礼拝メッセージ

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「自分の日を正しく数えること」(20130101元旦礼拝メーッセージ)

10 私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。 11 だれが御怒りの力を知っているでしょう。だれがあなたの激しい怒りを知っているでしょう。その恐れにふさわしく。 12 それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。 《現代訳「どうか、残りの日を数えることを教えて、心に知恵を与えてください。」》 《リビングバイブル「どうか、私たちに与えられた日を数えさせてください。そして、どんなに短いものか気づかせてください。どうか、正しい日の過ごし方を教えてください。」》           詩篇 90:10~12    詩篇90篇の表題は「神の人モーセの祈り」となっています。  非常に謙遜で信仰の人であるモーセが、神様の創造のすばらし...
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信仰と勇気(礼拝メッセージ2012/12/30)

 ゼデキヤ王は、シェレムヤの子エフカルと、マアセヤの子、祭司ゼパニヤを預言者エレミヤのもとに遣わして言った。「どうか、私たちのために、私たちの神、主に、祈ってください。」            エレミヤ書 37: 3   ゼデキヤ王は人をやって彼を召し寄せた。王は自分の家でひそかに彼に尋ねて言った。「主から、みことばがあったか。」エレミヤは、「ありました」と言った。そして「あなたはバビロンの王の手に渡されます」と言った。       エレミヤ書 37: 17  そこで、ゼデキヤ王は、ひそかにエレミヤに誓って言った。「私たちのこのいのちを造られた主は生きておられる。私は決してあなたを殺さない。また、あなたのいのちをねらうあの人々の手に、あなたを渡すことも絶対にしない。」    エレミヤ 38:16  人は、神様のこと、周りの人のこと、自分のことが気になって、イエス様に従いき...
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「主の栄光」(2012/12/23クリスマス特別礼拝メッセージ)

 さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。  御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。  きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。               ルカ 2: 8~11    ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。           ヨハネ1:14  神様は、暗黒の世界に救いの輝き、イエス様の栄光を到来させなさいました。神様を認めず、サタン・悪霊・罪の手下となり、完全に支配され、自己中心に陥って...
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「200年前の誓い」(礼拝メッセージ2012/12/16)

 ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代に、主からエレミヤにあったみことばは、こうである。「レカブ人の家に行って、彼らに語り、彼らを主の宮の一室に連れて来て、彼らに酒を飲ませよ。」    エレミヤ 35: 1,2  すると彼らは言った。「私たちはぶどう酒を飲みません。それは、私たちの先祖レカブの子ヨナダブが私たちに命じて、『あなたがたも、あなたがたの子らも、永久にぶどう酒を飲んではならない。    エレミヤ 35: 6  神様は、預言者エレミヤを通して、レカブの子ヨナダブの子たち(レカブ人)が、200年前の先祖の命令を今でも守り通していることを示された。それは、ユダとエルサレムの民が神様との契約を破り、背信に背信を重ねてきたことと非常に対照的であった。神様は多くの預言者を遣わして、悔い改めを促してこられたが、彼らは一切聞こうとはしなかった。神様は彼らにわざわいを下すと告げられた。...
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「心を尽くし、思いを尽くす方」(礼拝メッセージ2012/12/09)

 「見よ。わたしは、わたしの怒りと、憤りと、激怒とをもって散らしたすべての国々から彼らを集め、この所に帰らせ、安らかに住まわせる。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。  わたしは、いつもわたしを恐れさせるため、彼らと彼らの後の子らの幸福のために、彼らに一つの心と一つの道を与え、わたしが彼らから離れず、彼らを幸福にするため、彼らととこしえの契約を結ぶ。わたしは、彼らがわたしから去らないようにわたしに対する恐れを彼らの心に与える。  わたしは彼らを幸福にして、彼らをわたしの喜びとし、真実をもって、心を尽くし思いを尽くして、彼らをこの国に植えよう。」  まことに、主はこう仰せられる。「わたしがこの大きなわざわいをみな、この民にもたらしたように、わたしが彼らに語っている幸福もみな、わたしが彼らにもたらす。           エレミヤ 32:37~42  心を尽くし、...
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「省いてはならないことば」(2012/12/02礼拝メッセージ)

「主はこう仰せられる。主の宮の庭に立ち、主の宮に礼拝しに来るユダのすべての町の者に、わたしがあなたに語れと命じたことばを残らず語れ。一言も省くな。  彼らがそれを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは、彼らの悪い行ないのために彼らに下そうと考えていたわざわいを思い直そう。 エレミヤ 26: 2,3  BC609年、神様はエレミヤに命じられました。神様を礼拝するために来た人たちに、罪の悔い改めとエルサレムの崩壊を告げるように。エルサレムの人々は、神様に罪を犯し続けながら、神の都エルサレムは絶対に守られると言う変な信仰を持っていました。エレミヤは、神様から命じられたとおりに、預言の言葉を残らず語りました。それは、命がけの行為でした。預言を聞いた祭司、預言者、民はこぞってエレミヤを捕らえ、殺そうとしたのです。  私たちは人の顔色を伺って、みことばを水増し...
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「帯と土とビン」(礼拝メッセージ2012/11/25)

 私はユーフラテス川に行って、掘り、隠した所から帯を取り出したが、なんと、その帯は腐って、何の役にも立たなくなっていた。        エレミヤ 13: 7  わたしのことばを聞こうともせず、自分たちのかたくなな心のままに歩み、ほかの神々に従って、それに仕え、それを拝むこの悪い民は、何の役にも立たないこの帯のようになる。      エレミヤ 13:10     「イスラエルの家よ。この陶器師のように、わたしがあなたがたにすることができないだろうか。――主の御告げ――見よ。粘土が陶器師の手の中にあるように、イスラエルの家よ、あなたがたも、わたしの手の中にある。   エレミヤ 18: 6   そこであなたは、同行の人々の目の前で、そのびんを砕いて、 彼らに言え。『万軍の主はこう仰せられる。陶器師の器が砕かれると、二度と直すことができない。このように、わたしはこの民と、この町を...
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「悲しみの人」(礼拝メッセージ2012/11/18)

 ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを。                                エレミヤ 9: 1  もし、あなたがたがこれに聞かなければ、私は隠れた所で、あなたがたの高ぶりのために泣き、涙にくれ、私の目は涙を流そう。主の群れが、とりこになるからだ。                   エレミヤ 13:17    エレミヤは「悲しみの人」です。神の民イスラエルが、神様の恵みや祝福を捨てて逆らい、自ら滅びを招いていたからです。再三の預言のことばにも耳を貸さない民に、悲惨な結果が間近に迫って来ていることをエレミヤは見ていました。  エレミヤは民の運命を自らのこととして受け止めました。   ○イエス様も悲しみの人でした。  彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で...
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「異教徒でもありえないこと」(礼拝メッセージ2012/11/11)

 キティムの島々に渡ってよく見よ。ケダルに人を遣わして調べてみよ。このようなことがあったかどうか、よく見よ。  かつて、神々を神々でないものに、取り替えた国民があっただろうか。ところが、わたしの民は、その栄光を無益なものに取り替えた。  天よ。このことに色を失え。おぞ気立て。干上がれ。――主の御告げ――  わたしの民は二つの悪を行なった。湧き水の泉であるわたしを捨てて、多くの水ためを、水をためることのできない、こわれた水ためを、自分たちのために掘ったのだ。             エレミヤ2:10~13  エレミヤは、BC640年頃祭司の家に生まれ、BC627年に預言者として召命を受けました。イザヤの100年後の事です。ユダの最後の5人の王たちの治世に、約40年間、来るべき艱難と神様への悔い改めを訴えました。  神様は、ユダ王国の民が湧き水の清い泉である真の神様を捨てて...
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「イエス様中心主義」(礼拝メッセージ2012/11/04)

 苫小牧の老舗菓子店「三星」が苫小牧へ進出して100年を迎えました。小林慶義が1898年に小樽で長男幸蔵と共に「小林三星堂」を開店し、その後苫小牧に進出しました(小林慶義の弟末松の次男が小説「蟹工船」の作家、小林多喜二)。「三星」は幸蔵が信仰していたキリスト教の牧師が「信仰、希望、愛」を表す三つの星の意味を込めて名付けました。三代目の小林正俊は、この社名の由来を「仕事に惚れ、郷土に惚れ、女房に惚れる」という”三つ惚れマーク”と解釈したそうです。  ああ、あなたは怒られました。私たちは昔から罪を犯し続けています。それでも私たちは救われるでしょうか。  私たちはみな、汚れた者のようになり、私たちの義はみな、不潔な着物のようです。私たちはみな、木の葉のように枯れ、私たちの咎は風のように私たちを吹き上げます。しかし、あなたの御名を呼ぶ者もなく、奮い立って、あなたにすがる者もいません。あな...
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