礼拝メッセージ

礼拝メッセージ

「イエス様の再臨」(元旦礼拝メッセージ2016/01/01)

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。 ヨハネ 14: 1~3 新しい年、2016年を迎えました。イエス様にお目にかかる日を考えると、すべての人がまた1年近づいたことになります。 この激動する世界情勢、気象変動、自然災害。人々はますますイエス様のことを無視して自分勝手な道に進み、罪を増幅させています(ピリピ3:18,19)。キリスト教界も個人主義、分裂・分派、神秘主義、エキュメニズム(世界教会主義・教会一致促進運動)等、みことばに反する教えで満ちています(ピリ...
礼拝メッセージ

「イエス様の赦し」(礼拝メッセージ2015/12/27)

「どくろ」と呼ばれている所に来ると、そこで彼らは、イエスと犯罪人とを十字架につけた。犯罪人のひとりは右に、ひとりは左に。そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」        ルカ 23:33~35 2015年が終わろうとしています。この一年はあなたにとって感謝と喜びの一年だったでしょうか。一年の終りにイエス様の赦しとあわれみの中で生かされたことを覚えて感謝しましょう。  1)自分の罪と弱さといい加減さを自覚して、イエス様の赦し を享受(受け入れて自分のものとすること。受け入れて、味 わい楽しむこと。)しましょう。 シ...
礼拝メッセージ

「イエス様の喜び」(クリスマス礼拝メッセージ 2015/12/20)

御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 ルカ 2:10 クリスマスは喜びの訪れです。私たち罪人にとってこの上ない喜びの出来事、喜びの日です。あなたは喜んでいますか。 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ。」と言い、またある者は、「この方はキリストだ。」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」 ヨハネ 7:40~42 実はこの喜びは、信仰とつながっていることがわかります。 イエス様と出会った群衆には、イエス様をキリストと信じて喜ぶ人と、疑って信じない人がいました。 イエス様ご自身は父なる神様に対する絶大な信頼を持...
礼拝メッセージ

「イエス様が一番嫌いなもの=偽善」(2015/12/13礼拝メッセージ)

人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。マタイ6:1,2 聖書を見るとイエス様の一番嫌いなものは、「偽善」だと感じます。民衆や社会的弱者、弱っている人、病人、罪人(遊女、取税人)に対しては、やさしく憐れみを示しておられますが、律法尊重主義、宗教的いい加減さ、人に厳しく自分に甘い態度、高慢とさげすみ、利己的で自己中心な「偽善」に対しては、厳しく臨み、痛烈に批判されました。 イエス様は、神様の元へ来ようとする人々を邪魔し、神様のことばや思いをねじ曲げ、自分たちに利益を誘導して自分たちを高めようとす...
礼拝メッセージ

「イエス様の忍耐」(礼拝メッセージ2015/12/06)

人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。       Ⅰペテロ 2:19~21 イエス様ほど忍耐された方はおられません。 元々、この地上はイエス様がいらっしゃるには、罪・悪・暴虐・不信仰・汚れ・偽善等々、ふさわしい所ではなかったでしょう。しかし、イエス様は私たちを救うためにあえて来て下さいました。そして忍耐の限りを尽くして下さいました。 1)弟子たちの無理解 2)人々...
礼拝メッセージ

「イエス様に倣う者に」(礼拝メッセージ2015/11/29)

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。     ヘブル 12: 1,2 みことばは、①すべて邪魔になるものを捨て、②からみつく罪をかなぐり捨て、③私たちの心をそらすものから目を背けて、信仰生活という競争を走り抜くるように命じています。 私たちは、私たちに信仰を与え、信仰を完成して下さる主イエス様から目を離さず、日々仰ぎ見る必要があります。 今日は、イエス様が父なる神様に感謝した場面を見て、私たちもどのような時に感謝すべきか考...
礼拝メッセージ

「イエス様のいつくしみときびしさ」(礼拝メッセージ2015/11/22)

そのとおりです。彼らは不信仰によって折られ、あなたは信仰によって立っています。高ぶらないで、かえって恐れなさい。もし神が台木の枝を惜しまれなかったとすれば、あなたをも惜しまれないでしょう。見てごらんなさい。神のいつくしみときびしさを。倒れた者の上にあるのは、きびしさです。あなたの上にあるのは、神のいつくしみです。ただし、あなたがそのいつくしみの中にとどまっていればであって、そうでなければ、あなたも切り落とされるのです。         ローマ 11:20~22 神様は愛であり、イエス様も私たちを愛して身代りとなって下さった愛のお方です。神様の愛は大きくて高くて深くて、計り知ることはできません。しかし、愛は放縦を許しません。 1)イエス様の愛といつくしみ キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であ...
礼拝メッセージ

「失敗を受け入れて下さるイエス様」(礼拝メッセージ2015/11/15)

しかしペテロは、「あなたの言うことは私にはわかりません。」と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。」と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。      ルカ 22:60~62 人生において、失敗をしたことがないと言う人はいないでしょう。また、人は他人の失敗に対して、相手を赦して受け入れることはなかなか難しいものです。 しかし、心優しくへりくだったイエス様は、私たちの失敗や弱さ、罪深さをすべてご存じの上で、悔い改める私たちを受け入れて赦して下さるお方です。 1)自信満々の人でも失敗する。 シモンはイエスに言った。「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」しかし、イエスは言...
礼拝メッセージ

「イエスとは誰か」(礼拝メッセージ2015/11/08)

イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」 マタイ 16:15,16 イエス様は、弟子たちに「私を誰だと思うか」と尋ねられました。人々は、「バプテスマのヨハネ、エリヤ、エレミヤ、預言者のひとり」などと言っていました。(マタイ14:1,2)。 すべての人はイエス様から同じ問いかけを受け、自分の内で結論を出して生きています。選択肢は次の三択にまとめられます。「①立派な人・ただの人、②ちょっと霊的な人・預言者、③生ける神の子キリスト」人の考えでは正しい判断ができません。聖書はどのように言っているでしょうか。 1)創造主 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られ...
礼拝メッセージ

「熱いか冷たいか」(礼拝メッセージ2015/11/01)

「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。                                黙示録 3:15,16 イエス様は、ラオデキヤ教会の兄弟姉妹に対して、「あなたがたは、なまぬるい。自分自身の現状を正しく認識していない。」と、厳しく戒めています。なまぬるいとは、イエス様に対して「あまり関心がない。中途半端な気持ちしかない。」ことを現わしています。 ①父を軽く見る兄 兄は答えて『行きます。おとうさん。』と言ったが、行かなかった。それから、弟のところに来て、同じように言った。ところが、弟は答えて『行きたくありません。』と言ったが、あとから悪かったと思って出かけて行った。ふたり...
タイトルとURLをコピーしました