礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

「摂理を暗くするのは誰か」(礼拝メッセージ2013/02/17)

 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。  知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。                                          ヨブ記 38: 1,2  ヨブは主に答えて言った。  あなたには、すべてができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを、私は知りました。  知識もなくて、摂理をおおい隠す者は、だれか。まことに、私は、自分で悟りえないことを告げました。自分でも知りえない不思議を。         ヨブ記 42: 1~3  摂理とは辞書によると「キリスト教で、創造主である神の、宇宙と歴史に対する永遠の計画・配慮のこと。神はこれによって被造物をそれぞれの目標に導く。」とあります。  ヨブは、自分に降りかかった災いについて、神様の意図が分からずに苦悩の日々を過ごしました。自分の正当性を主張し...
礼拝メッセージ

「主の熱心と私の熱心」(礼拝メッセージ2013/02/10)

 諸国の民は、イスラエルの家が、わたしに不信の罪を犯したために咎を得て捕らえ移されたこと、それから、わたしが彼らにわたしの顔を隠し、彼らを敵の手に渡したので、彼らがみな剣に倒れたことを知ろう。  わたしは、彼らの汚れとそむきの罪に応じて彼らを罰し、わたしの顔を彼らに隠した。それゆえ、神である主はこう仰せられる。今わたしはヤコブの繁栄を元どおりにし、イスラエルの全家をあわれむ。これは、わたしの聖なる名のための熱心による。               エゼキエル 39:23~25  この箇所は、バビロン捕囚とそこからの回復(帰還)、または終末における悪魔的勢力の反抗と主の日・イスラエルの回復と言われています。  神様は、イスラエルと諸国民にあらゆる方法でご自身がすべての主権者であることを知らしめます。 1.ご自身の民であっても罪があれば、敵の手に渡す。(23節) 2.主を侮...
礼拝メッセージ

「イエス様が主であることを知る」(礼拝メッセージ2012/02/03)

 次のような主のことばが私にあった。  「人の子よ。見よ。わたしは一打ちで、あなたの愛する者を取り去る。嘆くな。泣くな。涙を流すな。  声をたてずに悲しめ。死んだ者のために喪に服するな。頭に布を巻きつけ、足にサンダルをはけ。口ひげをおおってはならない。人々からのパンを食べてはならない。」  その朝、私は民に語ったが、夕方、私の妻が死んだ。翌朝、私は命じられたとおりにした。  すると、民は私に尋ねた。「あなたがしていることは、私たちにとってどんな意味があるのか、説明してくれませんか。」                                エゼキエル 24:15~19  主は、エゼキエルを通してエルサレムの罪とこれから降りかかる災いを告げます。なべで煮る肉、捨てられる肉、骨まで燃やされる肉、なべからさびを落とそうとする喩えを通してそのことを伝えます。もう一つは、...
礼拝メッセージ

「破れ口に立つ者」(礼拝メッセージ2013/01/27)

 そこには預言者たちの陰謀がある。彼らは、獲物を引き裂きながらほえたける雄獅子のように人々を食い、富と宝を奪い取り、その町にやもめの数をふやした。・・・・・・・。  一般の人々も、しいたげを行ない、物をかすめ、乏しい者や貧しい者を苦しめ、不法にも在留異国人をしいたげた。              エゼキエル 22:25~29  主は、エゼキエルを通してエルサレムの罪を指摘する。君主、祭司、預言者、一般の人々に至るまで、全体が罪を犯している。流血、虐待、強奪、わいろ、性的な罪、そして背信。  主は、精錬(試練)によって貴重な金属を得ようとするが、かなかすしか残らない。そこには、主に対する反逆と不信仰と罪しか見当たらない。  わたしがこの国を滅ぼさないように、わたしは、この国のために、わたしの前で石垣を築き、破れ口を修理する者を彼らの間に捜し求めたが、見つからなかった。   ...
礼拝メッセージ

「人に厳しく、自分に甘く」(礼拝メッセージ2013/01/20)

 罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。  しかし、悪者でも、自分の犯したすべての罪から立ち返り、わたしのすべてのおきてを守り、公義と正義を行なうなら、彼は必ず生きて、死ぬことはない。  彼が犯したすべてのそむきの罪は覚えられることはなく、彼が行なった正しいことのために、彼は生きる。  わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。――神である主の御告げ――彼がその態度を悔い改めて、生きることを喜ばないだろうか。        エゼキエル18:20~23  イスラエルでは、「親の罪によって子が罰せられる」と言われていた。しかし、神様は、「各個人が神様の前に責任がある」と告げる。  また、イスラエルの民は、「主の態度は公正でない」と言っているが、主は、「罪があったとしても心から...
礼拝メッセージ

「自己憐憫と不信仰」(礼拝メッセージ2013/01/06)

「バルクよ。イスラエルの神、主は、あなたについてこう仰せられる。  あなたは言った。『ああ、哀れなこの私。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、いこいもない。』  あなたが主にこう言うので、主はこう仰せられる。『見よ。わたしは自分が建てた物を自分でこわし、わたしが植えた物を自分で引き抜く。この全土をそうする。  あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下すからだ。―主の御告げ。―しかし、わたしは、あなたの行くどんな所ででも、あなたのいのちを分捕り物としてあなたに与える。』」        エレミヤ 45: 2~5  人は、がんばっているのに、思い通りに事が運ばないと落胆し、不平不満が出てきます。そして自己憐憫の心になり、神様に対して不信仰に陥ります。《自己憐憫(じこれんびん):自分で自分をかわいそ...
礼拝メッセージ

「自分の日を正しく数えること」(20130101元旦礼拝メーッセージ)

10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 11 だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。 12 それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。 《現代訳「どうか、残りの日を数えることを教えて、心に知恵を与えてください。」》 《リビングバイブル「どうか、私たちに与えられた日を数えさせてください。そして、どんなに短いものか気づかせてください。どうか、正しい日の過ごし方を教えてください。」》           詩篇 90:10~12    詩篇90篇の表題は「神の人モーセの祈り」となっています。  非常に謙遜で信仰の人であるモーセが、神様の創造のすばらし...
礼拝メッセージ

信仰と勇気(礼拝メッセージ2012/12/30)

 ゼデキヤ王は、シェレムヤの子エフカルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤを預言者エレミヤのもとに遣わして言った。「どうか、私たちのために、私たちの神、主に、祈ってください。」            エレミヤ書 37: 3   ゼデキヤ王は人をやって彼を召し寄せた。王は自分の家でひそかに彼に尋ねて言った。「主から、みことばがあったか。」エレミヤは、「ありました」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と言った。       エレミヤ書 37: 17  そこで、ゼデキヤ王は、ひそかにエレミヤに誓って言った。「私たちのこのいのちを造られた主は生きておられる。私は決してあなたを殺さない。また、あなたのいのちをねらうあの人々の手に、あなたを渡すことも絶対にしない。」    エレミヤ 38:16  人は、神様のこと、周りの人のこと、自分のことが気になって、イエス様に従いき...
礼拝メッセージ

「主の栄光」(2012/12/23クリスマス特別礼拝メッセージ)

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。  御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。  きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。               ルカ 2: 8~11    ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。           ヨハネ1:14  神様は、暗黒の世界に救いの輝き、イエス様の栄光を到来させなさいました。神様を認めず、サタン・悪霊・罪の手下となり、完全に支配され、自己中心に陥って...
礼拝メッセージ

「200年前の誓い」(礼拝メッセージ2012/12/16)

 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代に、主からエレミヤにあったみことばは、こうである。「レカブ人の家に行って、彼らに語り、彼らを主の宮の一室に連れて来て、彼らに酒を飲ませよ。」    エレミヤ 35: 1,2  すると彼らは言った。「私たちはぶどう酒を飲みません。それは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にぶどう酒を飲んではならない。    エレミヤ 35: 6  神様は、預言者エレミヤを通して、レカブの子ヨナダブの子たち(レカブ人)が、200年前の先祖の命令を今でも守り通していることを示された。それは、ユダとエルサレムの民が神様との契約を破り、背信に背信を重ねてきたことと非常に対照的であった。神様は多くの預言者を遣わして、悔い改めを促してこられたが、彼らは一切聞こうとはしなかった。神様は彼らにわざわいを下すと告げられた。...
タイトルとURLをコピーしました