礼拝メッセージ

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「いのちのパン」(聖日礼拝メッセージ 2021/09/05)

 今週からイエス様の神性について、聖書から教えていただきましょう。 イエス様は、様々な奇跡によってご自分が神であり、救い主であることを示し、主張されました(ヨハネ14:11)。また、五餅二魚の奇跡を通して、ご自分が私たちを養っておられることと、ご自分が永遠のいのちに至るいのちのパンであることを示して下さいました。 1.五餅二魚による五千人の給食  イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂き、そして人々に配るように弟子たちにお与えになった。また、二匹の魚も皆に分けられた。彼らはみな、食べて満腹した。・・・パンを食べたのは、男が五千人であった。マルコ 6:41~44  イエス様は、少年が差し出した小さなお弁当を祝福して、五千人以上の大勢の人々を養われました。 2.いのちのパン  ・・・あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを...
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「イエス様はなぜ受肉されたのか」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/29)

 先週は、受肉前のイエス様について見ました。今週は「受肉」です。計り知れない栄光に富んでおられたイエス様は、なぜわざわざこの地に降って来られ、卑しい人間の姿を取られたのでしょうか。  そこには私たちへの計り知れない愛がありました。 1.長期計画による受肉  アブラハムからダビデまでが全部で14代、ダビデからバビロン捕囚までが14代、バビロン捕囚からからキリストまでが14代となる。マタイ 1:17  イエス様の受肉は、天地創造前に計画され長い備えの期間がありました。 2.なぜ受肉されたのか 1)神様の約束、預言の成就:御子(救い主、王)の誕生の予告  キリストは、神の真理を現わすために、割礼のある者たちのしもべとなられました。父祖たちに与えられた約束を確証するためであり、また異邦人もあわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。ローマ 15:8,9 2)父なる神様を現わす...
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「受肉前のイエス様」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/22)

 私たちは、天から地に降り、人々に仕え、愛と教えを説き、旧約聖書の約束を成就し、十字架と復活によって救いを成し遂げ、昇天されて神様を見える形で現してくださったイエス様のお姿を聖書によって知ります。  それでは受肉される前のイエス様はどのような働きをされていたのでしょうか。イエス様は、受肉の予表として色々な場面で働かれました。 1.創造主なるイエス様  イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』なのです。」すると彼らは、イエスに投げつけようと石を取った。ヨハネ 8:58,59(ルカ 20:41~44)  神はモーセに仰せられた。「わたしは『わたしはある』という者である。」出エジプト 3:14  イエス様は、ご自身がモーセやアブラハム以前から存在し、天地の創造主・唯一の真の神と同一であることを主張されました。イ...
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「神様との和解」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/15)

 私たちは、天地を創造され、私たちに命と愛と恵みを与えて下さった神様を無視し、逆らい、多くの罪を重ねて、神様に敵対していた者でした。 こんな私たちは、全てを正しく裁かれる神様と和解しなければ、永遠の滅びに投げ込まれる存在でした。しかし、幸いなことに、神様の方から和解の方法を備えてくださいました。 1.兄たちを赦したヨセフ  神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、・・・大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。・・・私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、神なのです。 創世記 45:7,8  あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。創世記 50:20  ヤコブは、12人の息子のうち、愛するラケルの子で年寄り子だったヨセフを特別に愛し、ひ...
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「神様の子に」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/08)

 あなたは神様との関係において、現在自分がどんな立場にいるのか、意識したことがありますか。宇宙空間や社会に投げ出された孤児のような立場や罪に定められた者であれば、空しく悲しく絶望的です。しかし、イエス様は罪の赦しと同時に、私たちを「神様の子」にしてくださいました。  わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。ヨハネ 14:18 1.神の恵みを施そう  ダビデは言った。「恐れることはない。私は、あなたの父ヨナタンのゆえに、あなたに恵みを施そう。・・・」彼は礼をして言った。「いったい、このしもべは何なのでしょうか。あなた様が、この死んだ犬のような私を顧みてくださるとは。」・・・「・・・メフィボシェテは、いつも私の食卓で食事をすることになる。」Ⅱサムエル 9:7~10  ダビデ王と前王サウロの間には争いが続いていましたが、遂にダビデが勝利して全イスラエルを統治しました。ダビデはサウル...
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「恵みによる救い」(聖日礼拝メッセージ 2021/08/01)

 私たち人間は、自分の義と行いによって神様の要求に応えて基準をクリアできるので、神様は私たちを受け入れる義務があると考えます。しかし、それは自分たちの理屈でしかありません。私たちは、いくら努力をしても根本的に神様の義と聖の基準に達することはできません。 1.人間の傲慢  民はみな口をそろえて答えた。「私たちは主の言われたことをすべて行います。」それでモーセは民のことばを携えて主のもとに帰った。      出エジプト 19:8,24:3  私たち人間は、実に傲慢なものです。モーセに率いられ、多くの奇跡と神様の臨在を体験し、モーセを通して与えられた主の戒めと命令をすべて行いますと大見得を切っていても、あっさりと神様を捨てて偶像を自分たちの神々として祝い戯れました。人の行いはあてになりません。  「われわれに先立って行く神々を、われわれのために造ってほしい。」・・・それを鋳物の子牛に...
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「夜の訪問者ニコデモ」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/25)

 クリスチャンはボーンアゲイン(born again)新生した者と言われます。今日のニコデモの経験は、私たちにも当てはまる経験です。ニコデモは、ユダヤ教のパリサイ派に属していました。パリサイ派は、神の戒め(トーラー)を一生涯守り抜くと神に誓約を立てた、ユダヤ教の中でも最も厳格な派です。いわば宗教的なエリート、ユダヤ人の指導者であり、学識・教養・地位・名声・権威を持っていた人たちです。また、彼は老年期に達していて、人生経験が豊かで、経済的にも豊か(クリスチャンになった後の姿:ヨハネ19:39)でした。 1.ニコデモは、なぜ「夜」に訪問したのか?  「夜」と書かれているのには理由があります。おそらく周りの人の目を恐れていたのでしょう。しかし、イエス様を旧約聖書の真理を教えてくれる教師として認めた上で、教えを請いにやってきました。彼はとても謙遜な人で、熱心な求道心を持っていました。  ...
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「私の救い主」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/18)

 愛の大きさは、犠牲の大きさによって知ることができます。イエス様は私たちにご自身のいのちを与えるためにこの世界に来てくださいました。  私たちを「十把一絡げ(じっぱひとからげ)」に取り扱うのではなく、ひとり一人の名前を呼んで一対一で向き合い、罪と永遠の滅びから救い出してくださいました。 1.愛するがゆえの赦し  イエスはこう言われた。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」 ルカ 23:34  イエス様は私たちのために、ゲッセマネの園で祈り、十字架上で執り成しの祈りをしてくださいました。罪にまみれ、反抗的で、今まさに自分を殺そうとしている者に対して「彼らを赦してあげてください」と願い求めてくださいました。  人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです。マルコ...
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「さばきからの救い」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/11)

 聖書には「すべての人が罪の下にある」「全世界が神のさばきに服する」(ローマ 3:9~20)とあります。クリスチャンである私たちも本来自分自身の罪ゆえに、神様のさばきを受けるべき者でした。  聖く、正しく、真実な神様のさばきからの救いについて見てみましょう。 1.罪に対するさばき  ゲヘナ(地獄)では、彼らを食らううじ虫が尽きることがなく、火も消えることがありません。マルコ 9:48  当時の世界は水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。Ⅱペテロ 3:6,7  神様は、私たちを神様と同じように人格、知性、感情、自由意志を持つ特別な存在として創造されましたので、私たちの人生(生き方)が神様の基準に達していたかどうかを判断されます。罪とは律法に逆らうことですから、律...
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「罪の始まり」(聖日礼拝メッセージ 2021/07/04)

罪はどのようにこの世に入り込み、私たちにどのような影響を与えたのでしょうか。救い主イエス様による罪からの救いと私たちが取るべき罪への対処方法を考えましょう。 1.罪の始まり  そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった、それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。   創世記 3:6    罪の始まりは、アダムとエバが神様に従うか、悪魔に従うか、試されることからでした。自由意志が与えられている二人は、神様のご命令より悪魔の唆しに乗り、神様の所有物を盗み、悪魔のウソの方を信じて従いました。エバは、自分の欲に引かれて罪を犯し、アダムを共犯者として取り込みました。アダムはエバを諫めるどころか自分も共犯者になることに同意しました。第一の戒めである「神を愛せよ」を破ったことになります。  こういうわ...
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