礼拝メッセージ

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「わたしだ。恐れることはない。」(礼拝メッセージ2017/01/08)

湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、4、5キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしだ。恐れることはない。」それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。   ヨハネ 6:18~21(マタイ14:22~34、マルコ6:45~52) 弟子たちは暗闇の中の航海で嵐に遭い、無事に向こう岸へ渡れるか心配しました。さらにイエス様が湖の上を歩いて来られたので恐怖を覚えました。人は弱いものでいろいろなことを恐れ心配します。また、自分の領域を守ろうと頑なになり、それを侵害するものを恐れ退けようとします。私たちが恐れるものには次のようなものがあります。 1)突然の恐怖、災害、災難、超自然的なこと 2)サタン・悪霊・罪・病気・死 3)人の評価、仕打ち、態度 ...
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「恵みの上にさらに恵みを」(元旦礼拝メッセージ2017/01/01)

私たちはみな彼の満ち満ちたもの〈豊かな富〉の中から、恵みについで恵みを〈霊の祝福についで霊の祝福を〈愛顧についで愛顧を〈賜物についで〔重なる〕賜物を〉いただいた〈みなその分け前にあずかり、みなが満たされた〉からである。 律法はモーセを通して与えられたが、恵み〈働きによらない、身に余る愛顧と霊的な祝福〉と真理はイエス・キリストを通して来たからである。ヨハネ 1:16,17(詳訳聖書) 私たちが主イエス様からどんなにすばらしいものをいただいているのか、2017年の年頭にあたって、みことばから教えていただきましょう。 イエス様は天地の主ですから、初めから栄光と力を持っておられましたが、私たちを救うために人となってこの地に来て下さいました。そして、父なる神様に対する従順と十字架の死により、父なる神様からよみがえりとすべてを支配する権威を与えられました(ヨハネ 3:35、17:...
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「希望のメシヤ」(礼拝メッセージ2016/12/25)

エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。・・・・・ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。 ルカ 2:25~38 イスラエルでは多くの人々が旧約聖書に約束されていた「メシヤ」の到来を心待ちにしていました。シメオンや女預言者アンナのように「罪からの救い主・メシヤ」を待ち望んでいた人たちもいましたが、多くの人々が求めていたメシヤ像は彼ら自身の願望から来るものでした。当時イスラエルがローマの支配下にあったため、ローマに対する勝利と平和と栄光である「政治的独立」をもたらしてくれる「メシヤ」でした。 1)モーセのような預言者 (申命記18:15~19) 2)エリヤの再来     (マラキ4:5,6) 3)ダビデのよ...
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「御霊の一致を保ちなさい」(礼拝メッセージ2016/12/18)

謙遜で柔和な人になってください。愛をもって互いの欠点を思いやり、互いに忍耐してください。聖霊様によって心を一つにされるよう常に努力し、互いに仲良く暮らしなさい。私たちはみな、一つの体の各器官です。だれもが同じ御霊様を与えられ、同じ輝かしい未来へと招かれています。エペソ4:2~4(LB訳) パウロは獄中からエペソ人への手紙を書いています。テーマは「一致」です。パウロはエペソ教会の兄弟姉妹の信仰と愛には感謝を述べていますが(エペソ1:15,16、3:17)、ユダヤ人と異邦人、社会的地位や貧富の差など、教会内の差別や不一致に対してはそれを正すよう強く命じています。 1)私たちは罪過の中に死んでいたが、イエス様の慈愛と恵みと信仰によって救われました。ですから、人を見下して差別し、自己中心になる権利はありません。(エペソ2:1~10) 2)イエス様は十字架によってすべての国民を...
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「真実な愛」(礼拝メッセージ2016/12/11)

人間は「良くなるために叱られることより、ダメになってもほめられる方を選ぶ」者だそうです。それだけ自我が強く、自分や自分の考えが認められることだけに関心があります。みことばからはずれ、主のみこころに沿っていなくても、横車を押してでも自分の思いが通ればそれで良いと思うのです。 イエス様は、表面上の愛やみことばからはずれたやさしいことばより、真実な厳しいことばを受け入れるように言われます。 あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる。憎む者が口づけしてもてなすよりは、愛する者が傷つけるほうが真実である。箴言 27: 5,6 1)イエス様の経験 イエス様は親愛を示す口づけでイスカリオテのユダに裏切られました。 彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。マタイ 26:49 2)私たちに真実な愛を嫌がる心はないでしょうか。 ...
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「何が正しいかを判断する」(礼拝メッセージ2016/12/04)

偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。また、なぜ自分から進んで、何が正しいかを判断しないのですか。 ルカ12:56~57 イエス様は、群衆に向かって「芝居を演じている者、偽善者よ。」と厳しいことばを投げかけられました。彼らは、空の様子から天気を的確に予想して実生活に生かしていました。しかし、それは自分の利益や地上のことに留まっており、イエス様が教えてくださった信仰による生き方に対しては無頓着でした。 イエス様は最も大切なこと、神様によって創られ、救いを受けた者としての生き方、将来を見据えた真理と信仰に立った現実的な生き方について説かれました。 ①忠実な思慮深い管理人のたとえ(ルカ12:35~48) 人は皆、神様からそれぞれ任されているものがあります。それを忠実に適切に管理したかどうかが...
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「からだのあかりは目」(2016/11/27礼拝メッセージ)

からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。マタイ6:22,23(ルカ11:34~36) このみことばを見ると「私は目が悪い(近眼、老眼)、きれいじゃない、生き生きしていない。目の善し悪しで全身の善し悪しが決まるのだろうか」と心配になることはありませんか? 古くから「目はこころの窓、健全な目から光が入って健康、目が悪いと全身が暗くなり病気になる。」と考えられていたそうです。イエス様はこれを比喩的に捉えて、霊的な真理を示されました。 ・目⇒霊性、良心 ・健全(*明らか、澄んでいる) ⇒天に宝を積むことに励んでいる(マタイ6:19~21)。 心が一つのものに集中している(二心のない)(マタイ6:24)。 役目...
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「私の道は主に隠れているのか?」(礼拝メッセージ2016/11/20)

ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 イザヤ 40:27 イスラエルの民は、アッシリヤ・バビロンの脅威にさらされる中、自分たちの罪や不信仰を棚に上げて不平を鳴らすだけでした。彼らは、神様の偉大さ、すばらしさ、恵み深さを知ろうとはしませんでした。 しかし、神様はイスラエルに対して、バビロン捕囚後にペルシャのクロス王によって民を帰還させてイスラエルを再興するとの、赦しと慰めと希望のメッセージを与えられました。神様には彼らを絶対に見捨てない愛と赦しの計画がありました。 人は、イスラエルの民と同じように不信仰によってつぶやきます。自分が満足し理想とする道や自分の正しい主張を神様はなぜ無視するのか、なぜきちんと受け止めて対応してくれないのだろうかと不平を言います。そこで、神様は心の鈍い人間...
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「幸いな者になるには」(礼拝メッセージ2016/11/13)

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。      ルカ 6:20~23 イエス様に触れて病気や悪霊憑きからいやしていただこうと、我先にと大勢の人々が殺到していました。イエス様は全ての人をいやされました。イエス様はおもむろに弟子たちを見つめながら「本当に幸いな者」について教えられました。...
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「主が共におられる」(礼拝メッセージ2016/1/06)

人は神様によって、神様と共にある者として創造されました。それが本来のあるべき姿でしたが、人類に罪が入り込んだことによって、神様から切り離され、孤独で不安定な存在になってしまいました。そんな状況から神様と共に生きる者へと回復して下さったのが主イエス様です。 主イエス様の救いをいただいた私たちですが、様々な試練の中で、主が共におられることを忘れてしまうことがあります。しかし、主イエス様は約束通りいつも共にいて下さいます。 (1)孤独を感じる時 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。  ヨハネ 14:18 (2)主に従おうとしているのにうまくいかないと思う時 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。 マタイ ...
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