礼拝メッセージ

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「私たちの天の父よ」(礼拝メッセージ2018/08/26)

ですから、あなたがたはこう祈りなさい。『天にいますわたしたちの父よ。    マタイ 6:9 私たちは、栄光に満ちた天地の主、創造主、主権者であられる神様を、親しく「お父様」とお呼びすることができる恵みをいただきました。 イエス様は、ご自分のお父様を独占せずに、ご自身が長子となられ、私たちを弟妹として下さいました。イエス様の天の父は、私たちにとってもすばらしいお父様です。 神は、あらかじめ知っている人たちを、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたのです。それは、多くの兄弟たちの中で御子が長子となるためです。ローマ 8:29 1.平等なお父様 天のお父様は、全ての人に対して分け隔てのない平等なお方です。 父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。 マタイ 5:45 2.良いものを与えてく...
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「見ないで信じる幸い」(礼拝メッセージ2018/08/19)

トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」 イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」  ヨハネ20,28,29 「見たから信じた」とは、「見ていないから信じない」ということです。イエス様は、見ないで信じる者こそが幸いだとおっしゃいました。 1.大切なものがすべて見えるとは限らない 人間に見えているのは、電磁波の内のごく一部の可視光線だけです。ましてや、生活圏外、霊の世界、過去・未来、ほとんどが見えていません。「見えるものしか信じない」ということは、不合理で非現実的です。 聖書は、見えないものこそ大切なものだと教えます。それは、救いであり、永遠の命です。見えないからといって信じることをやめて不信仰に陥ってしまえば、最も大切なものを失ってしまいます。 私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留...
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「すべての人に祈りと感謝を」(礼拝メッセージ2018/08/12)

そこで、私がまず第一に勧める〈強く訴える〉事は、願いと祈りととりなしと感謝とが、すべての人々のためにささげられ、王たちと権威〈重い責任〉の地位にあるすべての人々とのために〔ささげられる〕ことです。それは、私たちが、あらゆる面において全く信仰深く〈敬けんに〉、また謹厳さをもって、〔外的に〕静かな〈落ち着いた〉、そして、〔内的に〕平和な生活を送るためです。このような〔祈り〕は善い事〈正しい事〉であり、私たちの救い主である神に喜ばれる〈受入れられる〉事です。この〔神は〕、すべての人々が、救われて〔神の〕真理をますます明確に〈正しく〉悟る〈認める〈見分ける〈知る〉ことを、望んでおられるのです。〔その真理とは〕神は〔唯〕一であるということ、そして、神と人との仲立ち人も〔唯〕一、すなわち人間キリスト・イエスである、ということです。この〔キリスト〕はご自身をすべての〔人々の〕ために身のしろ金としてお与...
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「神様による調和」(礼拝メッセージ2018/08/05)

神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させて下さったのです。           Ⅰコリント 12:24(第2版) 調和とは「全体がよくつりあって、矛盾や衝突がなく、まとまっていること」です。神様は、人体を調和のとれた完全な、素晴らしいものとして創造されました。同様に、イエス様を土台とし、頭とした教会も調和のとれた完全な、素晴らしいものとして下さいました。 あなたは今、神様が調和させて下さっている調和の中にいますか。 1.民族、地位、立場、性別、貧富、能力の調和 すべてのクリスチャンは、神様の前に平等であり、一つの体です。 私たちはみな、ユダヤ人もギリシャ人も奴隷も自由人も、一つの御霊によってバプテスマを受けて、一つの体となりました。そして、みな一つの御霊を飲んだのです。  Ⅰコリント 12:13 2.賜物・奉仕・働きの調和 ...
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「主イエスは、私たちの背きの罪ゆえに」(礼拝メッセージ2018/07/29)

この主イエスは、私たちの罪のために、裏切られて殺され、私たちの義認〈無罪放免〉を獲得するため《私たちを神の前においてすべての罪責から赦免することによって私たちの計算書を不足なしにするため》、よみがえらせられたのです。ローマ人への手紙 4:25(詳訳) 1.イエス様の死 天地の造り主・全能者・主権者・裁き主・神であられるイエス様が人となってこの世に来られたこと、33年の生涯を歩まれたこと、人々に裏切られ苦しみを受けられたこと、最後は十字架で死なれたこと、これら全ては私たちの罪のために行われたことでした。 しかし、彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒された。私たちはみな、羊のようにさまよい。それぞれ自分勝手な道に向かって行った。しかし、主は私たちすべての者の咎を彼に負わせた。 ...
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「主の名をみだりに口にしてはならない」(礼拝メッセージ2018/07/22)

今日のみことばは、十戒の第三戒「主の名をみだりに口にしてはならない」です。 国語的にみだりに【妄りに・濫りに・猥りに】は次のことを意味します。 ①  分別なく行うさま。 「~口出しをするな」 ②  正当な理由や資格もなく行うさま。 「~立ち入ることを禁ず」 悪のために(自分中心的事柄のために)、偽りのために、むなしいことのために、主の御名をみだりに唱えてはなりません。 主の名をみだりに口にするとは、次の3つの意味があります。 1.偽りの誓い あなたがたは、わたしの名によって偽って誓ってはならない。そのようにして、あなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。 レビ19:12 2.主を悪く言う だれでも誘惑されているとき、神に誘惑されていると言ってはいけません。神は悪に誘惑されることのない方であり、ご自分でだれを誘惑することもあり...
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「すべてのことにおいて感謝」(礼拝メッセージ2018/07/15)

万事について〔神に〕感謝しなさい〈環境がどのようであっても、感謝深くあり、感謝をささげなさい〉。というのは、それはキリスト・イエスにあるあなたがたに対する神のみこころであり〔キリストはそのみこころの啓示者または仲介者であられる〕からです。 Ⅰテサロニケ 5:18(詳訳) クリスチャンの根本的な態度として「いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなさい。」と勧められていますが、私たちは「いつもいつもそんなことはできない。難しい時の方が多いですよ」と反論し、できない自分に失望してしまいます。 神様は、根拠なく私たちにできないことを命じておられるのでしょうか。そうではありません。それは神様のみこころであり、イエス様によって実証済みですし、私たちにとって信仰による最善の生き方です。 1.悪意を捨てる(Ⅰテサロニケ 5:12~15,22) 1)指導者への尊敬 ...
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「良い忠実なしもべとは」(礼拝メッセージ2018/07/08)

彼の主人は彼に言った、『みごとだ。おまえはまっすぐな〈りっぱな、感心な〉そして忠実なしもべだ。おまえは少しのものについても忠実であった。〈信頼できる者であった〉。私はおまえに多くのものを管理させることにする。主人の〔喜ぶ〕喜び〈歓喜、幸福〉にはいれ〈をともにせよ〉』。       マタイ 25:21(詳訳) イエス様は、天の御国を「十人の花嫁」と「旅に出る主人」にたとえました。ここでは、神様から各人に預けられている「主の財産」を、終末に備えて正しく管理・運用するように勧めています。神様の信頼に応えて忠実に管理したか、不信仰で働かず管理を怠ったか、すべてを清算する日が来ると告げています。 1.主の財産 1)どんなもの? 能力、経験、時間、賜物、財産、職務、社会的信用など。 2)能力に応じて 主はみこころのままに、各人にふさわしいタラント(財産)を託して下さ...
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「神様を証しするもの」(礼拝メッセージ2018/07/01)

だれもまだ神を見たことはない。ただひとりの比類のないみ子、ひとり子の神、み父のふところにおられる〔すなわち父に最も身近におられる〕かた、そのかたが神を現わされた〈啓示された、目に見えるように現わされた、神を説き明かされた《知らされた》〉。ヨハネ 1:18(詳訳) 1.啓示の神様 1)自然による啓示 神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。ローマ 1:20 2)聖書による啓示 あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って、聖書を調べています。その聖書は、わたしについて証ししているものです。  ヨハネ5:39 3)ご自身を啓示(神様を見た人) ハガル(創世記16:13)、ヤコブ(創世記32:30)、モーセ、アロン、ナダブ、アビフ、70人の長老...
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「自由を得させるために召された」(礼拝メッセージ2018/06/24)

兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉(利己心のための※詳訳)の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。 ガラテヤ 5:13 1.与えられた自由 1)何からの自由なのか 私たちは自由を与えられるために救われました。以前は何に束縛され、何の奴隷になっていたのでしょうか。罪・お金・欲望・憎しみ・悪意・自己中心・周りの評判・善行・自己満足・自分の理想などです(ローマ1:29~31)。それらの束縛からイエス様は解放して下さいました。 2)ガラテヤ教会の場合 ガラテヤの兄弟姉妹は、忍び込んできたニセ教師、ユダヤ主義者たちによって惑わされ、イエス様が与えて下さった信仰による義を否定し、行ないによる義、ユダヤ教の儀式やおきての奴隷となってしまいました。 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。で...
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