礼拝メッセージ

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「主への信頼」(礼拝メッセージ2017/03/26)

あなたは何を信じ、何に頼っていますか。聖書に主イエス様からの約束や命令や勧めがあるのに「それは信じられない、頼りたくない、従いたくない、自分の考えに従う。」と行動していることはないでしょうか。主に信頼する者たちの歌です。 「私たちの町はびくともしない。神様の救いの城壁で囲まれているからだ。」門を開けて、自由に入らせなさい。神様を愛する人なら、だれでも中には入れます。神様を信頼し、いつも神様のことに思いをはせる者を、神様は何の心配もないように守ってくださいます。どんな時でも神様である主に信頼しなさい。いつまでも尽きない力がいただけるのは、主からだけです。イザヤ26:1~4(LB訳) 1.主に信頼する者の思い 神様、私たちは、神様がお喜びになることを行いたくて、うずうずしています。御名を高らかにたたえることだけが、心からの願いです。私は夜通し神様を探し求めます。真剣に尋ねます。...
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「聖霊様の満たしと導き」(礼拝メッセージ2017/03/19)

クリスチャンは皆、いつも聖霊様に満たされ、導かれて生きられたらどんなに幸せだろうかと考えます。それは、愛と平安と喜びに満ちあふれた夢のような生活だと思うからです。 使徒パウロは、第3回伝道旅行の終りに、エペソ教会の長老たちを集めて、惜別の説教をしました。そこには、聖霊様に導かれたパウロの生き様が描かれています。 いま私は、心を(別訳:聖霊に)縛られて、エルサレムに上る途中です。・・・・ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。・・・・私のいのちは少しも惜しいとは思いません。   使徒20:22~24 1.行くべき道を示される聖霊様 パウロは伝道旅行において、幾度となく聖霊様によって行こうとした道を閉ざされて変更を余儀なくされました(使徒16:6,7)。兄弟姉妹がエルサレムへ上るのは危険だから...
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「正しい認識 神様・自分・隣人」(礼拝メッセージ2017/03/12)

人間は皆、「聖書(みことば)」からしか「真理」を知ることはできません。いくら納得がいくこの世の立派な教え(学問、考え方、常識)があったとしても、「聖書(みことば)」だけが私たちを正しい信仰、幸いな道へと導いてくれます。 1.父なる神様 神様のイメージは、自分の父親のイメージと重なると言われます。厳格、気まま、無口、優柔不断など父親のイメージによって神様のイメージが歪められていることがあります。 みことばは、父なる神様は分け隔ての無い、愛と哀れみと恵みに満ちたお方だと教えています。(ヨハネ3:16,17) 天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。マタイ 5:45 しかし、父親は不完全ではありますが、父なる神様を現して愛によって養い育ててくれます。(ヘブル12:10,11) 2.自分 ...
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「イエス様の恵みによって強く生きる2」(礼拝メッセージ2017/03/05)

先週に引き続き、精神的に強い人は「何をしない」のか。 「精神的な強さは予期しない出来事によって試される。困難なときに何をするかではなく、何をしないかだ。」Forbes japan 【精神的に強い人が「絶対にしない」10のこと】(後半) 6.恨まない 人を恨む否定的な感情は、ストレス反応。ストレスを抱え続けると健康に害を及ぼし、高血圧や心臓病につながる。 7.誰の影響も受けない 他人との比較で喜びや満足感が失われる。その時、あなたは自分自身の幸福を他人の手に委ねたことになる。前向きな人は、他人の意見や成功に影響されない。 8.人のことに介入しない 他人への批判や嫉妬はエネルギーの浪費。人への理解や成功を祝福するためのエネルギーは、両者にとってプラスになる。 9.怠けない 適度な運動は自己評価、ボディーイメージ、自尊感情を向上させる。自信を高めるため...
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「イエス様の恵みによって強く生きる」(礼拝メッセージ2017/02/26)

現在、教会もクリスチャンも激動の中にあります。小さな嵐や大きな嵐がやって来ても、決して揺るがない力強い歩みをするためには何が必要なのでしょうか。 あるサイトに次のような興味深いことが載っていました。 「精神的な強さは予期しない出来事によって試される。困難なときに何をするかではなく、何をしないかだ。」Forbes japan 【精神的に強い人が「絶対にしない」10のこと】(前半) 1.失敗にこだわらない  失敗に固執せず将来の成功のための糧とする。 2.ネガティブな人と付き合わない 親身になって聞いてあげることと、感情的な悪循環に巻き込まれることは違う。  3.自分を疑わない 忍耐力を持ち、失敗しても諦めない。 4.謝罪を求めない 過去の恨み事や感情に寄生する憎しみや怒りは、今の幸せや喜びを台無しにする。 5.自分を哀れまない 自分を無力な犠牲者と決め...
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「産みの苦しみにある勝利」(礼拝メッセージ2017/02/19)

「産みの苦しみにある勝利」(ヨハネ16:2~33) イントロ:世界の秩序が崩壊する中で私たちは生きています。聖書もまた、相対立する2つの世界(神の国とサタンの国)の中に私たちが置かれていると教えています。それでは、私たちはいかに生きるべきなのでしょうか? (1)新しい自分へと変えられるための、私の「産みの」苦しみ 21節は、男性である主イエス様が経験されてない出産の話を持ち出された面白い記述です。創世記3:16にあるように、陣痛の苦しみは、罪を犯してしまったエバに対する罰でした。その出産の苦しみが新しい命の誕生によって喜びに変わると言われています。陣痛の苦しみは、出産した女性しか経験できないことですが、二度と経験したくない苦しみと言われています。産むほうも生まれるほうも命がけです。これは言葉上の苦しみから喜びになるという感情だけの変化ではありません。天地がひっくり...
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「本当の友」(礼拝メッセージ2017/02/12)

「友とは、すべての人が離れ去ったときに、 駆けつけてくれる人のことだ。」(デイリーブレッド2/8) 友とはどんな時も私たちを助け、励まし支え、いろいろな影響を与える存在です。また逆に、私たちも相手にいろいろな影響を与える者です。 聖書には「友」についていろいろ記されていますが、「本当の友」とはどのような存在なのでしょうか。 1)神様の友 アブラハムは神様を信じる信仰によって義と認められ、神様の友と呼ばれました。私たちも同じように信仰によって神様の友です。 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた。」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。 ヤコブ 2:23 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみ...
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「主に信頼する者には」(礼拝メッセージ2017/02/05)

今朝、皆さんは喜んで教会に来られたでしょうか。「イエス様によって罪赦された、神様に礼拝を献げたい、イエス様に感謝を献げたい、兄弟姉妹と共に讃美の歌を献げたい、互いのために祈りたい、聖餐に与りたい、みことばによって養われたい、いやしと解放を受けたい、etc」喜んで主を礼拝する要素はたくさんありますね。今日は、「主に信頼する者」の幸いを見てみましょう。 1)罪を赦された人 罪を赦された人は、どれほど幸せなことでしょう。罪がかき消されたとすれば、どれほどうれしいことでしょう。罪を告白し、その記録を塗りつぶしてもらった人は、どれほど解放感を味わうことでしょう。詩篇 32: 1,2(LB訳)(ローマ4:7,8) ローマ書にも引用されていますが、行ないとは別の道、信仰によって義と認められる者は幸いです。罪と罪の刑罰から完全に解放されています。 2)自分の罪を認めない時 こ...
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「イエス様に仕える人は」(2017/01/29礼拝メッセージ)

わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はその人に報いてくださいます。  ヨハネ 12:26 過越の祭りに礼拝するためにやって来た幾人かのギリシャ人(改宗者)がイエス様との面会を依頼して来ました。ピリポとアンデレがイエス様に伝えに行った時、十字架を目前にしたイエス様はとても大切なことを教えられました。 1)全ての人の救いを完成させる時が来た(ヨハネ12:23) イエス様は「ユダヤ人のみならず異邦人を含む信じるすべての人に天国の門が開かれ、罪の赦しと永遠の命が与えられる時、ご自身が栄光を受けられる時が来た」と言われました。 2)自分のいのちを憎む者はそれを保つ(ヨハネ12:24~26) イエス様は、自然界のたとえ(一粒の麦)を用いて霊的な世界の原理を説明されました。新...
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「みことばにとどまるなら」(礼拝メッセージ2017/01/22)

イエスがこれらのことを話しておられると、多くの者がイエスを信じた。そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。「もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」   ヨハネ 8:30~32 「イエス様の言動を見て多くのユダヤ人たちが信じた」と記されているが、それは表向きのことであって、彼らは心底から信じていたわけではありません。それを証明するように、イエス様からは「罪の奴隷、悪魔から出た者」(ヨハネ8:34,44,47)と言われ、彼らは反発してイエス様を殺そうとしました(ヨハネ8:37,40,59)。 イエス様は「私のことばにとどまるならば〈私の教えを堅く保つ《教えに従って生きる》ならば〉、あなたたちは真に私の弟子である。」(ヨハネ8:31詳訳)と言われました。...
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