礼拝メッセージ

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「預言者と御使いの羨望」(礼拝メッセージ2017/09/24)

この救いについては、旧約の預言者たちも、熱心に探求し、調査した。彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの十字架と復活について預言した時、その成就がいつなのかを調べた。彼らがそのように調べたのは、自分のためではなく、後世の人々のためであった。そして今、それらのことは、天から送られた聖霊によって、あなたがたに福音を語った使徒たちにより、あなたがたに告げ知らされたのである。それは、御使いたちさえも知りたいと願ったほどのものである。 Ⅰペテロ 1:10~12(現代訳) 私たちクリスチャンは、旧約の有名な預言者たちや天の御使いたちが羨ましがるような、時代に生き、幸いな救いをいただいています。預言者は、来たるべきメシヤの苦難(詩22、イザヤ53)と栄光(詩2,110)を預言しましたが、栄光の王としてのメシヤを期待していた民が十字架上の苦難のメシヤを理解するのは困難でした。...
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「みこころを行う」(礼拝メッセージ2017/09/17)

あなたがたがみこころを行うようになるため、すべての良いものをもってあなたがたを強くして〈完全にして、完成に至らせ〈あなたがたを本来そうあるべき姿に導いて《整えて備えて》〉くださいますように。〔神ご自身が〕イエス・キリスト〈メシヤ〉によって、ご自身の目に喜ばれる事を、あなたがたのうちに行って〈成就して〉くださるのです。栄光がとこしえからとこしえまで〈代々限りなく〉彼〈キリスト〉にありますように。アーメン〈確かにそのとおりです。〉ヘブル13:21(詳訳) 私たちクリスチャンは、いつも主イエス様のみこころを探し、どのようにしたらみこころを行うことができるだろうかと祈り求めています。しかし、主のみこころはみことばに明確に示されています。 1)兄弟姉妹、隣人に対する愛(ヘブル13:1~4,16) ・兄弟姉妹愛 ・旅人へのもてなし ・不品行を避ける 2)主に対する満足と感謝...
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「恵みから落ちないように」(礼拝メッセージ2017/09/10)

だれも神の恵み〈受ける資格のない者に与えられる神の愛顧と霊的祝福〉から退く《恵みを保つことができなくなる》ことのないように、また憤り〈恨み、苦々しさ、憎しみ〉の根がはえ出て、悩み〈激しい苦痛〉の原因となり、多くの人がそれによって悪に染む〈汚される〉ことのないように、前々から見抜いて〈警戒して〉〔互いに〕注意し〔合い〕なさい。 ヘブル 12:15(詳訳) 私たちには、罪人の反抗を忍ばれ、救いを完成して天の御座に着座されたお方、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様が共にいて下さいます。そのお方は、私たちをご自身の聖さにあずからせようとして、私たちに懲らしめと訓練を与えて下さいます。みことばは、神様の恵みから落ちる危険性を示し、注意を与えています。 1)恵みの懲らしめから逃げてはいけない(ヘブル12:4~13) 神様の訓練と懲らしめは、私たちに平安な義の実を結ばせる神様の...
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「信仰とは実体」(礼拝メッセージ2017/09/03)

さて信仰とは〔私たちが〕望んでいる事柄を確信すること〈その確認、証書〉であり、〔私たちが〕見ていないものの証拠〈それらが事実であることの確信〉なのです《信仰は感覚に示されないものを真の事実として認めるのです》。     ヘブル 11:1(詳訳) みことばが示す「信仰」とは、主観的・個人的・宗教的な信念、観念、妄信、気休めではありません。創造者・絶対者・救い主である真実な神様とそのお方のみことば(約束)を心から信じて従い、そのように生きることです。 1)信仰とは確信(ヘブル11:1) 信仰とは、霊的・永続的なものと、まだ実体として現われていない(見ていない)ものを実体として確信することです。旧約の信仰者たちは、神様の約束のことばを不十分なものとは考えずに、必ず実現するものとして捉え、それに沿って生涯を全うしました(ヘブル11:4~32)。 2)信仰によって世界の始...
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「みことばと信仰の結びつき」(礼拝メッセージ2017/08/27)

なぜなら、私たちは、彼ら〔すなわち、昔のイスラエル人に奴隷の束縛からの解放という良い知らせが届いた時に彼らが受けたの〕と全く同様に、私たちに宣べ伝えられた〔神の〕良い知らせを、確かに、受けているからです。しかし、彼らの聞いた使信は彼らには無益でした。それを聞いた人々が、その使信と信仰〔すなわち、神の力、知恵、いつくしみに対する絶対的な信頼と確信とをもって、神に自分の全人格をゆだねること〕とを合わせなかったからです。〈彼らは、聞いて〔信じた〕人々〔ヨシュアとカレブ〕と、信仰を一つにしなかったからです〉。 ヘブル 4: 2(詳訳) みことば(福音)を聞かされているという点では、旧約時代も今も、変わりはありません。せっかくみことばが与えられているのに、それが信仰によって結びつかなければ、益にならずに大きな損害を被ります。 みことばは私たちに対して、旧約時代に神様に従おうとしなかった...
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「困難な時代」(礼拝メッセージ2017/08/20)

終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。  Ⅱテモテ 3: 1~5 みことばは、終わりの日に困難な時代がやって来ると言っています。世界情勢、社会情勢が大きく変化してくることも考えられますが、それ以上に信仰の面で困難な時代となります。 1)人々の状況 Ⅱテモテ 3:2~4 ①神様よりも愛するものがある  ②神様、権威、秩序に逆らう       ③乱暴...
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「恵みによって強くなる」(礼拝メッセージ2017/08/13)

私たちは、実に弱い者です。人の態度やことばにすぐに影響を受けたり、周りの状況や出来事に動揺して自我が現われたり、みことばに従うことよりも自分の感情や意思を優先させてみたり、神様やイエス様、隣人に対する不平不満、不信な思いを持って、弱り果ててしまいます。 どうすれば強くなれるでしょうか。 わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。 Ⅱテモテ 2: 1 わが子よ。あなたはキリスト・イエスのうちに〔だけ見いだされる〕恵み〈霊的祝福〉によって強くありなさい〈内的に強められなさい〉。  Ⅱテモテ 2: 1(詳訳) パウロは、我が子のように愛する(純粋だがちょっと気弱な)テモテに対して、恵みによって強くなるように勧めています。(Ⅱテモテ1:5~8) 1)なぜ、強くなる必要があるのか ①教えの風に吹き回されないため  エペソ4:14 ...
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「十字架の血による平和」(礼拝メッセージ2017/08/06)

今日は、72回目の広島原爆記念日です。人間は神様に敵対するとどこまでも残虐になります。広島平和都市記念碑に「過ちは繰り返しませぬから」と刻まれてはいますが、今も隣国からの核の脅威があります。イエス様が言われたように、私たちは憎しみによって隣人をも抹殺してしまう存在です(マタイ5:21,22)。そのような罪にまみれ、神様に敵対していた私たちをイエス様は、大いなるあわれみによって救い出して下さいました。 1.イエス様の死による和解 その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。  コロサイ 1:20 イエス様は自ら犠牲になられ、十字架上で罪無き血を流して私たちの罪を聖め、父なる神様との和解を成就されました。 2.聖く、傷なき者として御前に立たせるために それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者とし...
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「私は枝です」(礼拝メッセージ2017/07/30)

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。 ヨハネ 15: 5 私たちはクリスチャンとしての確かな歩み、平安と喜びの歩みを願っています。なのに、いつも不平と不安定な歩みの中にいる自分を見い出します。イエス様というぶどうの木にしっかりととどまる枝になりたいものです。 1.みことばに目を留める あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。  詩篇 119:105 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。  Ⅱペテロ 1:19 私たちを生かすのは、生けるみことばしかありません。ペテロはイエス様の威光を目撃しましたが、それよ...
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「イエス様を着る生き方」(礼拝メッセージ2017/07/23)

私たちはイエス様を模範として、イエス様に似ることを目標としています。「イエス様を着る」とは、どういうことでしょうか。「コスプレ(コスチュームプレー)」のように外側だけでもクリスチャンぽく生きることではありません。それでは、どのようにイエス様を着れば良いのでしょうか。 1.イエス様を信じた者はイエス様を着た者 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。 ガラテヤ 3:26,27 私たちは、救い主イエス様に対する信仰とバプテスマによって救われ、神様の子とされました。その時点で、私たちはイエス様を着たとされています。バプテスマを受けた者は、イエス様の所有としてイエス様に結び合わされました。 イエス様を着るとは、イエス様との親密な人格的交わり、イエス...
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