礼拝メッセージ

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「祈りの家」(聖日礼拝メッセージ 2023/04/30)

 今日は福音書の出来事3「宮きよめ」です。イエス様の宮きよめは、公生涯の初め頃(ヨハネ2:13~22)と受難週の時(マタイ21:12~16、マルコ11:15~18、ルカ19:45,46)の2回あったようです。イエス様は、神殿を商売の道具にしていた大祭司や商売人への怒りをあらわにされました。 1.悪徳商人  イエスは宮に入り、その中で売り買いしている者たちを追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。また、だれにも、宮を通って物を運ぶことをお許しにならなかった。・・・祭司長たちや律法学者たちはこれを聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。マルコ 11:15~18  悪徳商人は神殿の境内、異邦人の庭で商売し、大祭司はそこから利益を得ていました。神殿でささげ物をするためにはユダヤ通貨以外は認められなかったため、外国在住のユダヤ人は両替を強いられ、両替商たちは...
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「カナの結婚式」(聖日礼拝メッセージ 2023/04/23)

 今日は福音書の奇跡1「カナの結婚式」です。イエス様は母マリアが接待役を務めていた婚礼に弟子たちとともに招待されました。イエス様はここで水をぶどう酒に変える奇跡を行って、ご自身のメシア的栄光と救いのすばらしさを示す「しるし・証し」とされました。 1.母と給仕する人  イエスは母に言われた。「女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。わたしの時はまだ来ていません。ヨハネ 2:4  イエスは給仕の者たちに言われた。「水がめを水でいっぱいにしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、それを汲んで、宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。ヨハネ 2:7,8  母マリアはぶどう酒がなくなり困り果ててイエス様に相談しましたが、イエス様の答えは、少し冷たいように思えます。しかし、イエス様は罪に対して無力になっている人々を救うために、ご...
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「弟子たちとの出会い」(聖日礼拝メッセージ 2023/04/16)

 今日は福音書の出来事2「弟子たちとの出会い」です。  イエス様は宣教を開始するにあたって12人の弟子を選ばれ、3年半共同生活をしながら町々村々を巡回して神の御国を伝えました。私たちはどうすればイエス様の良い弟子になることができるでしょうか。 1.イエス様の弟子たち  イエスは十二弟子を呼んで、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。・・・十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモンと、イエスを裏切ったイスカリオテのユダである。マタイ 10:1~10:4(マルコ 3:13~19)  イエス様は多くの弟子たちの中から12人を使徒に任命されました。12人という数字はイスラエルの12部族をなぞらえています。弟子たちの中には漁師、取...
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「イースター:復活祭」(2023/04/09)

 本日の礼拝メッセージは、当教会の創設者ヘイデン・ハービー兄(オーストラリア)が行いますので礼拝インターネット配信をご覧ください。礼拝メッセージ要約はありません。こちらの文章は、礼拝メッセージとは別の「イースター:復活祭」についての学びです。  終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに変えられます。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。この朽ちるべきものが朽ちないものを必ず着ることになり、この死ぬべきものが、死なないものを必ず着ることになるからです。そして、この朽ちるべきものが朽ちないものを着て、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、このように記されたみことばが実現します。「死は勝利に吞み込まれた。」Ⅰコリント 15:52~54  すべての人の希望はイエス様の「復活」です。立派な宗教家や聖人、人物がすばらしい業績や人格や財産を残したとし...
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「荒野での試み」(聖日礼拝メッセージ 2023/04/02)棕梠の主日、受難週

 今年度は福音書からイエス様の行い、教え、奇跡を中心に学びます。今日は「荒野での試み」です。イエス様は神の子、メシアなのになぜ悪魔の試みにあわれたのでしょうか。私たちにとってどんな意味があるのでしょうか。 1.荒野での試み  それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。マタイ 4:1,2  イエス様は聖霊様に導かれて(追いやられて マルコ1:12)荒野での40日間の断食後、肉体的にも精神的にも極限の状態にある時に、悪魔の試みを受けられました。荒野では野の獣がおり、御使いが仕えていました(マルコ 1:13)。 2.イエス様の対応  イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」 マタイ 4:4  イエス様は神としての絶対的な...
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「ヨハネ」(聖日礼拝メッセージ 2023/03/26)

 今日の新約聖書の人物は「愛の使徒・ヨハネ」です。ヨハネは12弟子の一人で、ペテロとヤコブに並ぶ側近で、エルサレム教会の指導者となり、サマリア伝道、エペソ伝道に従事しました。また、「ヨハネの福音書」「ヨハネの手紙ⅠⅡⅢ」「ヨハネの黙示録」を執筆しました。 1.イエスが愛された弟子  弟子の一人がイエスの胸のところで横になっていた。イエスが愛しておられた弟子である。ヨハネ 13:23  ヨハネは「・ゼベダイの子・ヤコブの兄弟・漁師(網元)・イエス様の従兄弟?(マタイ27:56,ヨハネ19:25)・大祭司の知り合い(ヨハネ18:15,16)・イエス様の母マリアを託される・エルサレム教会の指導者」で、福音書に自分のことを「イエスが愛しておられた弟子」と表現しています。 2.伝道活動  しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えた。「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正し...
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「バルナバ」(聖日礼拝メッセージ 2023/03/19)

 今日の新約聖書の人物は「バルナバ」です。バルナバはキプロス生まれのレビ人です。バルナバはアンティオキア教会の指導者の一人で、迫害者であったパウロを助け、パウロと共に宣教活動を行いました。 1.慰めの人  キプロス生まれのレビ人で、使徒たちにバルナバ(訳すと、慰めの子)と呼ばれていたヨセフ 使徒 4:36   みな、彼が弟子であるとは信じず、彼を恐れていた。しかし、バルナバはサウロを引き受けて、使徒たちのところに連れて行き、・・・説明した。サウロは・・・自由に行き来し、・・・大胆に語った。使徒 9:26~28  バルナバは「慰めの子」の名のとおり、困っている人を助ける人でした。サウロ(パウロ)が迫害者であったため、回心したことが兄弟姉妹に信じてもらえず拒絶されていた時に、ただ一人彼を受け入れて使徒たちへの仲介をしました。献金も怠らず主に仕える人でした(使徒 4:37)。 2.伝道...
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「ドルカス」(聖日礼拝メッセージ 2023/03/12)

 今日の新約聖書の人物は「ドルカス」です。ドルカスはヤッファに住むクリスチャンの群れの姉妹でした。主に仕え、兄弟姉妹に仕えていた人でしたが、病死してしまいました。嘆く兄弟姉妹は、ペテロに助けを求め、ペテロは主に祈り、主はドルカスを生き返らせてくださいました。 1.ドルカス(タビタ)の死  さて、ヨッパに、〔アラム語で〕タビタ、すなわち〔ギリシア語で〕ドルカス〔日本語でかもしか〕という意味の名の〔婦人の〕弟子がいた。彼女は、多くの善行と愛の行為を行っていた。ちょうどそのころ、彼女は病気になって死んだ。人々は彼女を洗ってから、二階に置いた。・・・やもめたちがみな泣きながら彼を取り囲み、ドルカスが彼女たちとともにいた時によく作った下着や上着〔など〕を見せた。使徒 9:36~39(詳訳)  珍しいことにドルカスは「婦人の弟子」と呼ばれています。教会の兄弟姉妹はもちろん地域のノンクリスチャンの...
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「パウロ」(聖日礼拝メッセージ 2023/02/05)

 今日の新約聖書の人物は「パウロ」です。パウロはパリサイ派のユダヤ人で、律法をガマリエルから学んだエリートであり、厳格な人生を歩んで来ました。イエス様を旧約聖書が約束しているメシアとは信じず、クリスチャンを迫害しました。しかし、ダマスコの途上で現れたイエス様によって劇的な回心を経験し、偉大な使徒として異邦人伝道に一生を献げました。 1.迫害者サウロ(パウロ)  サウロは家から家に押し入って、教会を荒らし、男も女も引きずり出して、牢に入れた。使徒 8:3  サウロはユダヤ人として厳格な信仰を持っていたので、イエス様をメシアとするクリスチャンたちを神様に対する冒涜と考えて、殺すことも厭いませんでした。最初の殉教者ステパノの死刑にも賛成していました(使徒 7:58,8:1)。  ・・・神に対して熱心な者でした。そしてこの道を迫害し、男でも女でも縛って牢に入れ、死にまでも至らせました。使徒...
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「貧乏人ラザロ」(聖日礼拝メッセージ 2023/02/26)

 今日の新約聖書の人物は「貧乏人ラザロ」です。イエス様は弟子たちやパリサイ人たちに、神様に対する悔い改めと救いを受けることの大切さを教えるために、放蕩息子などの話をする流れでこの「貧乏人ラザロと金持ち」の話をしました。イエス様は私たちの人生においてとても大切なことを教えてくださいました。人間的評価と神的評価の大きな違いです。 1.金持ちと貧乏人ラザロ  ある金持ちがいたが、〈いつも〉紫の着物と細糸の亜麻布を着て、毎日はでにどんちゃん騒ぎをして〈宴会〉を催して〈楽しく暮らして〉いた。ところが、彼の門の所に、ラザロという、〈こじきになり果てて、ただれた〉できものでおおわれた、どん底の生活困窮者が、〈だれにも相手にされずに〉放り出されていた〈放置されていた〉。彼は金持の食卓から落ちる物で空腹を満たしたいと〔しきりに〕願っていた。そのうえ、犬までも来て、彼のできものをなめていた。ルカ 16:1...
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