礼拝メッセージ

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「十字架につけろ。」(礼拝メッセ―ジ2019/04/14)

あなたは人を助けるために自分を犠牲にしたことがありますか。自分には全く非がないのに、非難されて大きな損失を被り、周囲の人から疑われ嫌われても、その人のために甘んじて受けた経験です。 イエス様が捕らえられ、不当な裁判を受けて有罪となり、十字架にかけられた時、多くの人々が関わっていました。 1.群衆 ・・・群衆は、イエスの前を行く者たちも・・・、こう言って叫んだ。「ホサナ、ダビデの子に、祝福あれ、・・・」・・・群衆は「この人はガリラヤのナザレから出た預言者イエスだ」と言っていた。マタイ 21:8~11 ピラトは彼らに言った。「あの人がどんな悪いことをしたのか。」しかし、彼らはますます激しく叫び続けた。「十字架につけろ。」マルコ15:14 群衆は、イエス様がエルサレムへ入城した時に、棕櫚の葉を振って大歓迎しました。しかし、総督ピラトがイエス様が無罪であることを確信...
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「信仰義認」(礼拝メッセージ2019/04/07)

昔の時代にこのように書かれたことは何でもみな私たちの教訓のために書かれたのであって、すなわち〔私たちの堅い、しんぼう強い〕忍耐と、聖書から〔与えられる〕励ましとによって、私たちが望みを堅く保つ〈胸にいだく〉ためです。ローマ 15:4(詳訳) 今年度は旧約聖書(創世記~マラキ書)を中心にみことばを賜りたいと思います。旧約聖書は、私たちの教訓(忍耐と励まし)のため、救いの希望をしっかりと持ち続けるために与えられています。 旧・新約聖書を貫いて与えられていることは「信仰義認」(神様の前に無罪とされ義人と認められるのは、行いによらず、キリストの贖いを信じる信仰による)です。 1.アブラハムの信仰 信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。・・・彼は、神には人を死者の中か...
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「生きる望み」(礼拝メッセージ2019/03/31)

ほむべきかな〈賛美すべきかな、聖なるかな〉私たちの主イエス・キリスト〈メシア〉の父なる神。その限りのないあわれみにより、死人の中からのイエス・キリストのよみがえりを通して、私たちを再び生まれさせて、いつも生きている望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ち滅びることのない〈変化《腐敗》の力も及ばない〉、汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐように〔新しく生まれ〕させてくださったのです。Ⅰペテロ 1:3,4(詳訳) 1.罪ゆえの望み無き生き方 そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。 エペソ 2:12 罪ゆえに造り主である神様から離れ、偽りの神々を拝み、生きる意味も基準もなく、将来や後の世における希望もなかった私たちです。(聖歌451番「神なく望みなく」...
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「大切なものを大切なお方に」(礼拝メッセージ2019/03/24)

イエスは、献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。・・・この人は乏しい中から、持っているすべてを生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」マルコ 12:41~44 なぜ、イエス様はわざわざ献金箱の向かい側に座って、人々が献金する様子を見ておられたのでしょうか。金持ちたちが、大金を投げ入れている中、なぜ、貧しいやもめを賞賛したのでしょうか。 1.何を献げたのか 金持ちたちは、これ見よがしに、あり余る中から大金を献金箱に投げ入れていました。自分が賞賛され、評判が上がるように、人目に付くようなパホーマンスです。周囲の者たちは、彼らを絶賛していたことでしょう。 貧しいやもめは、人目に付かないようにこっそりと投げ入れました。それは、最小単位の銅貨2枚、所有額のすべてでした。 1レプタ銅貨=1/128デナリ(1デナリは1日の労賃) ...
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「欲→罪→死→恵み」(礼拝メッセージ2018/03/17)

そうではなく、だれでも自分自身の悪い欲望〈情欲、肉欲〉に引きずられ、だまされる〈誘い出される〉とき、誘惑されるのです。そして、悪い欲望が身ごもると、罪を生み出し、罪は成熟して死をもたらすのです。ヤコブ 1:14,15(詳訳) 「向上しよう、主に従って主を喜ばせよう」という欲求は、良いものをもたらしますが、悪い欲望は罪を生み出し、結果的に死をもたらします。 1.自分の欲に引かれる あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします。熱望しても手に入れることができないと、争ったり戦ったりします。自分のものにならないのは、あなたがたが求めないからです。求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、悪い動機で求めるからです。ヤコブ 4:2,3 ヤコブ1:13(LB)では、「悪事に手を出したくなった時、神様に誘惑されたなどと、言ってはなりません。」と記さ...
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「子羊の血」(礼拝メッセージ2019/03/10)

「この人たちは大きな患難を経てきた者たちで、その衣を洗い、子羊の血で白くしたのです。 黙示録 7:14 天国において、イエス様によって罪赦されて救われた、すべてのクリスチャンが、神様とイエス様に礼拝を献げています。それは最終的な姿ですが、クリスチャンは今現在でも同じ恵みをいただいています。 1.罪の赦し まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。ヘブル9:14 律法によれば、ほとんどすべてのものは血によってきよめられます。血を流すことがなければ、罪の赦しはありません。ヘブル9:22 キリストはただ一度だけ、世々の終わりに、ご自分をいけにえとして罪を取り除くために現れてくださいました。ヘブル9:26(10:1...
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「みことばを行う人」(礼拝メッセージ2019/03/03)

〈教えのことばに従いなさい〉。みことばを行う者になりなさい。ただ聞くだけの者となって〔真理に反する思いをいだいて〕自分を欺いてはなりません。   ヤコブ 1:22(詳訳) 神様は分け隔てのない、公平なお方です。私たちに等しくご自分を啓示しておられます。今日のみことばは、神様から等しくみことばをいただいても、それを心から信じて行動(生き方)に移行させるか、そのまま聞き流して行動に移さないかの違いについて教えています。 1.神様の啓示 1)一般啓示 ①自然(イザヤ40:12~14)②歴史(ローマ13:1)③良心と両親(ローマ2:14~16) 天は神の栄光を語り告げ 大空は御手のわざを告げ知らせる。詩篇19:1 2)特別啓示 ①奇蹟(ヨハネ5:36)②預言(イザヤ7:14)③イエス・キリスト(ヘブル1:1,2)④聖書(ヨハネ5:39,Ⅱテモテ3:16)⑤個人的体...
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「みことばは光」(礼拝メッセージ2019/02/24)

もしこの世に光がなければ、目の前に近づけた自分の手でさえ見えません。神様のみことばがなければ、私たちは善悪、本当に大切なこと、真理がわからず、正しく生きて行くことができません。 詩篇119篇では「律法」を「おきて、あかし、おしえ、戒め、定め、さとし、ことば、道、仰せ、さばき」という10のことばで表現しています。 1.浅はかな者を賢くする 私たちは、独立した人格と自由意思を持っていますから、自分が自分の律法となり何の規正もなく、自分の価値観のまま生きて行きます。しかし、思い通りに生きているようでも、実は、罪に支配されてしまっています。 みことばは、自分の判断が一番正しいと思っている浅はかな者を、神様の正しい道に導いてくれます。 主の教えは完全で、たましいを生き返らせ、主の証しは確かで、浅はかな者を賢くする。  詩篇 19: 7 命令はともしび、おしえは光、...
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「神様の涙」(礼拝メッセージ2019/02/17)

私たちは、喜び、悲しみ、悔しさ、寂しさ、感動など、いろいろな場面で涙を流します。最近では「涙活(るいかつ)」という言葉があり、能動的に泣くことでストレス解消を図る活動だそうです。 聖書は、神様の深い愛から出る涙や私たちが本当に悲しむべき事柄について語っています。それは「不信仰と不従順」です。 1.エレミヤの涙 BC627年から40年以上の間、預言者エレミヤ(神は確立される、派遣されるの意)は、真の神様を捨てて偶像礼拝を行なっていた民に対して、来たるべき患難(エルサレム滅亡、バビロン捕囚)、神様のさばきを警告し続けました。これらの出来事は彼が生きているうちに現実となりました。、 エレミヤは涙の預言者と呼ばれ、同胞の強情さと不信仰、彼らに訪れる悲劇を深く嘆き悲しみました。「哀歌」の著者もエレミヤです。 ああ、私の頭が水であり、私の目が涙の泉であったなら、 娘であ...
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「私の盾」(礼拝メッセージ2019/02/10)

アブラムは、繁栄した町ウルで神様から祝福の召命を受け、ハランを経由してカナンの地にやって来ました。その後、飢饉によって一時エジプトに滞在し、更に甥のロトと分かれてカナンに住みました。 アブラムが敵対する王たちとの戦いに勝利した後、主のことばが彼に臨み、励ましと契約が与えられました。(創世記12~15章) 1.恐れるな! アブラムは何を恐れていたのでしょうか。アブラムは神様から子孫が増え、その子孫によって世界中が祝福されるという約束をいただいていましたが、子が与えられていない現状を見て失望し、神様を疑って将来に不安を持っていました。 それでは、私たちは今、何を恐れているのでしょうか。 ①自分自身の救い ②クリスチャン生活 ③将来の生活(経済、健康、国内・世界情勢) ④信仰が理解してもらえない ⑤家族の救い などでしょうか。 2.神様の選び ...
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