礼拝メッセージ

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「神様に従う者への報い」(礼拝メッセージ2016/03/20)

バルクよ。イスラエルの神様が、あなたにこう言います。おまえはこう言ったな。私は実にみじめな人間だ。もう十分苦しんできたのに、神様は、なおも苦しみをお加えになった。出るのはため息ばかりで、ゆっくり休むことさえできない。こう言うバルクに答えてやれ。わたしは、わたしの建てたこの国をこわし、わたしの築いたものを引く抜く。おまえは、自分のために特別なことを求めてはならない。わたしはこの国民に大きな災いを下すが、おまえには報いとして、どこへ行っても守ってやることにする。エレミヤ 45: 2~5(LB訳)                            バルクは、名門の出で、教養豊かな人でした。彼は預言者エレミヤの指示に従って預言のことばを口述筆記し、これが王の前で朗読されました。彼は大きな期待を持っていました。 ①預言の書の朗読によって民も王たち指導者も悔い改める。 ②国が新しく...
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「良くても悪くても」(礼拝メッセージ2016/03/13)

彼らはエレミヤに言った。「主が私たちの間で真実な確かな証人でありますように。私たちは、すべてあなたの神、主が私たちのためにあなたを送って告げられることばのとおりに、必ず行ないます。私たちは良くても悪くても、あなたを遣わされた私たちの神、主の御声に聞き従います。私たちが私たちの神、主の御声に聞き従ってしあわせを得るためです。」 エレミヤ 42: 5~6 南王国ユダの王や多くの民は、主のさばきによってバビロンへ捕囚となりました。バビロンの王ネブカデレザルは、ゲダルヤをユダの総督とし、残された貧民たちを治めさせました。 残された民は、エレミヤに主の御心を伺ってほしいと頼みました。10日後に主からエレミヤに「私がともにいるので、バビロンを恐れずに、ここにとどまりなさい」と答えがありました(42:10~12)。 しかし、彼らは「良くても悪くても主のことばに従う」と誓いながら、舌の...
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「イエス様との契約」(礼拝メッセージ2016/03/06)

人は、救い主イエス様を自分自身の救い主として心で信じ、口で告白して救われます(ローマ10:9,10、ヘブル4:2,3)。私たちの信仰告白は、主イエス様の十字架の血潮による贖いを自分自身に適用し、律法ではない聖霊様による神様との新しい契約に至らせます。それは、神様のあわれみと恵みによる喜びと感謝に満ちた、厳粛で揺るがない契約です。(ガラテヤ 3:15) 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」Ⅰコリント11:25(マルコ14:22~24) 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。  Ⅱコリント 3: 6 エレミヤは神様に命じられて、レカブ人を神殿の一室に招き入れて、彼...
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「イエス様にある平安」(礼拝メッセージ2016/02/28)

すべての人は、境遇、社会環境、所有物、家庭環境、健康などに関係なく、「揺るがない本当の平安」を求め続けています。 では、本当の「平安」とは何でしょうか。どのようにしたら得られるのでしょうか。 1)悔い改め(耳障りの良いことばに惑わされてはいけない) エレミヤは主から命じられ、首にかせを付けた格好で、70年の捕囚の期間を経て回復(帰還)があることを預言した。しかし、ハナヌヤはそのかせを砕き、2年で帰ることができると偽りの預言をした。実は、帰還までには悔い改めが必要であった。 まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに70年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。 ・・・・平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。 ・・・・・」 エレミヤ 29:10~14 ...
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「イエス様にあって自慢する」(礼拝メッセージ2016/02/21)

私たちは、いろいろな「もの」や「こと」を自慢したり、逆に、「自分がふがいない」と落ち込んだりします。また、周りの人を「ダメなやつだ」とさげすんだり、「あいつだけなぜ」と羨ましがったりします。しかし、それはとても不安定で不幸な考え方です。聖書は、建設的で自分も周りも幸福にするすばらしい信仰のことばを教えてくれます。 しかし、あなたがたがイエス・キリストの中に自分のいのちを持っているのは、神から出たことなのです。神はこのかたを神から私たちに〔与えられた〕知恵とされ〔すなわち、神は、以前隠されていたご自身の救いのご計画、についての知識を私たちに掲示され、その知恵は現われて〕私たちの義となり〈こうして私たちを正しくし、神のみ前での正しい身分に立たせ〉、私たちのきよめ〔とし〕〈私たちをきよくし、聖なるものとし〉私たちの贖い〔とされた〕〈私たちが罪のために受ける永遠の刑罰からのがれるために、...
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「神様からの報い」(礼拝メッセージ2016/02/14)

私たちは、いろいろな報酬をもらうことができたら大変うれしいものです。しかし、イエス様は「人から賞賛を受けることは一時的で変わりやすく空しいものである。神様からいただく報酬、天に積まれる報いこそ永遠で変わることがなく価値のあるものだ。」と言われます。(人のほめ言葉は時として、社交辞令の場合もあり、自己満足、自画自賛、自己陶酔、自惚れ、高慢を招きやすいものです。) 神様からの報いを受けられる歩みを見ていきましょう。 1)イエス様のために苦しみ(迫害)にあう わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。  マタイ 5:11,12 2)イエス様のための行為(善行、施...
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「父なる神様がほめたたえられるために」(礼拝メッセージ2016/02/07)

キリストは・・・・、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。・・・・それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。  ピリピ 2: 8~11 私たちは何を第一に優先させ、何を目標に生活しているでしょうか。自分自身の満足、喜び、思いのままに生きるためでしょうか。 私たちに対する主イエス様の模範となる生涯の究極は、「父なる神様がほめたたえられること」のために、自分を放棄する事でした。主イエス様は自分を低くし、ひたすらそのことだけを追求されました。 1)イエス様の食物 イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころ〈喜ばれる事〉を行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物〈栄養〉で...
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「イエス様が招いた人々」(礼拝メッセージ2016/01/31)

主イエス様は公生涯に入られて福音宣教を開始された時、どのような人々を招き、受け入れたのでしょうか。聖書をひもとくと更にイエス様のすばらしさに触れることができます。それは、単に伝道のために人々を受け入れたのではなく、イエス様の生き方そのものが人々のためのものでした。 1)罪人 イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」 マルコ 2:17 2)幼子 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 ルカ18:15,16 3)神様のみ...
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「神様は懇願しておられる」(礼拝メッセージ2016/01/24)

主イエス様が公生涯に入られた時の第一声は、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」でした。イエス様はご自身で十字架による救いを完成すると共に、神様の救いを宣べ伝えるために来られました。イエス様は、日々弟子たちを伴い町々村々を巡って御国の福音を宣べ伝えられました。それが父なる神様から与えられた使命だったからです。 イエス様の昇天後、その使命は救いを受けた私たちに委ねられました。天地の主が懇願するほどにへりくだって「福音を受け入れるように」と語っておられます。 1)福音宣教はイエス様のご命令 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。マルコ16:15 2)見張り人としての役割 人の子よ。わたしはあなたをイスラエルの家の見張り人とした。あなたは、わたしの口からことばを聞くとき、わたしに代わって彼らに...
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「益になるものを取り上げてはならない」(礼拝メッセージ2016/01/17)

ところが、〈あまりにも忙しくしていた〉マルタは、いろいろなもてなしのことで心を取り乱し、イエスのところに来て言った、「主よ、妹が私ひとりだけにもてなしをさせているのを、あなたはなんとも思われないのですか。手伝いをするように、〈私に手を貸して、私といっしょに自分の分をするように〉妹に言いつけて下さい」。しかし、主は答えて言われた、「マルタよ、マルタよ、あなたは多くの事に気を配って思い悩んでいるが、必要なものは〈ほんの少しだけ、いや〉ただ一つだけである。マリヤはよい分〈益になるもの〉を選んだのだ。それは彼女から取り上げてはならないものである」。ルカ10:40~42 聖書で有名な箇所です。マルタは大切なお客であるイエス様をもてなす事に心奪われ、本当に大切なことを見失っていました。 マルタの心の内はどうだったのでしょうか。 1)イエス様を手厚くもてなしたいとの立派で純粋な思い。 ...
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