礼拝メッセージ

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「パウロの喜び」(礼拝メッセージ2017/07/16)

パウロは、主イエス様から私たち異邦人の使徒としての召しを受け、その召しに忠実に従い、最後は殉教したと言われています(AD61-62)。 彼は手紙を通して私たちに語り続けています。私たち異邦人の使徒パウロが求めていた喜びとは何だったんでしょう。 それは、この人たちが心に励ましを受け、愛によって結び合わされ、理解をもって豊かな全き確信に達し、神の奥義であるキリストを真に知るようになるためです。このキリストのうちに、知恵と知識との宝がすべて隠されているのです。私がこう言うのは、だれもまことしやかな議論によって、あなたがたをあやまちに導くことのないためです。私は、肉体においては離れていても、霊においてはあなたがたといっしょにいて、あなたがたの秩序とキリストに対する堅い信仰とを見て喜んでいます。    コロサイ 2: 2~5 1)イエス様を真に知る パウロは、イエス様に服従する...
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「主を知っている人」(礼拝メッセージ 2017/07/09) ケビン・ダストウ兄

彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、堅く立って事を行なう。ダニエル 11:32 主を知っている人は・・・・ 1)勇気をもって主に従う。 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」ダニエル3:16~18 2)強い確信を持っている。 私の神は御使いを送り、獅子の口をふさいでくださったので、獅子は私に何の害も加えませんでした。それは私に罪のないことが神の前に認められたからです。王よ。私はあなた...
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「霊の法則」(礼拝メッセージ2017/07/02)

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。        Ⅱコリント 4:18 私たちは、自然現象に関する自然法則、人間行動に関する道徳法則などの中で生きています。しかし、神様も人間も霊的な存在ですから、霊の法則がより大きな領域を占めていると言えます。目に見えないために軽んじられがちですが、目に見えないもの、霊的真理こそより重要です。 1.人に仕える者は幸い 食卓に着く人と給仕する者と、どちらが偉いでしょう。むろん、食卓に着く人でしょう。しかしわたしは、あなたがたのうちにあって給仕する者のようにしています。  ルカ 22:27 この世の肉に属する価値観は、自分の満足が中心です。自分が苦労せず、利益を得ることが幸いだと信じて、そのように行動します。しかし、霊の世界はその真逆だと教え...
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「神様のお好み」(礼拝メッセージ2017/06/25)

人は、自分の大切な人や好意を抱いている人のことをいろいろ知りたいと思います。特に、好き嫌いを知って自分も同じ価値観になれるように努めます。 神様が好まれるものは何でしょうか。 1.主はあわれみを好まれる 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』ということがどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、罪のない者たちを罪に定めはしなかったでしょう。  マタイ 12:7 イエス様は、弟子たちや群衆に、律法学者やパリサイ人の言うことは守るように教えられましたが、行ないはまねてはいけないと教えられました(マタイ23:1~12)。イエス様は、彼らを愛していたので、偽善とは徹底的に戦われました。 2.主は聞き従うことを好まれる するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。・・・そむくことは占...
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「主のさとし」(礼拝メッセージ2017/06/18)

私に悟りを与えてください。私はあなたのみおしえを守り、心を尽くしてそれを守ります。私に、あなたの仰せの道を踏み行かせてください。私はその道を喜んでいますから。私の心をあなたのさとしに傾かせ、不正な利得に傾かないようにしてください。むなしいものを見ないように私の目をそらせ、あなたの道に私を生かしてください。  詩篇119:34~37 ソロモン王は、若くして父ダビデからイスラエルを任されました。その時、神様からほしいものを尋ねられ、民を治める判断力を求めたことが主の御心にかない、判断力に加え富と誉れも与えられました。(Ⅰ列王記3:5~14) 詩篇119篇の作者は、自分の利益よりも主の「さとし」を必死に求めています。「さとし」とは、「諭し:目下の者に、ことの道理を理解できるように言い聞かせてわからせること。教え導くこと。神のおつげ。神託」のことです。 あなたは必死に「主のさとし...
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「弱い私」(礼拝メッセージ2017/06/11)

「自分は強い人間だ」と思っている人より「自分は弱い人間だ」と思っている人の方が多いことでしょう。 イエス様は、ルカ18:9~14でパリサイ人と取税人の二人の祈りの話しをされ、取税人の方が義と認められたと言われました。山上の垂訓でも心の貧しい者は幸いだと説かれました(ルカ6:20~23)。主の前に悲しむ者は、罪赦されて喜びの人に変えられるので幸いです(Ⅱコリント7:10)。 しかし、自分の弱さを自覚して、主の恵みによって元気になる人と、自分の弱さに失望してしまう人がいます。どちらが正しい生き方でしょうか。前者は、謙遜で素直にみことばを信じて信仰に生きる人ですが、後者は、猜疑心が強く、みことばを信じない、傲慢で自我によって生きる人です。 私たちは、聖書に出ている大使徒パウロは、強靱な心を持ったスーパーマンのような人物だと思いがちですが、彼ほど自分の弱さを自覚していた人はいません。...
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「失望してはならない」(ペンテコステ:礼拝メッセージ2017/06/04)

弟子たちはイエス様がゲッセマネの園で捕らえられた時には見捨てて逃げてしまい、十字架で死なれ葬られた時には絶望しました。しかし、イエス様の復活とペンテコステを経験して大きな希望をいただきました。私たちも同様です。 神の右に上げられたイエスが、御父から約束された聖霊を受けて、今あなたがたが見聞きしているこの聖霊をお注ぎになったのです。使徒2:33 「名誉や財産を失ってもそれは何も失ったことではない。勇気を失ったらそれはすべてを失ったことだ」(ドイツの格言) 私たちはイエス様によって罪の赦しと救いをいただきました。更に、イエス様と聖霊様がいつも共にいて下さるので、揺るがない勇気と大きな希望が与えられています。 1.祈りにおいて失望してはならない いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。  ルカ 18: 1 ...
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「完全なる勝利にあずかる」(礼拝メッセージ2017/05/28)

私たちは毎週の聖日礼拝に懺悔のために集まるのではありません。もちろんそれぞれに辛いことや困難なこと、がっかりすることがあったかもしれません。しかし、私たちのために犠牲となって救いを完成し、勝利を得られたイエス様に感謝し、更に良くなるためにみことばと取り扱いをいただき、慰めと励まし、力と平安をいただくために集まります。喜びましょう。イエス様はよみがえられ、私たちは救われました。 1.律法の誤用 死のとげは罪であって、罪は律法〔の誤用〕を通してその力を〔人の上に〕働かせるのです。     Ⅰコリント15:56詳訳 罪は生きて働く人格的な力です。神様が与えて下さった良き律法を利用して、いつも私たちを律法の下に閉じ込めて罪に定めようとします(ローマ7:10~12)。しかし、私たちはイエス様の贖いにより、「新しい〔いのち〕において、御霊の〔命令に対する服従の下で〕仕える」(ロ...
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「キリストのからだにあずかる」(礼拝メッセージ2017/05/21

聖餐式は、初代教会では最後の晩餐(過ぎ越の祭り)に倣い、食事といっしょに行われていましたが、2世紀半ば頃には愛餐と聖餐が分離されるようになりました。聖餐を受ける(陪餐)ことは、主イエス様の十字架の死と復活、主イエス様とクリスチャンの交わり、兄弟姉妹の一致を現しています。礼拝において、みことばのメッセージと同様に大切な要素です。 1.主イエス様との全人格的な交わり 私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。Ⅰコリント10:16 (1)キリストの血にあずかる(全人格的)交わり、イエス様  を愛情を持って覚えるために(Ⅰコリント11:24~26詳訳) (2)新しい血による契約(信仰義認、神との和解) (3)十字架の死の事実を宣言するため イエスは彼らに言われた。...
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「もっと必要なもの」(礼拝メッセージ2017/05/14)

私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。 ピリピ1:23,24 人は誰でも自分にとって一番良くて得する安楽な道を求めます。そして、それは自分の権利だと主張することができます。 聖書は自分の利益よりも、もっと必要なものを教えています。 1.イエス様のお姿 キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。ガラテヤ 1: 4 第一にイエス様の生き方は、私たちの救いを最優先にし、ご自身の権利を放棄した生き方でした。 2.ほかの人を生かす生き方-パウロ兄弟 たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となって...
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