たちをあわれんでください。私たちはさげすみで、もういっぱいです。 私たちのたましいは、安逸をむさぼる者たちのあざけりと、高ぶる者たちのさげすみとで、もういっぱいです。 詩篇 123: 1~4 主を愛する主のしもべは、主を侮り高慢になっている者たちからのことばの暴力(悪口、偽り、醜聞、中傷、偽善)によって、精神的に追い詰められ、心が弱り苦しんでいる。 彼らは、行動による暴力で体を痛めつけるのではなく、たましいを痛めつけようとしている。主のしもべの価値をおとしめて、主に対する信仰や希...
タイトルとURLをコピーしました