礼拝メッセージ

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主を軽んじることの恐ろしさと主の哀れみ(礼拝メッセージ2012/09/30)

 ああ。主に自分のはかりごとを深く隠す者たち。彼らはやみの中で事を行ない、そして言う。「だれが、私たちを見ていよう。だれが、私たちを知っていよう。」と。  ああ、あなたがたは、物をさかさに考えている。陶器師を粘土と同じにみなしてよかろうか。造られた者が、それを造った者に、「彼は私を造らなかった。」と言い、陶器が陶器師に、「彼はわからずやだ。」と言えようか。     イザヤ 29:15,16  主は、愛するアリエル(シオンの山、エルサレム)を愛するがゆえにアッシリヤによって懲らしめて、悔い改めへと導きます。口先だけで主をあがめ、人間的な教えしか受け入れない彼らは、真理から全く遠ざけられてしまいました。(イザヤ29:9~14)  へりくだる者は主によっていよいよ喜び、貧しい人はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。           イザヤ 29:19  しかし、心から悔...
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「聖霊様がともにいて下さる。」(礼拝メッセージ2012/09/23)

 ペテロは、アジア地方のパウロが主に伝道して建てられた教会の兄弟姉妹に、神様の恵みとクリスチャンの生き方を教え、励ましを与えるために手紙を書きました。  時まさに、ローマで皇帝ネロのクリスチャンに対する激しい迫害が始まった時であり、彼らの所にも迫害が及ぶことを予測し、その中にあってクリスチャンとしてどのように生きるべきかを示しました。 ① イエス様と同じ心構え  このように、キリストは(私たちのために、あなたがたのために)肉において苦しまれたのですから、あなたがたも〔神を喜ばせないで終わるよりは、むしろ、忍耐深く苦しもうというキリストと〕同じ思い<決意>をもって自分を武装しなさい。というのは、〔キリストの心をもって〕肉において苦しみを受けた者は、〔故意の〕罪を行うことをやめてしまったのです<自分自身とこの世とを喜ばせることをやめて、神に喜んでいただくようにす...
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「主イエス様の尽きない恵み」(2012/09/16礼拝メッセージ)

 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。    イザヤ 46: 3,4  神様から選ばれたイスラエルの民は、どれほど恵みをいただいてきたことでしょうか。神様から良きものをいただき、悪から守られ、すばらしい約束を与えられて導かれて来ました。でも、彼らは神様に従いませんでした。(イザヤ 5: 4)  神様の恵みとは「厚意、思いやり、愛のこもったいつくしみ、あわれみ、働き(功績)によらない、身に余る愛顧と霊的な祝福」と説明されます。(詳訳聖書)  それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせ...
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「酸いぶどうから甘いぶどうへ」(礼拝メッセージ2012/09/09)

「さあ、わが愛する者のためにわたしは歌おう。そのぶどう畑についてのわが愛の歌を。わが愛する者は、よく肥えた山腹に、ぶどう畑を持っていた。  彼はそこを掘り起こし、石を取り除き、そこに良いぶどうを植え、その中にやぐらを立て、酒ぶねまでも掘って、甘いぶどうのなるのを待ち望んでいた。ところが、酸いぶどうができてしまった。 イザヤ 5: 1~ 2  神様は、イスラエルを選び、エジプトの奴隷状態から救い出し、約束の地カナンに住まわせました。あらゆる恵みと祝福を与えて神様の民として育んできました。  しかし、イスラエルは高ぶり、神様の教えと戒めに歩まず、みことばを軽んじて自分勝手な罪の道に走ってしまいました。国の指導者や信仰の指導者が不正に走り、人々は神様にではなく、死人に伺いを立てるようになってしまいました。主は、イザヤを遣わし、彼らの信仰を立ち直らせようとしました。  私の耳に、...
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「イエス様の旗は愛」(礼拝メッセージ2012/09/02)

雅歌は、「Song of Solomon」と言われ、ソロモン王とシュラムの婦人との愛の叙情詩です。男女の愛の熱情と喜びに満ちあふれています。雅歌については、昔から多くの解釈がなされています。    ・イスラエルに対する神の愛  ・花嫁である教会に対するキリストの愛  などとも解されますが、人間の愛の美しさと不思議さをたたえ、肉体的魅力に対する率直でおおっぴらな歓喜が現されている。   私はシャロンのサフラン、谷のゆりの花。  わが愛する者が娘たちの間にいるのは、いばらの中のゆりの花のようだ。  私の愛する方が若者たちの間におられるのは、林の木の中のりんごの木のようです。私はその陰にすわりたいと切に望みました。その実は私の口に甘いのです。  あの方は私を酒宴の席に伴われました。私の上に翻るあの方の旗じるしは愛でした。    雅歌 2: 1~4   神様は人...
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「人は本当は何も知らない」(礼拝メッセージ2012/08/26)

 あなたはいっさいを行われる神のみわざを知らない。  伝道者の書 11:5  人は、あたかも何かを知っており、人生の何たるかを知っているかのように思い違いをして生きようとしています。  自分自身のこと、家族との関係、隣人との関係、仕事や生活のこと、将来のこと、死後のこと、人生の価値観、人生の規範、神様・イエス様・聖霊様・聖書のことなどなど、自分の経験と教えられ学んだことによって、いろんなことを知っていると思い込んで行動します。  しかし、人は聖書と聖霊様によらなければ何一つ知ってはいないし、何も持ってはいません。  自分自身の判断で「こういう生き方がベストだ」「この程度の生き方でイエス様の祝福をいただけるんだ」「この判断がベストだ」「この程度の服従でいいんだ」「将来のことはこの生き方でいいんだ」などと考えています。  みことばは私たちに勧めます。  1)将来について備え...
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「理屈を捜し求める人間への3つの忠告」(礼拝メッセージ2012/08/19)

 神は人を正しい者に造られたが、人は多くの理屈を捜し求めたのだ。 伝道者の書 7:29  歴史上最も知恵と知識に富んだソロモン王が、あらゆる経験を通して今、私たちに3つの忠告を与えます。  1)過去をうらやんではならない。   「どうして、昔のほうが今より良かったのか。」と言ってはならない。このような問いは、知恵によるのではない。           伝道者の書 7:10  私たちは、イエス様によって罪と滅びから救い出され、日々新たにされています。日々イエス様に近づいているのです。  2)順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。  神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。            伝道者の書 7...
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「主を恐れることのすばらしさ」(礼拝メッセージ2012/08/12)

 幸いなことよ。  いつも主を恐れている人は。  しかし心をかたくなにする人はわざわいに陥る。        箴言28:14  麗しさはいつわり。  美しさはむなしい。  しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。      箴言31:30   主を恐れるとは、恐怖心を持って尻込みすることではなく、畏怖の念を持つことです。  人は、いつも勘違いしやすい性質を持っています。イエス様を信じるクリスチャンであっても例外ではありません。自分にすべてを正しく判断する能力があり、すべてを決める権利があると思ってしまいます。  しかし、みことばによると私たちはイエス様の言いなりになるために救われ、服従することによって幸いと祝福をいただくことができます。逆に、自分優先の判断と自分の権利の主張、心の王座に自分を座らせることは、サタンと悪霊の思うつぼであり、災いと信仰の破船のさきがけとな...
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「試みの中にある私たち」(礼拝メッセージ2012/08/05)

 悪い者たちをねたんではならない。  彼らとともにいることを望んではならない。 箴言24: 1   神様を信じない連中をうらやんではいけません。  仲間になろうと思ってもいけません。    箴言24: 1(リビングバイブル)   イエス様を信じるクリスチャンは常に試みの中にあります。  私たちの周りには、みことばを信じさせまいとするもの、イエス様に従わせまいとさせるもの、惑わすもの、疑わせようとするもの、不従順にさせようとするもの、怠惰にさせようとするもの、力があります。  その力が、私たちの心の中にある「いつも神様に逆らって自分の思いを成し遂げようとする自己中心的な心」に働きかけるのです。  そのために、箴言では次のようなことに注意するように言われています。   ①悪人をうらやんではならない。       箴言24:1,19,20  ②自分の責任を果たしな...
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「人の計画と主の計画」(礼拝メッセージ2012/07/27)

  人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。  人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。  しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。  あなたのしようとすることを主にゆだねよ。  そうすれば、あなたの計画はゆるがない。 箴言16: 1~3   聖書を見ると、人は自分で人生の計画を立てて実行に移すことの出来る独立した人格を持った自由な存在であることがわかります。しかし、その計画には「自分中心の計画」と「神様中心の計画」の2種類があり、それを判断し、評価するのは人間ではなく神様御自身です。いくら自分が納得する立派な計画を立てて実行したとしても評価するのは神様です。  同じ箇所をリビングバイブルで見てみましょう。   人は計画を立てますが、その結果を決めるのは神様です。  自分が正しいと思うのは簡単です。しかし、神様は納得なさいません。  自分でしようと思わず...
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