礼拝メッセージ

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「心を尽くし、思いを尽くす方」(礼拝メッセージ2012/12/09)

 「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。  わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。  わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。」  まことに、主はこう仰せられる。「わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす。           エレミヤ 32:37~42  心を尽くし、...
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「省いてはならないことば」(2012/12/02礼拝メッセージ)

「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。  彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。 エレミヤ 26: 2,3  BC609年、神様はエレミヤに命じられました。神様を礼拝するために来た人たちに、罪の悔い改めとエルサレムの崩壊を告げるように。エルサレムの人々は、神様に罪を犯し続けながら、神の都エルサレムは絶対に守られると言う変な信仰を持っていました。エレミヤは、神様から命じられたとおりに、預言の言葉を残らず語りました。それは、命がけの行為でした。預言を聞いた祭司、預言者、民はこぞってエレミヤを捕らえ、殺そうとしたのです。  私たちは人の顔色を伺って、みことばを水増し...
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「帯と土とビン」(礼拝メッセージ2012/11/25)

 私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。        エレミヤ 13: 7  わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。      エレミヤ 13:10     「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。   エレミヤ 18: 6   そこであなたは、同行の人々の目の前で、そのびんを砕いて、 彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を...
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「悲しみの人」(礼拝メッセージ2012/11/18)

 ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。                                エレミヤ 9: 1  もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。主の群れが、とりこになるからだ。                   エレミヤ 13:17    エレミヤは「悲しみの人」です。神の民イスラエルが、神様の恵みや祝福を捨てて逆らい、自ら滅びを招いていたからです。再三の預言のことばにも耳を貸さない民に、悲惨な結果が間近に迫って来ていることをエレミヤは見ていました。  エレミヤは民の運命を自らのこととして受け止めました。   ○イエス様も悲しみの人でした。  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で...
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「異教徒でもありえないこと」(礼拝メッセージ2012/11/11)

 キティムの島々に渡ってよく見よ。ケダルに人を遣わして調べてみよ。このようなことがあったかどうか、よく見よ。  かつて、神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろうか。ところが、わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替えた。  天よ。このことに色を失え。おぞ気立て。干上がれ。――主の御告げ――  わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。             エレミヤ2:10~13  エレミヤは、BC640年頃祭司の家に生まれ、BC627年に預言者として召命を受けました。イザヤの100年後の事です。ユダの最後の5人の王たちの治世に、約40年間、来るべき艱難と神様への悔い改めを訴えました。  神様は、ユダ王国の民が湧き水の清い泉である真の神様を捨てて...
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「イエス様中心主義」(礼拝メッセージ2012/11/04)

 苫小牧の老舗菓子店「三星」が苫小牧へ進出して100年を迎えました。小林慶義が1898年に小樽で長男幸蔵と共に「小林三星堂」を開店し、その後苫小牧に進出しました(小林慶義の弟末松の次男が小説「蟹工船」の作家、小林多喜二)。「三星」は幸蔵が信仰していたキリスト教の牧師が「信仰、希望、愛」を表す三つの星の意味を込めて名付けました。三代目の小林正俊は、この社名の由来を「仕事に惚れ、郷土に惚れ、女房に惚れる」という”三つ惚れマーク”と解釈したそうです。  ああ、あなたは怒られました。私たちは昔から罪を犯し続けています。それでも私たちは救われるでしょうか。  私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。あな...
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「イエス様の願い」(礼拝メッセージ2012/10/18)

 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。  なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。  イザヤ 55: 1,2  イエス様は私たちを元気づけようとされています。そんなに忠実でも、そんなに信仰深くもない者のために、イエス様は大変気遣って下さっています。イエス様は私たちに次のことを願っています。  ①イエス様から無料で良いものをたくさん受け取りなさい。イエス様に聞き従う者だけが受け取ることが出来ます。            イザヤ 55: 1,2  ②イエス様を求め、いつもイエス様の元に立ち帰る。  主を求めよ。お会いできる間...
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「喜びの信仰」(礼拝メッセージ2012/10/21)

 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。  御霊を消してはなりません。預言をないがしろにしてはいけません。すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。          Ⅰテサロニケ 5: 16~21  私たち「いつも喜んでいなさい。祈りなさい。感謝しなさい。」ということばによって、普段の生活で、○○せねばならないという強迫観念に捕らわれて、自分はいつも喜べないダメなクリスチャンだと落ち込むことがあります。 また、「いつもいつも順調で良いことばかりではない。毎日毎日うれしいことばかりあるわけではない」と反発する思いも沸いてきます。  しかし、みことばは、良いことやうれしいことが毎日やってくるから「喜びなさい」と言っているのでしょうか。かえって、イエス様に忠...
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「苦労する神、労苦しない人間」(礼拝メッセージ2012/10/14)

 しかしヤコブよ。あなたはわたしを呼び求めなかった。イスラエルよ。あなたはわたしのために労苦しなかった。   あなたはわたしに、全焼のいけにえの羊を携えて来ず、いけにえをささげて、わたしをあがめようともしなかった。わたしは穀物のささげ物のことで、あなたに苦労をさせず、乳香のことであなたを煩わせもしなかった。   あなたはわたしのために、金を払って菖蒲を買わず、いけにえの脂肪で、わたしを満足させなかった。かえって、あなたの罪で、わたしに苦労をさせ、あなたの不義で、わたしを煩わせただけだ。              イザヤ 43:22~24  創造主であり、裁き主であり、絶対者である神様が人間のために苦労し、神様に服従し、仕えるべき人間が自分勝手に生活して何の労苦もしない。それどころか、かえって、罪を犯して神様を煩わせています。実に不思議なことであり、あってはならないことです。し...
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「求めるべきものは?肉or霊」(礼拝メッセージ2012/10/07)

 ああ。助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。  しかし主は、知恵ある方、わざわいをもたらし、みことばを取り消さない。主は、悪を行なう者の家と、不法を行なう者を助ける者とを攻めたてられる。  エジプト人は人間であって神ではなく、彼らの馬も、肉であって霊ではない。主が御手を伸ばすと、助ける者はつまずき、助けられる者は倒れて、みな共に滅び果てる。 イザヤ 31:1~3    人は目に見える力についつい頼ってしまい、イスラエルのように神様の指示を仰がず、神様を信頼もせずにエジプト軍と同盟を結んでしまいます。神様は、イスラエルに対しても、エジプトに対しても徹底的に戦うと言われます。 旧約聖書を見ると、あらゆる戦いが軍事力ではなく、霊的な戦いであることがわかります(イザヤ 2:22,37:...
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