
「私の道は主に隠れているのか?」(礼拝メッセージ2016/11/20)
ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 イザヤ 40:27
イスラエルの民は、アッシリヤ・バビロンの脅威にさらされる中、自分たちの罪や不信仰を棚に上げて不平を鳴らすだけでした。彼らは、神様の偉大さ、すばらしさ、恵み深さを知ろうとはしませんでした。
しかし、神様はイスラエルに対して、バビロン捕囚後にペルシャのクロス王によって民を帰還させてイスラエルを再興するとの、赦しと慰めと希望のメッセージを与えられました。神様には彼らを絶対に見捨てない愛と赦しの計画がありました。
人は、イスラエルの民と同じように不信仰によってつぶやきます。自分が満足し理想とする道や自分の正しい主張を神様はなぜ無視するのか、なぜきちんと受け止めて対応してくれないのだろうかと不平を言います。そこで、神様は心の鈍い人間...