礼拝メッセージ

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「私の道は主に隠れているのか?」(礼拝メッセージ2016/11/20)

ヤコブよ。なぜ言うのか。イスラエルよ。なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている。」と。 イザヤ 40:27 イスラエルの民は、アッシリヤ・バビロンの脅威にさらされる中、自分たちの罪や不信仰を棚に上げて不平を鳴らすだけでした。彼らは、神様の偉大さ、すばらしさ、恵み深さを知ろうとはしませんでした。 しかし、神様はイスラエルに対して、バビロン捕囚後にペルシャのクロス王によって民を帰還させてイスラエルを再興するとの、赦しと慰めと希望のメッセージを与えられました。神様には彼らを絶対に見捨てない愛と赦しの計画がありました。 人は、イスラエルの民と同じように不信仰によってつぶやきます。自分が満足し理想とする道や自分の正しい主張を神様はなぜ無視するのか、なぜきちんと受け止めて対応してくれないのだろうかと不平を言います。そこで、神様は心の鈍い人間...
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「幸いな者になるには」(礼拝メッセージ2016/11/13)

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。いま飢えている者は幸いです。あなたがたは、やがて飽くことができますから。いま泣いている者は幸いです。あなたがたは、いまに笑うようになりますから。 人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には、喜びなさい。おどり上がって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。彼らの先祖も、預言者たちをそのように扱ったのです。      ルカ 6:20~23 イエス様に触れて病気や悪霊憑きからいやしていただこうと、我先にと大勢の人々が殺到していました。イエス様は全ての人をいやされました。イエス様はおもむろに弟子たちを見つめながら「本当に幸いな者」について教えられました。...
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「主が共におられる」(礼拝メッセージ2016/1/06)

人は神様によって、神様と共にある者として創造されました。それが本来のあるべき姿でしたが、人類に罪が入り込んだことによって、神様から切り離され、孤独で不安定な存在になってしまいました。そんな状況から神様と共に生きる者へと回復して下さったのが主イエス様です。 主イエス様の救いをいただいた私たちですが、様々な試練の中で、主が共におられることを忘れてしまうことがあります。しかし、主イエス様は約束通りいつも共にいて下さいます。 (1)孤独を感じる時 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。  ヨハネ 14:18 (2)主に従おうとしているのにうまくいかないと思う時 いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。 マタイ ...
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「霊的成長」(礼拝メッセージ2016/10/30)

なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。  ローマ 14:17~19 みことばは「クリスチャンの目標は霊的な成長であり、イエス様に似た者になること」だと言っています。不思議な霊的体験は悪いものではありませんが、主イエス様に対する全幅の信頼、へりくだって隣人に仕える生活、落ち着いた大人の歩みをすることが霊的成長につながります。 (1)成長するために 生物も人も成長するためには栄養が必要です。霊の成長のためには霊の糧が必要です。 生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。   Ⅰペテロ ...
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「あなたの負うべき十字架は?」(礼拝メッセージ2016/10/23)

それから、みんなの者に言われた。「だれでも私について来ようと思うならば、その人は自分自身を否定し〈すなわち、自分を無視し、自分と自分の利益を忘れ、それに目もくれず、自分を否認し、自分を捨て去り〉、日々自分の十字架を取り上げて、私に従って来なさい〔すなわち、私に堅くよりすがり、生きるのにも、また必要ならば、死ぬのにも、全面的に私の模範にならいなさい。〕だれでも自分のいのちを守ろう〈救おう〉と思う者はそれを失い〈滅ぼし〉、まただれでも私のために自分のいのちを失う者は〔永遠の死の刑罰から〕それを守る〈救う〉からである。 ルカ 9:23~24(詳訳聖書) 「自分の十字架を負う」という言葉は、「苦難、運命、罪の償い、絶望、死、呪い、嫌なもの」などマイナスのイメージです。しかし、イエス様の負われた十字架は「罪の赦し、恵みと哀れみ、救い、復活、和解、新生、永遠の命、天の御国」を生み出したプラス...
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「仕える者」(礼拝メッセージ2016/10/16)

イエス様はすわって、この世の価値観とは全く違う神の国の価値観を、じっくりと弟子たちに教えられました。それは、この世にあっても神の国にあっても価値のある幸いな生き方です。 (1)仕える者となりなさい イエスはおすわりになり、十二弟子を呼んで、言われた。「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、みなのしんがりとなり、みなに仕える者となりなさい。」 マルコ 9:35 イエス様が差し迫ってきた救いの業、十字架と復活を予告されたにもかかわらず、弟子たちは各自自分のことだけを考えて地位争いに熱中していました(ピリピ2:21)。そんな彼らにイエス様は自分を捧げて人に仕え、神様のために生きる道を教えられました。自分は人の先に立ちたいとは思わないから仕える者にならなくても良いということではありません(ローマ15:2,3、ピリピ2:3~9)。 (2)イエス様のゆえに人々を受け入れる...
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「私は主のもの」(礼拝メッセージ2016/10/09)

私たちは世界中で最も幸いな者であることを認識しているでしょうか。私たちの主イエス様は羊のためにいのちを捨てられ、よみがえられたお方です。主イエス様によってサタン・悪霊・罪の支配から救出していただき、神様の支配に入りました。 1)私はイエス様のもの わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。ヨハネ 10:11 わたしは良い牧者です。わたしはわたしのものを知っています。また、わたしのものは、わたしを知っています。ヨハネ10:14 2)罪の赦し 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。コロサイ1:13,14 3)イエス様にある幸いな生き方 だれでも自分の〔低い〕いのちを得るものは〔高いいのちを〕失い、私のために自分の〔低い...
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「信仰の父?アブラハム」(礼拝メッセージ2016/10/02)

世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによるためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法を持っている人々にだけでなく、アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。「わたしは、あなたをあらゆる国の人々の父とした。」と書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。  ローマ 4:16 「信仰の父」と言えば「アブラハム」です。神様はアブラハムを召してご自分の民の父祖とし、約束を与えられました。 ①カナンの地を受け継ぐ。   創12:7,13:15,15:18,17:1~8 ②子孫は大いなる国民となる。     創12:2,13:16,15:5 ③子孫によって全世界の民が祝福される。     創22:18 アブラハムの信仰による行動 ①約束の地へ信仰によって旅立った。創12:1~4、ヘブル11:8 ②信仰...
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「弟子の舌」(礼拝メッセージ2016/09/25)

「・・・あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。・・・」マタイ28:18~20 私たちは、福音を伝えられて罪の赦し、永遠の刑罰からの救い、永遠の命をいただきました。もちろん福音宣教の目的はそのためですが、イエス様が第一に命じられたのは、人々を「お客さん」ではなく「弟子にする」ことでした。 神である主は、私に弟子の舌を与え、疲れた者をことばで励ますことを教え、朝ごとに、私を呼びさまし、私の耳を開かせて、私が弟子のように聞くようにされる。    イザヤ 50: 4 神様は私に、知恵のことばを授けました。疲れ切った人に何を言ったら良いかを教えるためです。朝ごとに、神様は私の目を覚まし、理解力を深め、みこころを示して下さいます...
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「パン種に気をつけよ」(礼拝メッセージ2016/09/18)

弟子たちは、パンを持って来るのを忘れ、舟の中には、パンがただ一つしかなかった。そのとき、イエスは彼らに命じて言われた。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい。」     マルコ 8:14,15 彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。 マタイ 16:12 イエス様は、弟子たちに「パン種」に気をつけるように言われましたが、弟子たちは食べるパンのことしか関心がなかったようです。イエス様が大勢の人々に対して二度も給食した出来事から、霊的な教訓を悟らず、今回もイエス様の言われたことを理解していませんでした。 新約聖書において「パン種」は、悪の象徴、悪い影響力として用いられています。(Ⅰコリント5:6~8、ガラテヤ5:7~9) 1.パリサイ人、サドカイ人の「パン...
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