礼拝メッセージ

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「教会最大の奉仕」(礼拝メッセージ 2022/03/27)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「44.教会最大の奉仕」です。教会、クリスチャンにしかできないことは、イエス様の救いを宣べ伝えることです。  私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。ローマ 1:16 1.イエス様の願いと任命  イエスは彼らに言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」マルコ 16:15,16  イエス様は、私たちにご自身のいのちと救いを与えるために、この世に来てくださいました。そして、この救いの良い知らせを伝える和解の働きを私たちに託してくださいました。(Ⅱコリント 5:18~20 )  しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのように信じ...
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「教会での奉仕」(聖日礼拝メッセージ 2022/03/20)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「43.教会での奉仕」です。「奉仕」ということばは、「ボランティア」「やってあげている」イメージがありますが、本当の「奉仕」とは、神様に慎んで仕えることであり、兄弟姉妹や隣人に利害を離れて尽くすことです。 1.初代教会  ①病気のいやし キリストの名によって・・・歩きなさい。使徒 3:6  ②励まし バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、・・・彼        らに説明した。使徒 9:27  ③祈りとみことば 私たちは祈りと、みことばの奉仕に専念します。使徒 6:4  ④食事 食卓のこと・・・この務めを任せること・・・。使徒 6:3  ⑤伝道 ピリポは・・・行き、人々にキリストを宣べ伝えた。使徒 8:5  ⑥お世話 彼女は多くの良いわざと施しをしていた。使徒 9:36  初代教会では、それぞれが与えられた賜物に従って主の...
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「教会でのささげ物」(聖日礼拝メッセージ 2022/03/13)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「42.教会でのささげ物」です。教会でのささげ物は、神様のお働きである教会活動(礼拝、伝道)、教会の維持管理、宣教活動への支援などに用いられます。私たちのささげ物にはその人の心が現れます。神様へのささげ物について学びましょう。 1.旧約時代のささげ物  旧約時代は、神様への感謝、神様との交わり、罪の贖いとして、ささげ物が律法により定められていました。ささげ物には、①全焼のささげ物 ②穀物のささげ物 ③交わりのいけにえ ④罪のきよめのささげ物 ⑤代償のささげ物などがあります(レビ記1~7章)。  さらに、収穫の十分の一を神様への感謝とともに、祭司、レビ人、社会的弱者のためにささげる規定がありました。  あなたは毎年、種を蒔いて畑から得るすべての収穫の十分の一を、必ず献げなければならない。申命記 14:22(箴言 3:9,10)  ・・・十分の一と奉納物...
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「教会の働き」(聖日礼拝メッセージ 2022/03/06)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「41.教会の活動」です。教会は、自分の罪を悔い改め、イエス様を自分自身の救い主と信じて罪赦された者たちの集まりです。教会には教会にしかできない主の働きがゆだねられています。 1.教会とは  ペテロは、ほかにも多くのことばをもって証しをし、「この曲がった時代から救われなさい」と言って、彼らに勧めた。彼のことばを受け入れた人々はバプテスマを受けた。その日、三千人ほどが仲間に加えられた。使徒 2:40,41  初代教会では、ペテロのメッセージを聞いて1日に三千人もの人々が、イエス様を信じて洗礼を受け、教会のメンバーになりました。  わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。ヨハネ 17:16  クリスチャンとは「キリストに属する者、この世から召し出された者」です。この世に住んではいますが、イエス様と同様この世の者ではあり...
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「礼拝」(聖日礼拝メッセージ 2022/02/27)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「40.礼拝」です。礼拝とはどのような意味を持ち、私たちがささげるべき真の礼拝とはどのようなものでしょうか。 1.礼拝とは 1)安息日  七日目は全き休みのための安息日、聖なる会合の日である。レビ 23:3  安息日には、傷のない一歳の雄の子羊二匹と穀物のささげ物として油を混ぜた・・・安息日ごとの全焼のささげ物で、・・・。民数記 28:9,10  旧約時代は、形としては祭儀的な犠牲を献げる礼拝でしたが、天地創造の完成、出エジプトの恵み、人々の休息と関連していました。そのほか主の例祭(七週の祭り、仮庵の祭りなど)を通して礼拝していました。 2)初代教会  彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをしていた。                     使徒2:42  新約時代はイエス様の贖いによって犠牲を献げる祭儀から解放さ...
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「主の日」(聖日礼拝メッセージ 2022/02/20)

 今日のテーマは、Ⅸ.教会生活「39.主の日」です。旧約時代は安息日、新約時代はイエス様が復活された日曜日を主の日として1週間に1日仕事を休み、神様を礼拝することが重んじられています。 1.安息日  安息日を守って、これを聖なるものとせよ。あなたの神、主が命じたとおりに。申命記 5:12(出エジプト 20:8~11、レビ 23:38)  もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を「喜びの日」と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。ー主の御口がそう語られる。イザヤ 58:13,14  神様は、十戒の第四戒として安息日を大切にするように命じられまし...
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「困った時の祈り」(聖日礼拝メッセージ 2022/02/13)

 今日のテーマは、Ⅷ.祈り「38.困った時の祈り」です。イエス様は、人生最大のピンチである十字架の死を目前にしてゲッセマネの園で祈られました。私たちは、困った時、ピンチの時にどのように祈ればいいのでしょうか。困った時の祈りについて考えましょう。 1.みこころがなるように  父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。・・・イエスは苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。ルカ 22:42~44  イエス様は、最大のピンチを迎えて、できればこの十字架、すべての人々の罪咎を負う厳しさ、痛みと苦しみと死の恐怖、愛する父なる神様から切り離される辛さから逃れられないだろうか、と切実な思いで父なる神様に祈られました。しかし、イエス様は、お父様のみこころが優先されますようにと、すべてを委ねられました...
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「祈りの答えを待つ」(聖日礼拝メッセージ 2022/02/06)

 今日のテーマは、Ⅷ.祈り「37.答えを待つ」です。私たちは、どんなことにでもすぐに結果を求めやすいものです。祈りについても祈ったらすぐに叶ってほしいと考えます。しかし、新約聖書には「忍耐」ということばが、39回記されています。祈りの答えを待つ信仰について考えましょう。 1.ハバククの疑問  いつまでですか、主よ。私が叫び求めているのに、あなたが聞いてくださらないのは。「暴虐だ」とあなたに叫んでいるのに、救ってくださらないのは。ハバクク 1:2  ハバククは多くの預言者や聖徒たちと同様、なぜ正義の神様がご自分の民を邪悪なバビロンに渡されるのか?なぜ悪しき人々が栄え、神様の民が苦しみを受けるのか?なぜ神様はすぐに助けてくださらないのか?と問いかけます。 2.聖徒たちの忍耐 ①ザカリヤとエリサベツの願い  しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人...
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「毎日の祈り」(聖日礼拝メッセージ 2022/01/30)

 今日のテーマは、Ⅷ.祈り「36.毎日の祈り」です。  私たちは、家族や兄弟姉妹、職場の人やご近所さんと会えば必ず挨拶をします。そうであれば、私たちが、すべての恵みを与えてくださる天のお父様と救い主イエス様に、いつもお祈りをするのは当然のことです。この祈りが私たちに恵みをもたらし、信仰を成長させます。 1.ダニエルの祈り  ダニエルは、その文書に署名されたことを知って自分の家に帰った。その屋上の部屋はエルサレムの方角に窓が開いていた。彼は以前からしていたように、日に三度ひざまずき、自分の神の前に祈って感謝をささげていた。 ダニエル 6:10  ダニエルは毎日3回定期的に主に祈っていました。その祈りは、バビロンのダレイオス王以外のものに祈る者は、ライオンの穴に投げ込まれるという陰謀による禁令が発表されても揺るがないものでした。日々の主への祈りが、深い信頼関係を育んでいました。 2....
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「とりなしの祈り」(聖日礼拝メッセージ 2022/01/23)

 今日のテーマは、Ⅷ.祈り「35.とりなしの祈り」です。私たちは、自分のためだけに、あれもこれも祈り求めやすいものです。聖書は、他の人のために愛をもってとりなすように命じています。 1.とりなしの祈りとは  とりなしの祈りとは、神様と国・集団・個人の間に立って、願い求める祈りのことです。  サムエルは不従順なイスラエルのため(Ⅰサムエル12:23)、ヨブは3人の友人のためにとりなすように命じられました(ヨブ 42:8)。そのほか、支配者(Ⅰテモテ 2:1,2)、救われていない人々(ルカ 23:34)、救われたばかりの人(Ⅱテサロニケ 1:11)、すべての聖徒(エペソ 6:18)、信仰が後退した人々(Ⅰヨハネ 5:16)、福音の働き人(エペソ 6:19,20)、さらに、敵(マタイ 5:44)のためにとりなすよう命じられています。 2.イエス様の祈り  「父よ、彼らをお赦しください。...
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