礼拝メッセージ

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「神様のご計画」(礼拝メッセージ2014/11/09)

こうしてボアズはルツをめとり、彼女は彼の妻となった。彼が彼女のところにはいったとき、主は彼女をみごもらせたので、彼女はひとりの男の子を産んだ。女たちはナオミに言った。「イスラエルで、その名が伝えられるよう、きょう、買い戻す者をあなたに与えて、あなたの跡を絶やさなかった主が、ほめたたえられますように。その子は、あなたを元気づけ、あなたの老後をみとるでしょう。あなたを愛し、七人の息子にもまさるあなたの嫁が、その子を産んだのですから。」ナオミはその子をとり、胸に抱いて、養い育てた。近所の女たちは、「ナオミに男の子が生まれた。」と言って、その子に名をつけた。彼女たちは、その名をオベデと呼んだ。オベデはダビデの父エッサイの父である。                        ルツ 4:13~17 ルツは、ナオミの勧めによって、ボアズの畑で一生懸命に働きました。ボアズはナオミの夫エリメレ...
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「異邦人ルツの信仰」(礼拝メッセージ2014/11/02)

ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、主が幾重にも私を罰してくださるように。」       ルツ 1:16,17 ルツは、イスラエルに正しく国を治める王がなく、めいめいが思い思いに生活していた士師の時代の人です。イスラエルの人々は、偶像礼拝に陥り、周辺国との争いも絶えない時代でした。そのような中で、異邦人モアブの一人の女性ルツの神様を見出して従う信仰と義母を大切にする犠牲的な愛は、私たちをホッとさせてくれるお話です。 エリメレクと妻ナオミは、飢饉のためにベツレヘムを離れて、死海の向こう約80km先のモアブの地へ移住...
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「ハチャメチャな士師」(礼拝メッセージ2014/10/26)

その後、この女は男の子を産み、その名をサムソンと呼んだ。その子は大きくなり、主は彼を祝福された。そして、主の霊は、ツォルアとエシュタオルとの間のマハネ・ダンで彼を揺り動かし始めた。   士師 13:24,25 マノアの妻は不妊の女でしたが、彼女に主の御使いが現れて、懐妊と生まれてくる子は、主に仕えるナジル人として聖別されていること、イスラエルをペリシテ人から救う者であることを告げました。誕生した男子サムソンは、ナジル人として生涯その誓願を果たさなければなりませんでしたが、それを軽視してしまいました。 彼のハチャメチャな事件 ①ペリシテ人との結婚(14:1~9) ②なぞかけと虐殺(14:10~20) ③ジャッカルによる畑への放火(15:1~20) ④遊女との関係(16:1~3) ⑤デリラとの関係/怪力の秘密を明かす(16:4~22) サムソンは甘やかされて我儘(わがまま)に...
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「生い立ちと信仰」(礼拝メッセージ2014/10/19)

さて、ギルアデ人エフタは勇士であったが、彼は遊女の子であった。エフタの父親はギルアデであった。ギルアデの妻も、男の子たちを産んだ。この妻の子たちが成長したとき、彼らはエフタを追い出して、彼に言った。「あなたはほかの女の子だから、私たちの父の家を受け継いではいけない。」 そこで、エフタは兄弟たちのところから逃げて行き、トブの地に住んだ。すると、エフタのところに、ごろつきが集まって来て、彼といっしょに出歩いた。          士師 11: 1~3 エフタは、遊女の子だったために、家族からのけ者にされ追い出されてしまいました。孤独な彼の周りには、ごろつきが集まって来ました。そんな時にアモン人がイスラエルに戦争を仕掛けてきたため、長老たちは、エフタに助けを求めて来ました。 エフタは、そのような境遇の中でも主に対する信仰を堅く持ち続け(11:9,23,24)、アモン人の王との交渉におい...
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「誘惑Aと誘惑B」(礼拝メッセージ2014/10/12)

そのとき、イスラエル人はギデオンに言った。「あなたも、あなたのご子息も、あなたの孫も、私たちを治めてください。あなたが私たちをミデヤン人の手から救ったのですから。」しかしギデオンは彼らに言った。「私はあなたがたを治めません。また、私の息子もあなたがたを治めません。主があなたがたを治められます。」    士師 8:22,23 ギデオンはそれで、一つのエポデを作り、彼の町のオフラにそれを置いた。すると、イスラエルはみな、それを慕って、そこで淫行を行なった。それはギデオンとその一族にとって、落とし穴となった。               士師 8:27 ギデオンは、主によってミデヤン人に大勝利し、イスラエルの民を圧制から解放しました。イスラエルの民は、ギデオンに孫子の代までイスラエルの王になってほしいと願いました。 しかし、ギデオンは、王となることを望まず、イスラエルの国は、...
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「弱さを担われる主」(礼拝メッセージ2014/10/05)

イスラエル人はまた、主の目の前に悪を行なった。そこで、主は7年の間、彼らをミデヤン人の手に渡した。こうして、ミデヤン人の勢力はイスラエルを押えたので、イスラエル人はミデヤン人を避けて、山々にある洞窟や、ほら穴や、要害を自分たちのものにした。士師 6: 1: ,2 主は、イスラエル人の罪に対してミデヤン人を用いて彼らを懲らしめ、悔い改めと信仰を引き出そうとされました。そして、預言者と御使いを遣わして直接働きかけられました(6:7~12)。 主は、臆病で疑り深いヨアシュの子ギデオンを士師として召されました。ギデオンは主の召しに対して不平不満を言い、尻込みして証拠としてのしるしを求めました(6:12~17)。彼は、示されたしるしによって、次第に主に対する信仰を持つようになりました(6:22~24)。しかし、依然として臆病な気持ち(6:27)と疑り深さ(6:36~40)は変わりません...
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「主イエス様に頼って生きる」(礼拝メッセージ2014/09/28)

彼は鉄の戦車900両を持ち、そのうえ20年の間、イスラエル人をひどく圧迫したので、イスラエル人は主に叫び求めた。 そのころ、ラピドテの妻で女預言者デボラがイスラエルをさばいていた。           士師 4: 3,4 イスラエルの民は、士師エフデの死後また主の目の前に悪を行いました。主は、カナンの王ヤビンと将軍シセラによって20年間支配させました。民は主に助けを求め、主は女預言者デボラと指揮官バラクによってイスラエルを救われました。 そこで、デボラはバラクに言った。「さあ、やりなさい。きょう、主があなたの手にシセラを渡される。主はあなたの前に出て行かれるではありませんか。」それで、バラクはタボル山から下り、一万人が彼について行った。主がシセラとそのすべての戦車と、すべての陣営の者をバラクの前に剣の刃でかき乱したので、シセラは戦車から飛び降り、徒歩で逃げた。士師 4:1...
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「訓練と試み」(礼拝メッセージ2014/09/21)

カナンでの戦いを少しも知らないすべてのイスラエルを試みるために、主が残しておかれた国民は次のとおり。―これはただイスラエルの次の世代の者、これまで戦いを知らない者たちに、戦いを教え、知らせるためである―       士師 3: 1,2 これは、主がモーセを通して先祖たちに命じた命令に、イスラエルが聞き従うかどうか、これらの者によってイスラエルを試み、そして知るためであった。士師 3: 4 主はカナン人たちを追い払わずに残すことによって、イスラエルの民が忠実に従うかどうかを試みました。 ①戦いを知らない世代に戦いを教えるため ②主の命令に聞き従うかどうか試みるため イスラエル人は、カナン人、・・・・の間に住んで、彼らの娘たちを自分たちの妻にめとり、また自分たちの娘を彼らの息子たちに与え、彼らの神々に仕えた。こうして、イスラエル人は、主の目の前に悪を行ない...
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「不徹底な服従=罠」(礼拝メッセージ2014/09/14)

さて、主の使いがギルガルからボキムに上って来て言った。「わたしはあなたがたをエジプトから上らせて、あなたがたの先祖に誓った地に連れて来て言った。『わたしはあなたがたとの契約を決して破らない。あなたがたはこの地の住民と契約を結んではならない。彼らの祭壇を取りこわさなければならない。』ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。それゆえわたしは言う。『わたしはあなたがたの前から彼らを追い出さない。彼らはあなたがたの敵となり、彼らの神々はあなたがたにとってわなとなる。』」  士師記 2: 1~3 イスラエルの指導者ヨシュアは、110歳で死に、葬られました。民はヨシュアと共にいた長老たちが生存していた時は、主に仕えていましたが、その後、主を捨ててカナンの神々バアルとアシュタロテ(男女の肥沃神)に仕えるようになりました。 民は、ヨシュアの惜別の説教...
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「あなたが求めるものは?」(礼拝メッセージ2014/09/07)

人間が自分自身の幸福を求めるのは、ごく自然のことです。人生そのもの、生きること自体が「幸福を追求し続けること」と言ってもいいでしょう。 それでは、人間にとって、クリスチャンにとって「幸福」とは何でしょうか。「金銭的・物質的・精神的な充足、健康など」でしょうか。 人間、クリスチャンのイメージする「幸福」と神様・イエス様が真理としてみことばで教えて下さっている「幸福」に大きなギャップがあります。イエス様は山上の垂訓(マタイ5:1~16)でそれを教えて下さっていますが、私たちの思い描いているものとは、大きく違います。 かつては恵みを求めていましたが、 今は主よ、あなたを求めます。 かつては感情に頼っていましたが、 今は主よ、あなたのみことばに頼ります。 かつては贈り物を求めていましたが、 今は主よ、すべてを持っておられる与え主を見つめます。 かつては癒や...
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