礼拝メッセージ

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「キリストのことばが住むように」(礼拝メッセージ2018/04/08)

今年度、私たちの教会の頭(かしら)であるイエス様から、すばらしいみことばが与えられました。このみことばは、3つの命令ですから守っても守らなくても、どちらでも良いことばではありません。イエス様を自分自身の主とする者は、主の命令を守ります。 あなたがたが、〔霊的な事柄についての〕すべての洞察〈賢さ〈知恵〉をもって、互いに教え合い、また勧告し合い〈訓練し合い〉、また詩と賛美と霊の歌〔をうたって〕、心の中に〔神の〕恵みを覚えながら神に向かって調べを合わせるとき、キリスト〈メシヤ〉〔の語られた〕ことばを〈あなたがたの心情と知性の中に〉宿らせ《あなたがたのうちに〔全く〕豊かに住まわせ》なさい。 コロサイ 3:16(詳訳) キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛...
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「永遠のいけにえをささげて後」(礼拝メッセージ2018/04/01)

「わたしはいのちを捨てるために来ました」と言われているのです。キリストは、はるかにすぐれた制度を打ち立てるために、最初の制度を廃止されました。この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。・・・しかしキリストは、いつまでも有効なただ一つのいけにえとして、私たちの罪のためにご自分を神にささげ、そのあと神の右の座について、敵が足の下に踏みつけられるその日を待っておられます。ヘブル10:9,10,12(LB訳) 今日は復活祭・イースターです。イエス様は「いのちを捨てるために来ました」と言われたように、私たちを救い出し、いのちを与えるために苦しみもがき、最後には死なれました。しかし、三日目にはよみがえって下さいました。暗い全人類にこの上ない希望の光が差し込みました。 1.みこころを行うために来られたイエス様 ヘブル1...
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「キリストが私の中に生きている」(礼拝メッセージ2018/03/25)

私はキリストといっしょに十字架につけられました。〈私は〔キリストにおいて〕彼の十字架にともにあずかったのです〉。生きているのはもはや私ではありません。キリスト〈メシヤ〉が私の中で生きておられるのです。私が今肉体において生きている生活は、私を愛して私のためにご自身を与えてくださった神のみ子を信ずる信仰〈彼に対する心服《よりすがり《〔全き〕信頼》》〉によって生きている生活なのです。   ガラテヤ2:20(詳訳) 今年度、主から与えられたみことばです。1年間どのような思いで歩むことができたでしょうか。「キリストが私の中におられる」ことを信じて歩んで来たでしょうか。 1.律法の要求 神の律法は、私たちに完全な義を要求します。ローマ3:10~18に示されているように、私たちはその要求に全く応えることができません。自己義を振りかざして、自分はダメだと落ち込むことも律法主義です。...
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「訓戒に意を用いよ」(礼拝メッセージ2018/03/18)

あなたは訓戒に意を用い、・・・。箴言23:12 耳の痛いことばも喜んで聞き、ためになることはどんどん取り入れなさい。子どもはきびしく育てなさい。むちで打っても死にはしませんが、甘やかすと、やがて地獄に落ちることになります。わが子よ。あなたが知恵のある人間になってくれたら、どんなにうれしいでしょう。私の胸は、あなたの思慮深いことばに躍ります。将来は希望にあふれているのだから、悪人をうらやまず、いつも主を恐れて生活しなさい。箴言23:12~18(LB訳) 神様はしつこいくらい繰り返し、みことばに聞くようにと語っておられます。それは、私たちの創造主として、私たちがどのような性質の者であるかをよくご存じであられ、私たちにとって最も幸いな道、最も危うい道を知っておられるからです。 1.悟るに遅く、忘れやすい者 かつて、イスラエルの民は、主の奇跡を見て主に従うことを誓い...
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「小さい事に忠実な人」(礼拝メッセージ2018/03/11)

私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。 このばあい、管理者には、忠実であることが要求されます。     Ⅰコリント 4: 1,2 私たちの歩み・人生は、何の変哲もない一時、一日の積み重ねです。どんな立場の者として生活しているのか、任されているものにどのような態度で向き合っているかが問われます。 1.些細と思われること 些細なことと思うことは、軽く考えてないがしろにしやすいものです。教会の集まり、祈り、みことば、伝道、当番、対人関係など、自分がその価値を判断して行動します。 貧しい人には、「あなたは、そこで立っていなさい。・・・私の足もとにすわりなさい。」と言うとすれば、ヤコブ 2: 3 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。  マルコ 10:13 ...
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「人知を越えたキリストの愛」(礼拝メッセージ2018/03/04)

私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、エペソ 3:20 私たちは、宇宙・ミクロ・生物・霊などの世界を知り尽くすことは出来ません。ましてや神様ご自身・神様の愛も知り尽くすことはできません。一方、神様との関係、人間関係、生活、将来については、様々な願望を持っています。しかしそれは、今までの浅い経験や知識から来る限定され、歪められたものです。神様は独り子イエス様の十字架の救いによって人知を越えた愛を不思議な方法で私たちに教えて下さいました。 1.人の知識をはるかに越えた愛を知る 人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。  エペソ 3:19 1)完全には見極められない愛 さらに、それを身を持って経験できますように。もっとも、この愛はあまりにも大きいので、それを見極め、完全...
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「ほえたける獅子のように」(礼拝メッセージ2018/02/25)

身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。  Ⅰペテロ 5: 8 ペテロはキリストの苦難の証人、やがて現われる栄光にあずかる者として、私たちに勧めのことばを残しました。それは、敵対者の存在、勝利者であるイエス様、クリスチャンとしての注意すべき点です。 1.敵対者である悪魔の存在 敵である悪魔は、クリスチャンの従順な信仰生活に攻撃を仕掛けてきて、破壊しようとします。悪魔は「中傷者(ヨブ1,2章)・誘惑者(マタイ4:1~11)・反逆者(Ⅱコリント4:4)」であり、「人を落胆、失望させ、偽りを言ってでも人を責める」(H.j.ションフィールド)者です。 この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです...
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「神と共にある歩み」(礼拝メッセージ2018/02/18)

先週は、主イエス様の血潮によって私たちの罪が赦されたことをみことばから教えていただきました。それでは、罪赦された私たちが歩むべき道とは何でしょうか。 1.信仰によって神様と共に歩む 私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。     へブル 10:22 神様と私たちの仲介者は、神様が認めて下さった罪のない聖い完全なお方です。そのお方の犠牲によって、神様との敵対関係は完全に解消されました。(へブル10:10~21) 2.希望と愛と善行の歩み 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。 へブル 10:23,24 真実...
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「主イエスの血潮」(礼拝メッセージ2018/02/11)

医学書以外で「血」について最も多く記述されているのは聖書だと言われています。レビ記には神様と人との関係における 「血の犠牲」についての儀式が詳細に記されています。それは単に、儀式や規則が目的ではなく、人の罪と神様の聖さ・赦し・救い、イエス様の贖い・永遠の救いを現すものでした。 レビ記には5つの神様に対するささげ物が指示されています。 ①全焼のいけにえ:献身 ②穀物のささげ物:①③に添えて ③和解のいけにえ:神様との和解、感謝 ④罪のためのいけにえ:神様に対する違反  ⑤罪過のためのいけにえ:社会的な違反 1.罪の赦しのためには動物の犠牲が必要 イスラエルでは、他の民族とは一線を画した神観、律法、儀式、祭儀(唯一絶対の創造主、直接啓示の儀式、聖さ、高い道徳性、魔術・狂乱・売春・人身御供などの禁止等)がありました。神様は指示された一連の犠牲によって、人...
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「慰め主」(礼拝メッセージ2018/02/04)

今日、すべての人に一時的な気休めやその場しのぎではない、本当の「慰め」が必要です。「慰める」とは、「悲しんだり苦しんだりしている人に、やさしい言葉をかけたりして心をなごやかにさせ、静まらせる。心にうるおいを与えたり、楽しませたりする。労をねぎらう。いたわる。」ことです。 主イエス様は、「悲しむ者は、幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)とおっしゃられ、真の慰めを与えて下さいます。「慰め」は、次の一歩への力となります。 1.聖霊様は真の「慰め主」 イエス様が昇天されて後、私たちのすべてをご存知であるもうひとりの慰め主・聖霊様が、慰めと助けを与えて下さいます。 父は・・・もうひとりの慰め主(助言者、助け主、とりなす者、弁護者、激励者、援助者)を与えられる。〔そのかた〕は真理のみ霊である。ヨハネ14:16,17(14:26,15:26,16:7)詳訳...
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