礼拝メッセージ

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「パン裂き」(礼拝メッセージ2018/05/27)

教会堂の中心に十字架があり、礼拝の中心には聖餐があります。聖餐は、この目をもってパンとぶどう酒を見るように、私たちの罪のために十字架の上で死なれた贖い主を信仰の目をもって見るためです。信仰がないと、ただの食べ物としてのパンとぶどう酒になってしまいます。 1.聖餐と過ぎ越しの祭りとの関係 イスラエル人たちは奴隷の身分からの解放という歴史的事実を記憶し続けるために、わざわざ種を入れないパンを作って食べる祭りを毎年繰り返しました。 主は、その過ぎ越しの食事の場を選んで聖餐を制定され、聖餐に過ぎ越しと同じ意義があることを伝えられたと考えられます。小羊の血がイスラエルを救ったように、神の小羊・主イエス様の血は、信じるすべての罪人を救うことになりました。 2. 「主の食卓(The Lord's Table)」と「主の晩餐(The Lord's Supper)」の関係 ...
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「御霊の満たし」(礼拝メッセージ2018/05/20)

主イエス様は、私たちの罪のために十字架で死なれ、葬られ、三日目によみがえられました。その後、40日間弟子たちに復活を証しされて天に帰られました。その時イエス様は、弟子たちに「父の約束を待つように、世界中でキリストの証人になるように」と告げられました。(使徒1:4,5,8) 1.ペンテコステ(五旬節)の出来事 イエス様の昇天後、弟子たちが集まって祈っていたところ、聖霊様が一人ひとりに臨み、彼らは人々に外国語で福音を宣べ伝えました。 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」  使徒 2:11 2.聖霊様の働き 聖霊様は、三位一体の第三位格である神様ご自身です。アタナシウス信条に「われらは唯一の神を三位において、三位を一体において礼拝する。しかも位格を混同す...
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「イエス様の母」(礼拝メッセージ2018/05/13)

母の日の起源は「1907年5月12日、アンナ・ジャービスは、亡き母親を偲び、母が日曜学校の教師をしていた教会で記念会をもち、白いカーネーションを贈った」こととされています。今日は、波瀾万丈の生涯でしたが、幸せなイエス様の母マリアについて見ていきましょう。 1.救い主の母 マリアは、受胎告知から始まり、処女懐妊、エリサベツとの交流、出産・育児、生活の中で、イエス様の不思議さとすばらしさを見ました。マリアの祈りは信仰告白でした(ルカ1:46~)。 しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。ルカ2:50,51(2:19) 2.不信仰 マリアは、イエス様のすばらしさを見ながらも、不信仰に陥ることがありました。人々のうわさを真に受けて、イエ...
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「神様を愛するとは」(礼拝メッセージ2018/05/06)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた、(当然)互いに愛し合うべきです。 Ⅰヨハネ 4:10,11 人間は罪に陥り自己中心になって「真の愛」を失ってしまいました。罪に支配されてしまった人間が、偉大にして聖なる創造主である神様を愛するなどという大それたことができるのでしょうか。 実は、それを可能にして下さったのが、救い主イエス様の尊い救いと助け主聖霊様の愛とあわれみの聖化のみ業です。 1.神様が私たちを愛して下さった 私たちは「愛」について、創造主である神様から実例を示していただかなければ、「真の愛」がどのようなものなのかを知ることはできません。 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によ...
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「愚かな者、主を恐れる者」(礼拝メッセージ2018/04/29)

では、どうしたら物事がよくわかるようになるでしょう。それには、まず神様を信じ、神様を大切にすることです。ばかな人にかぎって、神様の教えをばかにします。  箴言1: 7(LB訳) 人は賢そうに見えても、愚かなところがあります。真理を知っているはずのクリスチャンであっても、自分の思いを通そうとして、みことばからはずれ、真理を見失ってしまいます。愚かな者になってはいけません。 1.愚かな者 1)みことばの教えよりも自分の考えを正しいと思う者 愚か者には自分の歩みがまっすぐに見える。しかし、知恵のある者は忠告を聞き入れる。愚か者は自分の怒りをすぐ表す。賢い人は辱めを気に留めない。 箴言 12:15,16 2)福音の真理からはずれる ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わせたのです...
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「ラザロよ、出て来なさい。」(礼拝メッセージ2018/04/22)

イエスは目を上げて言われた。「父よ、わたしの願いを聞いて下さったことを感謝します。 あなたはいつでもわたしの願いを聞いて下さると、わたしは知っておりましたが、周りにいる人たちのために、こう申し上げました。あなたがわたしを遣わされたことを、彼らが信じるようになるために。」 そう言ってから、イエスは大声で叫ばれた。「ラザロよ、出て来なさい。」  ヨハネ11:41~43 ヨハネはイエス様の8つの奇蹟を記しています。最初はカナの結婚式でのぶどう酒の奇蹟です。ラザロの復活は7番目の奇蹟です。 1.イエス様の働き イエスはガリラヤ全域を巡って会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病、あらゆるわずらいを癒された。マタイ4:23(マタイ11:5) 1)会堂での教育-弟子訓練 2)福音伝道-罪からの救い 3)病の癒やし-あかしの奇蹟(使徒2:...
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「神は苦しむときの避け所」(礼拝メッセージ2018/04/15)

神様は私たちの隠れ家、また力、そして苦難にあえぐ時の確実な助けです。たとい全世界が吹っ飛び、山々が海に沈もうとも、こわがることはありません。海よ鳴りとどろき、白くあわ立つがよい。山よ、激しく揺れ動くがよい。・・・天の軍勢の主は、確かに私たちの味方です。ヤコブの神であるこのお方が、駆けつけて助けてくださいます。詩篇46:1~11(LB訳) 詩篇の作者は、「苦難よ、来るなら来い!」と、大変威勢の良いことを言っています。なぜそこまで大胆になれたのでしょうか。 1.私たちの主はどのようなお方か 1)天地の創造主、さばき主 (コロサイ1:15~18、マタイ28:18) 2)罪を贖い、復活された方 (Ⅰコリント15:3,4) 3)私たちを救い、内に住まわれる方(Ⅱコリント13:5,ガラテヤ2:20) 神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるで...
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「キリストのことばが住むように」(礼拝メッセージ2018/04/08)

今年度、私たちの教会の頭(かしら)であるイエス様から、すばらしいみことばが与えられました。このみことばは、3つの命令ですから守っても守らなくても、どちらでも良いことばではありません。イエス様を自分自身の主とする者は、主の命令を守ります。 あなたがたが、〔霊的な事柄についての〕すべての洞察〈賢さ〈知恵〉をもって、互いに教え合い、また勧告し合い〈訓練し合い〉、また詩と賛美と霊の歌〔をうたって〕、心の中に〔神の〕恵みを覚えながら神に向かって調べを合わせるとき、キリスト〈メシヤ〉〔の語られた〕ことばを〈あなたがたの心情と知性の中に〉宿らせ《あなたがたのうちに〔全く〕豊かに住まわせ》なさい。 コロサイ 3:16(詳訳) キリスト様の教えを心にとめ、そのことばによって、人生が豊かに潤されるようにしなさい。知恵を尽くして、そのことばを互いに教え合い、忠告し合い、感謝にあふれて、詩篇と賛...
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「永遠のいけにえをささげて後」(礼拝メッセージ2018/04/01)

「わたしはいのちを捨てるために来ました」と言われているのです。キリストは、はるかにすぐれた制度を打ち立てるために、最初の制度を廃止されました。この新しい計画にそって、キリストはただ一度死なれ、それによって私たちは罪を赦され、きよくされているのです。・・・しかしキリストは、いつまでも有効なただ一つのいけにえとして、私たちの罪のためにご自分を神にささげ、そのあと神の右の座について、敵が足の下に踏みつけられるその日を待っておられます。ヘブル10:9,10,12(LB訳) 今日は復活祭・イースターです。イエス様は「いのちを捨てるために来ました」と言われたように、私たちを救い出し、いのちを与えるために苦しみもがき、最後には死なれました。しかし、三日目にはよみがえって下さいました。暗い全人類にこの上ない希望の光が差し込みました。 1.みこころを行うために来られたイエス様 ヘブル1...
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「キリストが私の中に生きている」(礼拝メッセージ2018/03/25)

私はキリストといっしょに十字架につけられました。〈私は〔キリストにおいて〕彼の十字架にともにあずかったのです〉。生きているのはもはや私ではありません。キリスト〈メシヤ〉が私の中で生きておられるのです。私が今肉体において生きている生活は、私を愛して私のためにご自身を与えてくださった神のみ子を信ずる信仰〈彼に対する心服《よりすがり《〔全き〕信頼》》〉によって生きている生活なのです。   ガラテヤ2:20(詳訳) 今年度、主から与えられたみことばです。1年間どのような思いで歩むことができたでしょうか。「キリストが私の中におられる」ことを信じて歩んで来たでしょうか。 1.律法の要求 神の律法は、私たちに完全な義を要求します。ローマ3:10~18に示されているように、私たちはその要求に全く応えることができません。自己義を振りかざして、自分はダメだと落ち込むことも律法主義です。...
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